唐紅を背負う一族 十七
「神農の言葉の通りだ、姜祝融」
祝融の背後に物々しい気配が五つ集まった。気配は血溜まりを躊躇なく突き進む。美しく優美な衣が紅く染まっていくも、誰一人その色を物ともしない。
六仙が一堂に集い、どんよりとしていた空気が一変していく。
祝融と彩華は二人、何が起こっているのか察しきれずに戸惑うが、神農だけが全てを受け入れているのか苦しげではあったが平静を保っていた。
「神農、始めるぞ」
霊宝天尊は言うが早いか、着々と集まった五人は鳳凰の間の惨劇も、祝融と彩華の存在にも目もくれず、五星を描いて神農を囲む。霊宝天尊は祝融に邪魔だと言わんばかりに手を振ると、祝融は戸惑いないがらも五人の輪から外れた。
「はて、上手くいくかの」
と、道徳天尊が呑気な爺にも似た怪しげな笑いを見せる。
「さてな、何せ千年もやっておらんからな」
答えたのは、原始天尊だった。その目はしっかりと西王母を睨んでいる。
「ここに来て間抜けは許されんぞ」
「馬鹿な真似などせん。それよりも集中しろ」
辛辣な言葉を返す西王母の瞳は真剣そのものだった。
「神農、これが最後だ。言葉はあるか」
東王父が口を開いた時には五人は両の掌を胸の前で合わせ、祈りにも似た姿を見せる。それが最後何を指し示すか知っているかの様に、神農は何の反応も示さなかった。
だからか、すんなりと東王父の言葉を受け入れていた神農は苦しげにも五人を順に眺めると、安心しきった様子でその向こうにある孫の姿を捉えていた。
「祝融、静瑛と共に良き国を作れ」
神農は小さく微笑む。それは、この国と孫が治めるの未来を願う姿と言えたかもしれない。
「陛下……」
祝融は、返す言葉は見つけられなかった。神農の言葉が遺言と気づいたときには、六仙は結界を創り始めていた。
それぞれが、神の
神農の中にいる伏犧が抵抗せんとしているのだろう。激しい火花が散り、時に光が弾け、時に光が一閃として駆け抜ける。
『あああああぁぁぁ!!』
燼と同じ声が神農の中で叫ぶ。
『お前達まで裏切るのか!!!』
異形と化したその声は叫び続けたが、霊宝天尊は額に汗を流しながらも、冷静に言葉を返した。
「いいえ、私達は伏犧様と昔交わした誓約のままに此処におります」
閃光に混じった霊宝天尊の声は粛々と伏犧に仕えていると言っても差し支えが無いほどに仰々しく敬うものだった。そして、霊宝天尊の言葉に西王母も続いた。
「我々は、この国を守る為に貴方様より力を賜りました。貴方様がこの国を害する悪神となった今、我々は役目を果たすのみで御座います」
西王母の言葉が終わると光がより一層強くなった。幾重にも重なった閃光が神農に纏わりつき、その度に伏犧の憤怒は大きくなる。
怒りを剥き出す姿の伏犧に言葉は届いてはいないだろう。理念も理想も失った伏犧には、古き誓約などすでに意味を失っていた。
理性を失った神は悪神となり、国を巣食う存在と成り果てる。神威は陰の気に多大な影響を与えたもうて、妖魔が生まれる。
六仙は伏犧の神威が与える影響を知っても尚、その誓約を守ってきた。
この国の安寧為、伏犧が理想とした平穏なる国の為に。
伏犧神を前にしても尚、その誓約を抱いたまま六仙の意思は揺らぐ事はなかった。
そして、遂に伏犧はその場で崩れ落ちた。
力無く横たわる体から悍ましい気配は薄れ、まるで全てが終わったように静寂に飲まれそうだった。が、霊宝天尊は未だ厳しいままの視線を祝融へと向けた。
「姜祝悠、神農の首を落とせ」
祝融は霊宝天尊の言葉に耳を疑い目を見開いた。
「……何を」
「封印を完成せねばならん。このままでは再び目覚めて神農の肉体など捨て去り新たな器を造るだけだ」
「待って頂きたい。俺では伏犧は殺せないのだろう!?」
「安心しろ、どの道殺せん」
「どういう……」
「神農は無死なる力を持つ。殺す事は不可能だ。だからこそ、封印が完成する」
無死――それは経典にもある、英雄の力だ。十度の死を持ってして、宵闇の異形を殺したと言われる力。実在したとは知らず、祝融は驚嘆するだけだった。
「神農の首を落とし、更に封をかける。それが今できる全てだ」
祝融の双肩に今以上の重積がのしかかる。
「……封印されたとして、陛下はどうなるのでしょうか」
「無死なる力を持つ者は永劫生きる。誰にも知り得ぬ」
祝融は五人に中心へ立てと促され、躊躇いながらも歩み出る。
――やるしかない
そうは思っても、既に燼の首を落として精神がぐずぐずと腐ってしまいそうなほどに、祝融の心を黒く染めていた。
剣が重い。燼を殺し、祖父の首を落とし。
祝融は手から剣を落としてしまいそうだった。それでも、やるしかないと分かっていた。
これで、平和が訪れる。
――民の為に生きよ、その身を捧げよ
姜家としての誓いが、祝融の精神を動かす唯一の原動力と言えただろう。剣だけでは無い。足は鉛の様に重く、焦点は神農を捉えながらも、どこか虚だ。
――何故、一族の何も知らぬ者達までもが犠牲とならねばならなかったのだろうか
――何故、燼は死を採択せねばならなかったのだろうか
――何故、己が人の命運を左右せねばならないのか
祝融はこれがこの国の為であると己を言い聞かせ、足を動かした。
――全ては、この国に生きる者たちの為に
祝融は神農の横に立ち、見下ろすと大きく腕を掲げた――
◆◇◆
黒曜宮
絮皐は一人、閨で過ごしていた。寝台の上に座り込み、その手には、護身用の短刀が握られている。
鞘から抜かれたそれは、ギラリと輝く。その鋭さは、折り紙つきで燼が確りと研いだものだ。
今、
ただ、時を待っていた。
幾度と鳴っていた雷は消えたが、外は薄暗いままだ。部屋では幾つもの行燈が吊るされていたが、それが突如揺れた。
風もなく揺れるそれに、絮皐はゆっくりと顔を上げた。
ゆらり、ゆらりと揺れて、「ふう」と蝋燭の火を消す声がした。
――絮皐
灯りが消える中、絮皐の耳には届いた愛しい声に、待ちに待った合図と知る。
絮皐は短刀を迷わず胸へと添える。
位置は何度も確認した。間違える事はない。
「燼……」
愛しい顔を思い浮かべ、その後を追う事に迷いはない。絮皐は、自らの胸に鋭い刃を突き立てた。
鋭い痛みと鈍痛が重なって絮皐は寝台へと倒れ込んだ。
喀血と胸から流れる血が白い布を染めていく。
赤々と染まる布を何気なく眺めては、これが死なのだと実感した。
次第に視界は掠れ、その赤と白の境界の区別すらつかなくなった頃、絮皐は身体が軽くなる感覚があった。
消えゆく肉体を感じ、自らが龍である事を実感する。そうなると、鈍くなる視界の片隅に兄の姿が浮かんだ。兄と同じ道を辿れないのだと。
――魯粛、好きに生きたよ
絮皐は兄の遺言通り、兄以外の男と好きに生きた。そして、その後を追う事に躊躇いもなかった。
絮皐の意識が完全に途絶えた頃、寝台に残されたのは絮皐が最後に纏っていた衣と、短刀。そして、絮皐の死を証明する赤々とした血溜まりだけであった。
龍として死んだ絮皐の魂の行方は何処か。それを知るのは、神のみであろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます