唐紅を背負う一族 十六
意識が遠のきながらも、燼の手が青い稲光を纏って掲げられている様がはっきりと見えた。
だが、
『――祝融』
誰とも言えない声が、祝融の耳に囁いた。
時が止まった、そう思える瞬間だった。燼は動きを止め、音も消える。肉体の痺れは消え去り、混濁していた意識が明瞭になる。
『姜祝融』
そうしてまた、声が囁いた。
幾重にも重なった声は、祝融のそばで囁いている様で、頭の中で声を響かせている。
男の様で、女の様で、幼児の様で、老人の様で――様々な声が、仕切りに祝融の名を呼んだかと思えば、ふっと気配が生まれた。
祝融は徐に立ち上がった。気配は円を描き、祝融を囲む。最初は弱々しく、しかし次第に畏怖を備えて大きくなった。
そして、気配は形となる。
一の龍と九の獣が祝融の前に現れた。
龍を筆頭に、鹿、狼、猿、馬、熊、虎、梟、鷹、蛇。
全てが白銀の姿であり、神々しく白く輝く。
夢、だろうか。
辺りは何も変わっていない筈なのに、今まであった気配は遠くにある。景色も、人も、何もかもが霞みがかった向こう側だ。
祝融の意識がしっかり手中にあって、そうで無い感覚が渦巻いて、だがその目は眼前のもの達へと向けられている。
そして、十の重なった声が再び鳴り響く。
『姜祝融、そなたの死は望まれぬ』
起伏なく、ただ神言を放つ。
「俺の使命は何だ。何の為に力を与えた」
神々より賜りし、祝炎の御力。それこそが使命と祝融を結びつけ、縛り付けているものの正体でもある。生み出すは、神の所業。
だからこそ、祝炎と称えられる力でもある。そして、天命などと仰々しく祝融を縛りつけ続けるのだ。
祝融は、龍を睨んだ。
白神は、十の神であって、一の神である。
その主軸たるは、龍である。白仙山に住まい、外界よりこの国を守りたる存在は、空虚なまでに表情がない。
祝融の心中などその手の上でころころと転がせるだろうが、何を思ってか、ふうと小さく息吹を放つ。
「俺は、何だ」
祝融の言葉に、龍は静かに返した。
『お前は人だ。その身に炎を宿した、唯の人』
またも、龍はふうと息を吐く。その息吹は冷気を放ち、冬を纏うて祝融の首筋を
祝融は神の恩恵などを感じはしない。ただ同じ言葉を繰り返す鸚鵡程度にしか見えなかった。
「何が使命だ、何が天命だ。俺に、友を見殺しにする事が……友を殺させる事が本懐だとでも言うのか!!」
心の叫びそのものを、祝融は言葉として龍へと向ける。相手が神である事を厭わず、畏れもない。鎮守の森の苦しさもないとなれば、ただの動物と変わりない。
どの道、祝融はもう永きに渡り祈る事を止めていた。
もう、どの神を信じれば良いのかも分からない。一族で祭り上げる鳳凰など、本当にいるのかどうかも分からなくなっていた。
『……死は、我らが子の望みである。我々では、あの子の生は奪えない』
「それを代わりに俺にやれというのか?」
『お前にしか出来ぬ。あの子を、伏犧神より解放してはくれぬだろうか』
その時、初めて白神に表情が生まれた。目を細め、後悔に満ちた息を吐く。
「結局は殺せという事だろう」
『……肉体の死は、
祝融の沈み切っていた心が、僅かばかりに浮き上がる。それでも、受け入れるかどうかは別だった。
「……それで、燼は救われるのか」
『ああ、それで漸くあの子の役目が終わる』
祝融は、返事を返さなかった。白神へと怒りにも似た荒んだ眼差しをぶつけるが、心の片隅では白神の言葉を理解していた。
燼に
「言葉を…………受け入れよう」
祝融が同意の言葉を吐くと同時か、白神の気配が遠くなった。靄が晴れゆくと、次第に近くにあった現世の気配が濃くなっていく。
祝融は眼前にある燼の前に立ち塞がると、その首に剣を向ける。
炎を宿し、完全に現世へと戻った瞬間、祝融は燼の首を斬り落とした。
『……なっ……』
何が起こったかを一瞬で悟った顔は、驚嘆で満ちる。
『白神か……子を救う力も無いと思うておったが……』
ずるりと、首が落ちる。その間も、その目は祝融を睨め付ける。
『これが、終わりと思うなよ』
呪いにも近い言葉を吐くも、祝融の耳には届かない。祝融は頭へと剣を突き立てんと剣を掲げ、そして――
頭蓋の砕け貫く感覚が、祝融の手に生々しいまでに伝わった。
ぼうっ――と、炎が灯る。その勢いは一瞬で燃え上がり、炎は燼の肉体を全て飲み込み、全てを灰燼と化した。
燼という名の通り、燃え残った灰。
祝融はその場で崩れ落ちる様に膝をつき、その燃え残った灰を掬い上げた。
命の終わりの儚さ、何も出来ない自分の歯痒さに打ちひしがれながらも、無言で全てを見届けていた彩華へと目を向けた。
「彩華……俺は……」
魂の抜けた姿を晒し祝融は弱々しく口開くも、彩華は無理矢理に身体を引き摺り祝融へと近づく。祝融が握りしめた灰を静かに両の手で包み、苦悶を浮かべて首を振るだけだった。
全て受け入れた苦悶の表情からは一筋の涙が落ちる。
肉体の死と受け入れられたら、どれだけ良かっただろうか。それは永劫の別れと同義なのだと、神は理解しているのだろうか。
――いや、きっとあれらとは生きる領域が違う
生という言葉すら持たない
だが、一人。そうでない者がそこに鎮座する。
祝融は、燼であったそれを静かに手の隙間から落としていくと、静かに立ち上がり振り返る。
「陛下、望みは果たされましたでしょうか」
神農の目的が今も尚、謎めいたまま。
祝融は、ゆっくりと近づいた。今も尚、同族の血で満たされたそこは、血生臭い匂いで満たされている。
そして、祝融は平伏する事なく神農の眼前へと辿り着く。
「矢張り、殺せなかったか」
突然、神農が小さくこぼした。
「何を――」
「祝融、よく聞け」
そう言い始めた矢先、神農の顔色が青ざめていく。呼吸は荒くなり、まるで病に侵されたかのよう。
「祝融、今はこうするしか手段はないのだ。羅燼と同じく、何も迷うな」
「陛下、何を言っているのですか!!」
神農は立ち上がる。禍々しいまでの気配を放ち、神農はゆっくりとだが前に進む。祝融の眼前で立ち止まり、祝融の肩にそっと手を置くと、苦しげながらも和らいだ表情を見せた。
「お前に全ての業を背負わせてしまう。すまない」
祝融は状況を理解できなかった。ただ、ひしひしと神農から
「そんな……」
祝融は、燼と共に死んだと思い込んでいた存在が未だあると気づく。そして、もう一つの違和感も――
――俺の身体に、何の異常もない……
紛い神を殺した後、祝融は深い眠りの底にあった。しかし、燼の首を落としても尚、祝融は平然と立っていたのだ。
白神は言った、燼を殺せと。しかし、伏犧を殺せとも天命に関しても何一つとして口にしてはいなかったのだ。そして、伏犧の最後の言葉――
『これが、終わりと思うなよ』
唯の恨み節ではなく、真実を述べていたのだとしたら。
祝融は、後ずさる。最高位の神威を前に、なす術がないと思い知らされ、絶望すら感じた。
苦悶を浮かべながら、神農は腹部を抑える。症状は悪化するばかりで、言葉すら口にするのも一苦労と言った様子でその場に膝をつく。
「陛下……」
祝融ができる事は唯一、封印術で症状を抑える事だけだった。が、神農は触れようとした祝融の手を弾いた。
「祝融、無駄な事に力は使うな……」
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