唐紅を背負う一族 十二

 鳳凰の間は、騒めきで溢れていた。何せ、不測の事態の最中に一族の本家筋が総出で集められたのだ。それも、皇都に住む者達ばかり。それなりの理由でも無ければ早々ありえない事態だった。

 

 そのあり得ない事態を前に、第二皇子である桂枝は上位の席から端まで見渡した。男女関係なく末端の会った事のない親族やら、年明け前に生まれたばかりの赤子まで含まれている。

 上位から順に卓を用意され、ささやかにも酒を用意され、さながら宴だ。


 血の繋がりが、その場にいるもの全ての呼び出された理由だろう。皇子を含む誰一人として、従者や副官を伴う事を許されなかったのだ。何が起こるのかも判然としない中、桂枝は宴と同様に正面に座る男を見た。

 実兄であり、今鳳凰の間にいる者の中で一等永く生きる者である。兄ならば何か知っているやもと目線を送るも、その目線は矢張り桂枝と同じく判然としていないと言った様子。どちらにしろ、燐楷は息子を一人喪ったばかりで憔悴しきっている。

 葬儀の準備すら手につかない程に萎れた姿を見せ、その姿に芙蓉が背を摩っていた。


「全く、陛下は何を考えているのだ」


 と、桂枝は時間を持て余してか不満を呟きながら用意された酒に手を伸ばした。桂枝とて甥の死に多少は気落ちはしているが、今はそれどころではない状況下でもある。


 その甥が浮かぶと同時に、甥の死を報告した隣に座る男を見た。

 桂枝の子である道托は、甥――趙雲の死を嘆く事もなく、下手をすれば桂枝よりも余程落ち着いた様子で座していた。


「……道托、お前は何か知っているのか?」


 酒の肴ついでに桂枝は問いかけた。

 返事は期待していなかった。が、ただの暇つぶしで吐いた言葉に思わぬ返事が返ってきたのだ。


「これが、我らが一族の最後の使命です」


 何を――と、桂枝が息子に対して問い掛けようとするも、入り口の扉が開かれた事により言葉は遮られた。

 扉の向こうより現れた存在を前に、皆慌てて平伏する。

 神農のその背後。矢車附子染の衣を纏った神子が当然の顔でそこにいた。


 神農は当然の如く最上位である席に座す。そして、神子はその背後の壁に背を預け、腕を組んで全貌を眺めた。

 その煌々と光る紅目の気味の悪い事。


 ――以前お目にした時は、あの様な虹彩色では無かった筈


 まるで、噂に聞く妖魔ではないか。

 桂枝は恐々としながら事態が飲み込めず、神農から言葉が発せられるのを待った。

 恐らく、一堂に集う殆どの者が神農の言葉を待っていたに違いない。


 その、始まりの言葉の重みは如何程か。


「皆、よく集まってくれた」


 神農が一堂に顔を上げる様に促し、落ち着いた口調が始まりると皆が安心した。


「先ず、燐楷。お前に知らせねばならぬ事がある」


 消沈したまま、俯き今にも年老いていく様を見せる燐楷を前に、神農は特に構う様子もなかった。


「趙雲の死因だが、小岳、良楽と共に業魔へと変じた為、これを討った」


 にべもなく告げられた話に、燐楷は愕然と神農を見た。わなわなと震えて、そんなはずがないと叫ぶ。取り乱す老いぼれた姿を芙蓉が取り押さえると、燐楷は力無く座り込んだ。そんな筈はない、そんな筈はないとぶつぶつと繰り返し呟いて、燐楷を憐れむ目線すら向けられる。


「陛下、何かの間違いでは」


 桂枝は、燐楷の様子以前に同じく納得が出来ていなかった。そんな筈がない。根拠なき自信を前に桂枝は、腹の底にぞわりと湧き起こるものを感じる。

 陰鬱として、どこか重苦しい。


 ――何だ……?


 違和感に気取られ、目線は自然と下を向き腹を摩った。


「討伐は、道托。お前であったな」


 ただ死を語っただけでは、ざわめきが起こるだけだった。が、神農から明かされた一言が一堂を再び静寂へと飲み込んだ。視線が一つところに集まる。

 当人はというと、ただ1人揺るぎなく静観した様子で真っ直ぐと前を向いていた。


「ど……道托!どういう事だ!!」


 桂枝は熱り立ち、感情のままを晒して立ち上がっていた。

 趙雲、小岳、良楽の報告は既に周知されていた。ただ、突如現れた業魔により殺された――と。

 趙雲程の実力者を弑する業魔が出現したとなれば、それこそ一大事になり得たかも知れない。そんな騒動が起こりかけ、趙雲は命を賭けて闘い、道托は共に立ち向かったとして褒め称えられていた。


 その話が虚偽であったなど、誰が信じられようか。


「皇妃槐の話では第八皇孫邸にて業魔が現れ、それを楊彩華が討ち取ったと。この業魔に関しましては、小岳、良楽の両名で間違いないでしょう。二人の家からは、それぞれ異母弟を暗殺を企てていた証拠が幾つも残っておりましたから。そして、小岳、良楽の死を知った趙雲は業魔と成り果て私めが趙雲を殺しました」

 

 つらつらと、道托は真実を述べる。武人らしく構えて座る姿には、迷いも、澱みも無い。

 そして――そんな勇猛たる男が、ふらりと立ち上がった。

 将軍たる姿をこれみよがしに、父に見せつける。桂枝も身の丈はあるが、道托には体躯は劣る。


「父上、私は祝融を排斥しようとしていた自分が嘘の様に、晴れやかです」


 睨み合い立つ二人。道托が口にした名前で桂枝の顔は険しさを増していく。桂枝の腹の底、目の前の湧き上がる黒々とした感情が湧き起こり始めた。


「忌まわしいその名を軽々しく呼ぶなっ!!」

「何を言っておられますか、父上の四人目の子であり私の異母弟ではありませんか」

「阿孫を殺したのだぞ!? あれは、お前の弟を殺したのだぞ!?」

「そうです。趙雲と同じく、阿孫もまた業魔へと変質したからです」


 道托は常に落ち着き払っていた。それに引き換え、桂枝は神農の御前、神子の御前であることを忘れて更に熱くなる。煮え繰りかえる腑を曝け出すほどに取り乱し、腹に溜まったがよりどろどろと湧き続け――遂に溢れた。

 桂枝の身体が腹の辺りから黒く染まった。ジュクジュクと腐る果実のようで、闇に溶けるほどに黒い。

 桂枝は己の変化に気づく事もなく、叫び続けた。


が生きている事こそ間違いだ! 殺さねばならん! 殺さねばならん! 殺さねばならん!!!」


 道托は変わりゆく父の姿を前にして、腰に帯びた剣に触れた。

 そして――


「殺さねば――」


 再び桂枝が吐いた毒は、道托の剣撃によって遮られた。

 

 ほんの一瞬の出来事は微塵の躊躇いも無く、桂枝の首が、ごろりと落ちた。


 父を殺した。道托の中で何かが蠢く。

 手の内に、僅かに残った後悔が余計にその蠢く何かを感じ取ったが、既に道托は覚悟を決めた後だった。道托は、背後へと振り返る。そこには、もう一人の老いた姿をした弟が怯えた様子で後退っていた。


「……あ、兄上……何を」


 姜の血から程遠い痩せこけた弱々しい弟――利閣は、老人姿になって顕著に肉付き無さが目だった。

 だからと言って、道托がそれを貶した事は一度として無かった。


「兄上っ」


 悲鳴混じりに兄と呼ばれ、道托の腹の中がまたも騒ついた。


「せめて、苦しまぬように」


 怯えるだけの弟に、道托は寸分の躊躇いも見せずに剣を振り下ろした。

 利閣の首が弾け飛び血が飛び散った。

 吹き出した鮮血で場が染まり、道托もまたその血を浴びた。その様は、狂気の沙汰であろう。

 それまで、時が止まっていたかの様に、静まり返っていた者達が恐怖を取り戻した瞬間でもあった。


「う……うわああああぁぁぁ!!!」


 一人の悲鳴が、混乱を呼び起こした。

 逃げる者、立ち向かおうと及び腰ながらも道托に剣を向ける者、神農に訴える者、そして変質する者。


 狂気が渦巻く中、燐楷はゆっくりと立ち上がる。狂気に飲み込まれず、虚な瞳を道托に向けていた。


「父上、道大兄は気が触れたのです! 逃げましょう!」


 芙蓉は怯える廣瑚こうこを支えながらも、必死で燐楷へと声を荒げる。いつ自分の番が回ってくるかも分からない状況で、芙蓉もまた恐怖で芯から震えていた。


「父上!!」


 娘の必死の声は届かず、燐楷もまたその身がぐずぐずと黒く変質していった。その目が赤く染まる。

 ぼこぼこと音立てて、燐楷の身体は大きくなっていく――だが。


 燐楷の首が勢いよく、転げ落ちていた。


「父上?」


 芙蓉は理解ができず、目の前に転がった首と、自らに降りかかった鮮血が父のものである判断がつかない様子だった。

 何が起こったのか、芙蓉はゆっくりとだが今にも崩れ落ちる黒く澱んだ父の身体の向こうに恐る恐るも目をやる。

 そこには、偃月刀を構えた神子燼の姿があった。


「……神子様、何を……」


 冷然とした紅色に輝く瞳が芙蓉と廣瑚を見下ろす。その様が、また一段と恐ろしい。偃月刀からは血が滴り落ち、驚嘆の声が響き渡る鳳凰の間の中でも芙蓉の耳にはしかと聞こえ、雫の一滴一滴が芙蓉にしっかりと恐怖を植え付けた。

 芙蓉は廣瑚を庇い抱きしめながらも震え、廣瑚もまた震え姉に縋り付く。老体である廣瑚を逃してやる事もできず、守る力もない。


「あ……姉上……」


 ただただ、二人の五感が恐怖で埋め尽くされる。その二人に、容赦なく刃は落とされた。

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