唐紅を背負う一族 十一

 燼は、ふらりふらりと己が暮らす宮へと絮皐と共に戻った。燼は無意識に自身の腹を摩る。完全に癖となった仕草に絮皐は既に意味を考える事はなくなっていた。

 何か不可思議な存在が燼の中にいて、燼には神子以外の役割があるのだと理解はしていたが、何故かなどと考える事は無意味と思っていたからだ。燼は自分が遠く及ばない崇高な存在という事だけが、絮皐の中で理解している事ではあった。

 が、理解はしたが、納得はしていない。


 燼は多くを語らない。絮皐はただ、側にいたくて全てを受け入れていただけだ。不老不死の存在である神子が不調になる訳がない。何かしら原因はある筈だが、その一切を絮皐は飲み込んできたのだ。


 しかし、絮皐は全てを単純に飲み込む事ができなくなっていた。

 殺されそうになった、あの日。その日を境に、絮皐は幾度となく燼を問い詰めようと試みたが、全て躱わされていた。

 絮皐は宮に着くなり燼を居室へと引っ張った。特にそれを嫌がる反応はなく、絮皐の歩く速度に合わせて隣を歩くだけだ。そうして二人きりになると、絮皐は燼を寝台へと追い詰めた。 


「燼、話があるの」


 燼を押し倒し逃げ場をなくす。もう何度目になるか分からない、話し合いの切り口を躊躇いもなく告げた。


 いつもなら、燼は笑って絮皐をあしらった。「他ごとに集中させてしまえば」とでも言わんばかりに、それなりのやり方で絮皐を手玉に取ってしまうのだ。

 だが、燼の様子はそのとは違った。


 絮皐に手を出すのでもなく、ただ、紅く輝く瞳が澄んだ眼で絮皐を見上げるだけだ。その様が何か覚悟を決めいているとしか思えず、絮皐の目からは涙が溢れた。

 ぽたり、ぽたりと、雫が燼の頬へと落ちていく。絮皐は、燼の目を見てはいられなかった。

 燼の上に体重をかけて覆い被さると、そのまま首筋に顔を埋める。

 と言っていた、その時が来たのだ。

 その時を、絮皐はどうするか決めていた。  


「私も、一緒に死ぬ」


 絮皐は幼な子同然に短絡的な言葉を吐くだけだった。しかも、自死を仄めかす。その言葉が、脅しでない事は燼も重々承知だった。

 燼の手が、ゆっくりとだが絮皐の背にまわる。そっと、右腕は壊れ物同然に優しく腕に抱いて左手は背を撫でた。


「……わかった」


 燼は背を撫でる手を止めて、絮皐の顔へと添えて、自らの方へと向くように促した。躊躇いながらも、目線を合わせる絮皐の目には今も涙が浮かんでいる。


「絮皐、明日だ。良いな」


 燼の青年の様相のままの声色に、絮皐は迷う事なく静かに頷く。

 それを合図か、絮皐は更に燼に引き寄せられ互いの唇が触れ合う。最初は優しく、次第に激しく。呼吸すらままならぬ程に深く交わるそれに、身体は芯から熱を持ち、頬には紅がさす。


 唇の隙間から色を孕んだと吐息と声が漏れ、次第に唇を合わせるだけでは物足りなくなる。情欲を煽られた燼は絮皐を組み敷くと、乱れ始めた絮皐の衣の隙間に手を差し込んだ。

 艶かしい身体の線にそって手を這わせ、更には熟れた果実を味わうが如く首筋に唇を這わせ、そのまま下へ下へと降りていく。そうして燼の手と舌が絮皐の淫猥な姿を晒し、絮皐は「もっと」と喘いだ。淫らな声が閨を埋め尽くし、その声は時に燼の名を呼び、時に愛を口にした。

 絮皐のその姿が、その声が、燼を只の男へと変貌させていく。

 

 二人は時を惜しみかの様に、離れ難く互いの欲を貪っては求め合う。絶え間ない情欲に思考は止まり、熱情だけが二人を動かした。

  

 そして燼は、最初で最後の愛を囁き、絮皐へと贈ったのだった。

  

 ◆◇◆


 風家邸 離宮

 

 祝融は、ふと頬に触れた感触で目を覚ました。

 違和感というよりは、優しく頬撫でる感触だ。寝起きの直後はそれが何かを一瞬判断出来なかったが、理解した瞬間に頬が緩む。


「眠れないか……」


 祝融はそろりと瞼を持ち上げる。その先にあるのは愛しい妻の顔だったが、不安を残したままの瞳はかすかに揺れていた。


「起こすつもりは無かったのですが……」


 互いに向き合い、寝台の温もりの中にあるというのに、槐の胸に残った恐れは消えてはいなかった。

 また、目覚めなくなっていたら。

 そんな恐怖が、槐には懇々と募り続けていた。

 祝融が目を覚ましても尚、一度芽生えた不安は簡単には消えてはくれない。その上、死がそこまで迫る状況下に置かれ、彩華も危うく命を落とす所だった。

 何もかもが、槐を不安たらしめる要因で溢れかえっていたのだ。


「槐、」


 祝融の穏やかな声音に槐の指が祝融からするりと逃げる様に離れるも、今度はその手を祝融が掴んだ。

 そのまま何も言わずに己が腕の中へと引き寄せ固く抱きしめる。


「槐、」


 もう一度、耳元で囁く。息遣いすら色濃く今を生きる肉体を表して、鼓動が重なる肌の上で脈打つ感覚をしかと感じる。

 生きた心地をまじまじと感じて、槐は漸く祝融と向き合った。


 初めて目線を合わせた時を思いだせそうな程に見つめ合い、槐はいじらしいまでに優しく祝融の腕を撫でた。それこそ、皮膚の上辺だけを触れている程に、そっと。

 規則的でない呼吸に、些細な動きで変わる筋肉の収縮。人らしく動き、そして槐の名を呼ぶ。


 その当たり前が戻ってくるのが、槐にはどれだけ待ち遠しかった事か。


 だからこそ、再び元に戻る事を恐れて槐には痼となった恐怖が蔓延り続けている。完全に拭い去るには時間が掛かるだろう。


 祝融は槐の顔を両手で包み込むと、そのまま口付けた。深く、深く。

 熱量の籠った吐息が重なり合い、唇が離れても尚、その熱は治りはしなかった。 

 今日は、だ。既に、槐の首筋や胸元にはそれらしい跡が幾つも残る。

 そこへ、祝融は新たな跡を重ねていった。己が生きていると知らしめる為、変わらぬ愛情があると示す為。

 甘い吐息が溢れ、乱れる寝衣からは柔肌が露わになる。それを祝融は見逃さず、乳白のように白く絹の様に柔らかな肌の上を、ごつごつとした骨太の大きな男の手が堪能するかのように滑らせた。

 剣を持つ逞しいその手。その手が槐が弱い箇所を弄り愛撫すれば、しなやかな女の肢体は更に熱を持った。


 夜は深まる。また、雪が降り始め寒さが厳しくなるも、熱に浮かされ愛欲の波に飲まれる二人には知る由もない事だった。


 ◆◇◆


 離宮の庭を白雪が染め上げる中、金属同士の打つかる音を前に、九芺と蟲雪は一心不乱に魅入っていた。

 吐く息の白さも忘れる程の熱意のぶつかり合いは、感嘆を齎す。祝融と彩華、剣撃と矛使い。どちらも加減などなく、喰ってかかる勢いに固唾を飲む。ただの手合わせ、と言った二人の形相は殺伐として恐ろしい。


 少し体を動かすだけだから、とは言ったものの明らかに本気である。特に、彩華の動きが数日前よりも速くなっている様にも見えるのだ。

 実戦でないからなのか、はたまたの影響なのか。それこそ男と見間違う程の剛腕を祝融相手に見せつけた。

 彩華が女である事など気にも留めない迷いなど捨てた祝融の一撃が、彩華の胴を狙う。が、彩華は彩華で相手が主人である事など忘れたと言わんばかりに簡単に上へといなすと、そのまま滑らせるように鋒を祝融を首へと向けた。 

 矛の鋒が祝融の髪を掠る。軽やかに避けてはいるが、二ヶ月の不調の影響か反応が遅くも見える。それを狙っている様で、二人は内心おろおろとしながらも見守っていた。 

 はっきり言ってしまえば、心臓に悪い。反面、目の前でやるのは止めて欲しいと感じつつも、その実力を羨んで寸分たりとも目は離せなかった。


 幾重にもわたり剣の重なる音を聞いた頃、


「休憩にされませんか」


 と、凛とした涼しい声が聞こえた途端、祝融と彩華の手がピタリと止まった。

 背後に下女を引き連れた槐が離宮から現れた事により、その瞬間まであった気迫は露と消え、二人の表情は一変して穏やかなものへと変わる。変面顔負けの早替わりに九芺は目を疑うばかりだった。


「明日出られるのですよね?怪我をしては元も子もありませんよ」


 槐が最もな言葉を並べて九芺はただ頷く。明日、祝融は彩華と九芺を共として、雲へと立つ予定としていた。

 何処の戦況も今一つ情報はなく、四つの何処を目指すかは悩んだが、結果として異能を持たない軒轅を案じる次第となった。

 

「出来れば今日にも出たい所だが」


 暫く眠っていたのもあり、現れた異形をどうにかしなければならないと言う思いもあって、祝融の身体は疼く。が、これには槐が顔を顰めた。

 

「何を言われるのですか、彩華の傷は本来ならば暫くは安静なのですよ!」

「判っている、だから道中はせめて九芺に任せるのではないか」


 祝融が叱咤される事は珍しく、しかも彩華の原因とあって彩華は気まずく目を逸らし下女が差し出す水を受け取る。身に染みる冷たさに吐く息は白く視界を染めては消えていく。


 その時、偶中の鐘が鳴った。

 これと言っていつもと変わりない音色に、その時刻を知らせる回数。

 しかし、ふと槐が何かを思い出したのか、目線を皇宮へと向けていた。


「どうした?」

「いえ……そう言えば、今日は姜家の集まりがあるとか」


 人から伝え聞いた話なのか、噂話のような取り止めのない話し方をする。


「誰に聞いた」

「いえ、昨日皇宮の本殿で、通り掛かった女官達がその様な事を嘴っていた気がして」


 槐は記憶を弄り、女官達の言葉を思い起こした。


「……確か、急に陛下が宴会だなんて……とか。新年が終わったばかりなのに、と。それで、姜家の事かと思ったのですが……」


 祝融は眠っている事になっている。呼ばれはしないだろうが、何やら雲行き怪しく、祝融もまた訝しんで皇宮の方へと目をやった。


「……異母兄上は、何か言っていたか」

「特には。終始私を気遣って、お話を聞いて下さっただけです。あの様なお優しい姿は初めてでしたので、驚きましたが」


 祝融と槐の祝言に、異母兄の三人の姿は無かった。ただの祝いの言葉すらなく、祝融と異母兄の関係は亀裂が入ったままだった。

 しかしどうしてか、それまで鬼の形相で弟を睨め付けていた男は終始穏やかなまま問答を続け、槐が話す真実を記録として書き留めていた。


「初めて、祝融様と道托殿下が似ていると思いました」


 祝融の視線が再び槐へと戻った。、祝融を睨め付けるでもなく、ただ声を掛けるだけの姿を見せた道托の姿は、見間違いではなかったのだ。

 

「……今度、話をしてみるか」


 祝融の心象に今一度異母兄三人と共に過ごした記憶が蘇る。もしかしたら――そんな想いを胸に再び祝融は空を眺めた。

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