唐紅を背負う一族 十三

「祝融殿下、槐様、志鳥が来ております」


 そう言って、白玉を手にした女官が寒空で手合わせを続ける者達の前に現れた。

 第八皇孫邸の残骸から掘り出されたそれは、神器として傷一つ無いまま祝融の手元へと戻ってきた。今にも嘴を開けたくてうずうずと待ち焦がれる白い鳥の黒い目は祝融をじっと見ている。

 

 嫌な予感がする。祝融はそう感じながらも、女官が差し出すそれに手を伸ばした。

 そして――


『殿下!今直ぐ鳳凰の間へ!!』


 左丞相の荒げた声が、端的に言葉を述べて鳥は消えた。

 不測の事態に祝融は剣を納める。その顔つきが険しくなれば、対面で祝融の相手をしていた彩華の顔つきもまた引き締まる。


「問題が?」

「恐らく。彩華、怪我はどうだ」

「全くもって問題ありません」


 彩華は矛を背に収めると、そのまま龍へと転じた。


「祝融様! 彩華! 何処へ!?」


 只事ではない様子に槐は慌てふためく。祝融は槐を気にしつつも、皇宮へと視線を向け黒龍の背に乗り上げた。


「左丞相だ。皇宮で問題が起こった。九芺、蟲雪、お前達は槐の護衛を」


 祝融は淡々と二人へと命じていたが、内心は胸騒ぎが波となって押し寄せていた。ざわざわと胸を疼かせ、何の根拠もない嫌な予感が焦慮へと押しやっていた。

 

「必ず戻る、心配は無用だ」


 祝融の焦りを見抜かれるよりも早く、彩華は空へと舞っていく。黒き龍が皇宮へと立ち昇る姿を、槐は祈る。

 

 何事も無く、帰ってくる様にと。

 

 

 ◆◇◆



 扉へと駆け寄った者達は、その向こうにいるであろう官吏達へと声を上げる。


「おい!開けてくれ!殿下の御乱心だ!!」

「殺される!」


 血相を変え、扉を力一杯に叩く。どうにかしてこじ開けようと、体当たりする者までいた。

 しかし、どんな事をしようとも、どれだけ声を上げようが叫ぼうが扉が開く事はなく、無情にも背後から押し寄せる恐怖が直ぐそこまで迫る。

 扉は開かない。唯一の出口であるそこで、犇めき合い助けをこう。

 一縷の望みもないまま、血に塗れた姿を晒す二人が処刑人にでも見えた事だろう。狂気の渦は恐怖をも飲み込む。老若男女、女子供問わず恐怖の色に染まったまま――

 

 

 神農にとって、これ以上に心苦しいこともなかっただろう。大切でない血など、一つとしてなかったのだ。それを、自らの責として全てを摘み取らねばならなかった。

 

 たとえ、赤子の血であっても。


 血が濃く影響を受けている可能性があるならば、遺恨が残る。情けは後に怨恨となって膨れ上がる。

 たった二人が花でも手折るが如く、軽々しく命を摘み取っていく。二人は神農の目から見てもただ無心であった。蟻を踏み潰す程度に感情を沸かせず、これが責務と言い聞かせている。

 儚くも散りゆく命は大小問わず、惨たらしい死に様だけが残る。

 積み上がる死体と鮮血で埋まる床。そして、ゴロゴロと転がりゆく頭はどれも恐怖の色を残したまま死に絶える。

 辛くも、悲しくも、神農はその手を伸ばす事叶わず、ただ眺めるだけであった。


 そして、残された血は最後の一人となった。


 物言わぬ屍を眺め責務を終えたと知ると、道托は剣を捨てた。

 カラン――と静寂の中に虚しく金属の音が響く。鮮血で染まった床には水鏡が如く、道托自身の姿がくっきりと映っていた。

 そのおどろおどろしいまでに、べっとりと血に塗れた姿を見ても尚、道托の瞳は揺らがなかった。その血を辿る目線は神農へと辿り着く。

 愚直なまでに真直な男は、神農へと向くと深々と揖礼した。言葉は無い。道托のその姿こそが神農への忠誠心そのものだった。

 そうしてゆっくりと顔を上げた瞬間。

 背後で偃月刀を構えていた燼は、躊躇なく道托の首を落とした。


 一人、高みで景色を眺める男は眉ひとつ動かす事なく、全てが終わるまで終始眺めているだけだった。

 一族の終焉。一族に業を背負わせた事を悔い、神農は目を伏せた。



 ◆◇◆



 祝融が鳳凰の間へと辿り着くと、多くの官吏が入り口を埋め尽くしていた。その筆頭に左丞相はいた。

 ひしめき合い、響めいていたが、一人が祝融を見つけた途端に、声は静まった。


「殿下、」


 左丞相の一声で、人集りは左右に別れ扉への道が開かれた。祝融が眼前を通るだけで小さな騒めきが起こるも、祝融の目と勝ち合うと途端にその声の主は縮こまり口を閉ざす。

 その巨躯の恐ろしきか、それとも見慣れぬ龍の鱗を持つ女が珍しいか。


 祝融はそんな小さき事を気にしている余裕はなかった。左丞相が待つ、その扉。


「左丞相、何があった」

「殿下、扉を」


 祝融は扉に触れると、掌が熱くなった。封印が、しっかりとかけられどう足掻いても開かないのだ。


「中の様子もわかりません。その上、私程度では封が外れませぬ」


 左丞相とて、風家の末裔である。それなりの力はある筈だが、とても及ばずと珍しく憂慮な表情を見せる。


「何の為に、部屋を封じた……か」


 祝融は触れていた扉に力を込めた。バチリバチリと閃光が散る。

 祝融の手の内でどれだけ力を込めようとも中々外れない。焦燥に苛まれたか、左丞相が手を出そうとして時だった。


 激しい稲光にも似た光が一瞬にして破裂した。余りの光に多くのものが目を覆い、力無くその場へと座り込む。


 封が解けた。

 と同時に、その場に嫌な匂いが立ち込めた。


「……血の……匂い」


 祝融は言うが早いか、扉を開けた。


 その目に飛び込んできたのは、言葉で言い表せるものでは無かった。


 何が起こっている。祝融は、一歩部屋へと踏み入れた瞬間に違和感を覚え目線を落とす。ぴちゃんと音を立て、波打つ程に一面が鮮血で染まった床。

 その先は、そこかしこに転がった屍。死に様をそのままにした頭部が転がり、もはや恐怖の色で誰が誰かも判らない。そして首の無い屍肉となった亡骸が重なり合い数えきれないまでに幾つも横たえる。


 惨たらしい一族の亡骸を前に祝融は言葉を失った。隣に立つ彩華も、左丞相もただ茫然と鳳凰の間を一望することしか出来なかったのだ。


 そして、祝融の目線がゆっくりと鳳凰の間の中央に立つ男へと辿り着いた。

 元の色が分からぬ程に赤く染まった衣を纏う、その姿。変わらず煌々と紅色に輝くその瞳は虚無の中にある。

 神子など程遠く、鮮血で染まった姿をしても尚その男――燼は無心で佇んでいた。


「燼、そこで何をしている」

 

 理解し難い状況の中、燼の姿が全てだった。刃先どころか柄まで赤が滲む偃月刀は、すでに血が固まり赤黒く変色しつつある。

 その状況を見れば一目瞭然であろう。祝融も、燼が何をしたかなど問いたださずとも理解していた。けれども、惨劇の仔細を燼の言葉として聞かねば、すんなりと飲み込めるものでは無かった。

 一言、自分ではないとでも言って欲しかったのかも知れない。祝融は燼の口が動くのを待った。けれども、燼は何も答えない。

 沈黙を貫いて――と言うよりは、無為なる姿で祝融の存在すら認識していない様子だった。ならばせめてと、祝融の目線は神農へと移った。

 燼の背後の玉座、そこには神農が静かに座す。神農が祝融の考えを払拭してくれるかもしれないと期待をしていた。


 ――そんな筈は無い、そんな筈は……

 

 燼が一人、姜一族全ての首を刎ねたなどと言う事実は無かったのだと。


「陛下、皆は……」


 祝融は一歩、くつが赤く染まるのも気に留めず、神農へと近づいた。

 その最中、祝融の目線は落ちている首を一つ一つに目を配った。

 その恐怖の死に顔に祝融は歪む顔を抑えきれず、上位の者達の席へと近づくにつれて、燼に近づくにつれて祝融は見知った顔を見つけて立ち止まった。


「……異母兄上あにうえ


 首を落とされたまま乱雑に捨て置かれたその首。久しく見ていなかった利閣は恐怖を、道托は穏やかな死に様を残して転がる。


 足が止まった祝融を見てか、神農は嘆息する。空虚に吐き出した息は静寂を断ち切り、愕然と立ち尽くす祝融の目を神農へと呼び戻すには十分だった。

 否定し続けた考えを打ち消すにも、十二分だった事だろう。将軍である道托を殺せる者など限られる。

 

「陛下、何故この様な真似を」


 喉から搾り出した声は、動揺を隠しきれず今にも絶望へと引きずり込まれんばかりに弱々しい。最早、悲しいのかどうかすらも祝融には分からなかった。かといって、燼に向ける感情が今にも烈火の如く燃え滾りそうでならない。

 はち切れんばかりに忙しなく精神が揺れて、思い通りに感情を抑える事も出来なかった。

 そのしじま――


「……祝融、時が来たのだ」


 重厚なる言葉が、始まりを告げた。

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