唐紅を背負う一族 九

 異形はどれも恐ろしき存在であった。四方に散らばっていたが、それはゆっくりとだが皇都を目指していた。

 それぞれが、強大な異形を前にそのいく手を阻もうとするも、首を落としても再生する。それ程に力を持った存在を目の当たりにして、気力ばかりが奪われていた。


 西方 雲省 高麗山


 西に、檮杌とうこつ

 地響きを立て、獣に似た姿をした異形が雪で覆われた野山をかけ回る。無邪気なようで、そうでない。


 生きた何かを見つけては、頭からがぶり。

 

 目につく全てを喰らっていた。

 山は血塗られ、赤く染まる。そこら中が白雪の冬色で染まっている山の中、鮮血の赤はよく目立つ。

 そして、動く人の姿も良く見えた。


「兵士はできる限り離れよ!!」


 山中で、怒号がこだました。

 檮杌を討伐する為にかき集められた兵士の数はおよそ五百。既に半数まで減った軍の勢いは弱まり、怯えてまともに剣も持てない者も増えていた。檮杌は強きも弱きも、見境なく喰らったのだ。それこそ、巨大な牙に生きたまま串刺しにして、うまくいくと頭を回して人を痛ぶった。

 まるで、殺しを楽しんでいる。


 亡骸ばかりが増え、その恐怖で妖魔が山から生まれた。


 すでに、その妖魔にすら兵士は怯えている。

 恐怖が恐怖を呼び、また死人が増える。


 その中で、若々しい男の姿が白龍の背の上に立っていた。ふう校尉。彼は、平民にして不死と異能を授かって生まれた者として校尉の地位まで上り詰めた男だ。

 手には、大弓。最大限まで弦を引くが、肝心の矢が存在しなかった。

 しかし、一度彼の指が弦から離れると共に、一陣の風が通り抜けた。それだけではない。風の矢。太い木の幹程ある鋭い矢が幾重にも重なって、異形へと降り注いだのだ。


 檮杌に見えない矢が幾つも刺さる。だが、どれだけ急所を狙おうとも、その傷は僅かな時間で再生されていく。 

  

「くそっ」


 馮校尉は龍の背で地団駄踏みそうになった。ままならない状況で、悪態だけが口から飛び出す。


「馮校尉、集中しろ」


 白龍から、叱咤が飛んだ。同僚である女の声を聞いて、馮校尉は「ふう」と大きく息を吐くと、再び構えた。

 どうにか足止めしなければ。


 檮杌は移動を始めていた。真っすぐに東に向かうが、目的は知れない。ただ、このまま檮杌が歩みを進めれば、村や街に行き当たる。

 そうなってからでは遅いのだ。


 馮校尉は感覚を研ぎ澄ます。風の向き、流れ、で檮杌の姿を捉える。

 動きを止めるには、脚。怒らせるならば、再生が遅い牙。

 ピンと張られた弦がつるねを鳴らして、再び風が吹き抜けた。


 豪風が再び檮杌へ降り注ぐ。それこそ、牙を折り、左前足を撃ち抜く。風では地に業魔を縫い付ける事はできない。が、しかし。足止めには成功したようで、けたたましい嘶きが山中に広がった。矢張り、牙だ。


 前脚を同時に狙った事が功を奏してか、檮杌はその場で暴れるだけだ。


 其の隙を馮校尉の背後で待ち構えていた、金龍と白龍の二人。

 其の勢いは風に負けぬものがあった。目を見張る速さで、脚の再生を待つ檮杌へと突き抜けると、その肉の上に辿りつくよりも早く、人の姿に戻る。


 金龍――軒轅は、ボソボソと口を動かす。その身に宿る神血を呼び起こし、剣に宿した。

 勢い衰えぬままに、軒轅はその肉塊に剣を突き立てる。


 激しい閃光が檮杌を包んで、途端に静かになり、『うっ、うっ』と苦し気に呻く。


「今だ!!」


 雲省軍を纏めるとう将軍の声が轟くと、上空、馮校尉の背後で身構えていた者達が一斉に均衡の崩れた檮杌へと襲いかかる……が。


 檮杌が均衡を崩した、その腹の下。地面にて影になった部分がどろりと動き始めた。

 

「引けー!!」


 軒轅の声が張り詰める空気の中でこだまする。どろりとした影は瞬く間に広がり、檮杌に群がる者達目掛けて影が伸びた。

 地面に這っていた影は浮き上がり、形となる。それはいつしか棘となって、一人一人へと突撃した。

 その鋭い影に、一人が腹を抉られ、一人が頭を貫かれる。


 そして、檮杌の背の上で檮杌の動きを止めていた軒轅にまでも、その影は伸びた。研ぎ澄まされた、それに軒轅は退かなかった。

 退けは状況は悪くなるばかりだ。


 その手により力を込め、より力を注ぎこんだ。

 そこまでして漸く檮杌の動きが鈍くなった。それでも、油断はできない。


 軒轅は一時も気を抜いてなどいなかった。

 軒轅は何かを感じ、すっと頭を僅かに右にそらす。その一寸の間も置かぬ後に、軒轅の顔の横を棘が金の髪を散らし通り抜けた。

 矢張り気が抜けない。が、僅かだが封印術に向ける意識が逸れた。


 その僅かな隙すら軒轅は許せなかった。

 不必要な犠牲を増やしたくなかったのだ。どっしりとその場に座り込み、全神経を檮杌に向けた。

 そうして、再びぶつぶつとことばを唱える。

 始祖より賜りし、古き龍の詞。


 その隙だらけの男を、檮杌は見逃さない。今動けないのは、その背の男と知っているのか、全ての殺意を檮杌は自らの背に向けたのだ。


 だが――影が、止まった。

 轟々と雷でも落ちてきそうな程の音が、檮杌に光となって纏わりついたのだ。


「……よう、我慢くらべといこうか」


 封印があっても尚、檮杌は動いた。それこそ、軒轅は額から汗を流し、精神にまで影響するほどに力を使っている。此処に神血を持つ者はただ一人。


「軒轅様、無茶は――」


 唐将軍が龍に転じて軒轅と同じ目線まで舞い上がった。だが、帰ってきたのは鋭い眼光だ。


「無茶をせねば、これは止まらん」


 幾度となく視線を掻い潜り異形を殺した男は、微塵の油断も許さない。


「馮校尉に、これの手足を捥げとご命令を。他は、妖魔討伐を」


 凄まじい気迫を前に、唐将軍は生唾を飲み込む。唐将軍とて多くの視線を掻い潜り抜けてきた。そう思っていたが、場数が格段に違うのだと思わざるを得なかった。


 ◆◇◆


 東方 桜省 豊邑山


 東に、窮奇きゅうき


 虎の様で翼がある。鴉の如く黒い翼を大きく広げ縦横無尽に空を舞う。その翼を一振りする度に、豪風が吹き荒れた。

 その風をまともに受けると、龍ですら地へと落とされる。正に嵐そのものと言っても過言ではなかろう。


 雪が残る山中へと落ちた黒龍へと目掛けて、窮奇は加速して地に舞い降りる。そうして、首をへし折り、動けなくしてから痛ぶり、その腹を潰した。

 山に龍の悲鳴が響く。腹を潰しただけでは死ねず、痛みで蠢くが腹を押さえつけられ終いには、喉を齧られ頭から食われた。他の者が助けようとすれば、それこそ翼を羽ばたかせて邪魔立てする。


 意地汚く龍の肉を貪るのだ。しかも、少し食うと飽きるのか、動かぬ屍となったそれに興味を無くし、また飛び立つ。

 そして、その舞い上がる力でまた業風が巻き起こる――のだが。


 何かが窮奇の足を捕まえた。青々と茂る草木がそこら中から窮奇を捉えたのだ。その中で、一等太く力強い蔦が窮奇の足から腹へと絡みついていた。

  

 窮奇は暴れた。

 それこそ、ただの草木はぶちぶちと切れては、陰気に当てられ枯れていく。冬は、山が眠る。草木もまた、弱々しく最後の命を使い切って鸚史の命令を受けていた。

 しかし、蔦だけはどんどんと太くなって窮奇を苦しめた。翼を絡め取り、風邪を起こさぬ様にボキリと手折る。

 その蔦の先、鬱蒼と茂る木々の奥より一人の男の声が鳴った。


「散々殺しやがって……」


 風鸚史へと道を開けるかのように、草木が横倒しになり道を作る。蔦は鸚史の手中へと繋がっている。その手中にある種が鸚史の腕に絡みつき、窮奇へと向かっていたのだ。

 鸚史は横に転がる龍の亡骸が視界に入り、殺意が腹の中で膨れていった。


「風左長史、」


 背後で玄家の男もまた、今にも恐々とした姿で転じそうなまでに怒りを露わにしていた。同族が殺されたのだ、致し方ない。


「直ぐに首を落としましょう」

「……ああ」


 鸚史は、違和感を覚えながらも頷いた。

 あっけなさすぎる。


 黒龍族の武官である男が鸚史の前に歩み出て、鞘から引き抜いた大刀が鈍く光った。


 気づけば窮奇の周りは武官で囲まれていた。桜省所属の者、皇都より選ばれた玄家の者。それぞれが窮奇へと闘志を向け、また黒き龍の亡骸に鸚史と同じく殺意を抱く者もあった。


 玄家の男はその大きな体躯を見上げて、容易には切れぬ首を前に喉を突き刺す事にした。果敢にも喉ものに近づき、今にも喉に剣を突き刺そうとした時だった。


 ぶちんっ――と、蔦が切れた。

 その勢いは、並大抵ではなかった。玄家の男が喉元を突き刺すより早く、その頭をかじり取られていた。

 頭蓋を咀嚼する音が、そこらで響いて、誰もがその光景に言葉を失い青褪める。 

 わざとらしく、ごくん――と音立てて咀嚼を終えると、それは人の――男の声で高らかに笑ったのだ。

  

 まるで、誰かが近づくのを待っていたとでも言うのか、安易に近づいた玄家の男を踏み躙り獲物を物色する目で窮奇は辺りを見回した。


 その窮奇の目線はその中で唯一の異能を持つ、鸚史をしっかりと捉えていた。


 窮奇は一段と力を込めて翼をはためかせる。それこそ、重々たる樹々を薙ぎ倒そうとするほどだ。目の前で巻き起こる嵐に、龍は飛び立てず、誰もがそこに止まるで精一杯だった。


 その中で、鸚史の目線は窮奇を捉えたままだった。

 懐より、深き緑色の巾着を取り出すと、その中に手を入れた。

 鸚史が摘んで取り出した物は、種だ。


 新たな種は一度鸚史が力を込めると一瞬で芽が出て、瞬きする間に太くしなやかな蔦を張り巡らせ、凌霄りょうしょうの花を咲かせた。その美しさとは正反対に、鸚史は闘志籠る瞳は雄々しく窮奇へと向かっていた――

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