唐紅を背負う一族 八
彩華は自らを眺め終わるとする事もなく、寝台に寝そべった。一人で暇を過ごす事程、憂鬱なものもない。
しかも、此処が風家邸であると鑑みれば尚の事だった。
風家の庭園は美しい。だからと言って、怪我に塗れた状況で出歩こうものなら、槐に叱られる。
叱られると言えば可愛らしくも聞こえるが、実際は無言の圧力を前に屈しているとも言える。
実の所、痛みはそれ程でもなかった。痛みに慣れてしまったと言うのと、痛み止めがしっかりと効いているのも相まって、ただ暇なのだ。
しかも、首を怪我している状態で目を酷使してはならないと言う理由で、客室に用意してあったであろう書籍は消え去り書棚は虚しくガランとしていた。
「ひま……」
と、思わず呟く程。此処連日まともに休みもなかったのもあってか、反動で何も出来ない休みが、ただただ窮屈でしかなかった。
そんな折、扉の外から声がした。もう一人の暇を持て余しているであろう男の声で「今大丈夫か」と告げた。
勿論大丈夫である。彩華の了承の声を受け、祝融は扉を開けると背後の二人の入って来るなと、閉め出していた。
「あまり虐めないで下さいね、人手不足ですので」
苦々しく人を遠ざける姿が珍しく、彩華は寝台から起き上がり腰掛けながらも茶化して笑った。
「らしいな、不慣れなのが手に取るように判る」
はあ、と嫌味たらしげに息吐く男は、寝台すぐそばの椅子に腰を下ろすと、彩華の手や首へと目を落とした。
どっしりと構えて座ったかと思ったが俯き加減に膝に肘付き、己の手で顔を覆った。
「それは……治らんのか」
「らしいです」
重苦しく躊躇って息吐く祝融と違って、ケロリとした顔で煩わしさも見せない彩華は対照的だった。あまりにも軽率に言うものだから、祝融が顔を覆っていた手を下ろした時には眉間にしっかりと皺が寄っていた。
「御史大夫は何と」
「次は、覚悟しろと」
「彩華、一言一句、御史大夫の言葉を正直に言ってみろ」
流石に適当と取られたのか、祝融の顔は眉間だけでは収まらず、徐々に全体に険しくなっていく。
「神々に与えられた
「それだけか?」
「……自愛せよ……と」
「ほう、色は違えど同種族としてお前の事を想うていらっしゃる。で、お前は、何を思った」
彩華は答えられなかった。自愛など、無い。必要ないのではなく、元々持っていないのだ。
「私は、祝融様にこの身を賭してお仕えすると決めております」
「履き違えるなよ。お前が誓ったのは忠義であり、俺が受け取ったのは覚悟だ」
命を捨てる行為など愚行である。祝融の厳しい物言いに、彩華もまた冷たい目を見せた。
「命を賭けるとは、命を捨てると同義にはならん」
彩華も、何もその言葉が間違っているとは思っていない。ただ、己が事になると、頷けなかったのだ。
――私の命一つで済むのなら、それで良いじゃない
虚な心は未だ底根に巣食う。悪き心よりも忌々しく纏わりつき、静かに心を食らい続ける。
その根底にあるものを、祝融は理解していた。
「雲景が死んでしまったからか」
祝融がポツリと零した言葉に、彩華は目を見開き祝融を見た。
「俺が眠っていた、二ヶ月。お前には悲しむ間など無かったのだろう。それこそ恥ずべき姿だと思い、気丈に振舞って過ごしたのだろう」
「……それが、勤めでございます」
「では、威神に呑まれたと言ったな、それは……お前がまだ悲嘆に暮れている事が原因ではないのか」
「……いけませんか?」
「いや、俺も……同じだ。雲景とは……それこそ子供の時からの付き合いだ」
祝融の哀傷の籠った声に、彩華は目を逸らす事は出来なかった。
「俺は、雲景の死の瞬間を見た。助ける事も出来ず、一瞬の出来事でどうする事も出来なかったんだ。ただ、後少し……早く辿り着いていれば助かったのではと、後悔ばかりを考える」
彩華の頬に一筋の涙が雫となって流れ落ちる。そうすると、それまで堪えていたものがぼろぼろと続きざまに溢れてきた。
「私、ほんの少し遅かったんです……後少し早かったら……って、」
同じ後悔を、祝融も抱えていた。もし何か違っていたら、まだ生きていたかもしれない。彩華は後悔と共に、雲景と共に過ごした僅かな日々が浮かんでは沈んだ。
本当に、僅かな時間だった。雲景がいなくなってから、彩華の胸の内にあった想いは強くなり、後悔がより胸を苦しめた。
「わ……たし……もっと……雲景様……と、一緒に……いたかった」
「ああ、俺もだ」
「……なんで……いつか、そうなるって……わかってたのに……」
彩華は嗚咽混じりに話し続けた。胸を掻きむしり、そこに悲しみが痼となって自らを苦しめているとでも言うようで、祝融はその手を押さえた。
「雲景は、お前と共に生きて幸せそうだった」
祝融に掴まれた手に温もりが伝わっていく。彩華は、ただただ、涙を流し続けた。
「お前の覚悟は知っている。だからと言って、命を捨てるような真似はしないでくれ。俺がお前を殺す時は、俺も自ら首を落とす覚悟だと思え」
再び、祝融の目には気迫が宿っていた。その目の厳粛さが、祝融が如何に篤実であるかを物語る。
「……脅しじゃないですか」
「ああ、そう思っても良い。それで犠牲が減るならば、構わん」
彩華は涙ながらに微笑んだ。
「そうですね……」
この悲しみは、決して消えやしない。けれど、まだ己には誓いが残っている。
それこそ、彩華の意志であり、祝融のそばにある意味だ。
祝融がそっと手を離すと彩華は涙を拭い、その瞳に気概が籠る。あの日、祝融に跪いたその日と同じ、力強さがそこにはあった。
「あの日の誓い、決して違えません」
何があっても。彩華は再び胸に誓う。
◆
「……それで、祝融様のお加減はどうなのですか? 此処に来る前も、歩き回っていたのでしょう?」
今も彩華の涙で濡れた目は赤く腫れぼったかったが、声だけは、はきはきとしていつも通りだった。
「問題ない。
「……」
「なんだ其の目は」
じっとりじめじめと湿気った疑いの眼差しを彩華が向けるものだから、祝融は不満げだ。二ヶ月眠った直後に歩き始めたのだって目で見なければ疑わしい程だったのに、健康状態が良好などと言うのも虚言に聞こえて仕方がなかったのだ。
「……お前はどうだ」
「私も、痛みはそれ程。寧ろ、この右腕がどうなっているのか試したいぐらいです」
彩華も中々に図太い発言だった。寝台の上は暇で仕方がないのだと訴える。
「私の痛みなど大した事はございません」
それはそれで疑わしいものだったが、祝融もまた必要以上の心配が不要だった。本当に身体の調子は万全なのだ。それは彩華も同じなのだろう。
「……昨日の異母兄上の様子、あの様な表情は……久方振りに見た。何か、変化が起こっている可能性がある」
「まだ、事は起こると?」
「四方の封がどうなっているか知る機会があると良いのだが……今の俺には伝手が左丞相ぐらいでな。戻られたなら、次第を確認する」
ギリリと歯を食いしばる。こういった時、祝融は自らの地位のなさが不甲斐ないと思えて仕方がなく、力の無さを痛感する。
何も出来ない歯痒さ故か、じっとはしていられない性質も生まれたとい言うものだろう。
「そう言えば、槐様は如何されました?」
「皇宮へと聴取に呼ばれた。左丞相と共に登城したままだ」
だから余計に暇なのだと、男は言った。
そして現状動けない状況で、祝融は穏やかな空が映る窓を眺める。遥かなたにあるそれぞれの封印の地へ赴いた者達。沙汰も分からず、何が起こっているのかも連絡はない。
「……四方で封が解け、皆……どうしているのか」
祝融の目線と一人言で、彩華も同じく空を見上げた。
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