唐紅を背負う一族 七

 祝融達がその場を離れた、その後の事。

 道托は第八皇孫の宮の被害状況及び業魔の死骸の始末、その他の状況確認等、全ての指示を終えると、一人、皇帝宮へと向かっていた。

 皇都で起きている全ての騒動に決着をつけるべく、その元凶を知っているであろう人物。それは――


 先触れを出していたわけでは無いにも関わらず、宮に着いて早々に道托は中へと招き入れられ、更には神農の元へと案内された。

 その神農の居室で、神農は神子燼と共に道托を待ち侘びていた。至極当然に神農と神子燼は対面して座っている。益々妖しい姿へと変貌する神子燼が何よりも疑わしく見え、更には平然と其の男を居室へと招き入れる祖父もまた何かが違って見えた。

 道托は無礼を承知で文言をぶつけるつもりでいたが、そんな道托を見透かして神農は静かに下位の椅子を勧める。


「道托、今も菓子は好きか?この時間では、あまり種類が用意出来なくてな」


 幼な孫でも遊びに来た台詞の上、卓の上には砂糖漬けの果物や月餅がささやかにも並べられている。道托にもある庭園での思い出が懐かしく蘇るも、自らがを手に掛けた事を思い起こすと、其の思い出は滲んでいった。


「趙雲を殺しました」


 道托は佇んだまま、悲しみもなく申し述べた。実際、道托の中には哀愁は微塵も無く、同族が一瞬で業魔となった事実が道托を責め苛み、ただ単調に自らの罪を告白する。

 そして、神農が言葉を紡ぐより早く、続け様に纏まりのない思いも同然に言葉を吐露し続けた。


「一体、我一族はどうなっているのかを教えて頂きたい。小岳と良楽が祝融おとうとを暗殺しようと目論み、業魔と化した。そして、其の死に様を見た趙雲が今度は業魔となった。以前、阿孫が業魔となったのも真実であり、更にはこの皇都で起きている事象は全て……我々一族の責……なのでしょうか」


 道托の思考は清廉と澄んでいた。言葉を口にする事に何の迷いも生まれず、寧ろ何故、今まで、異母弟おとうとをあれ程までに嫌悪したかに疑念が湧く。


 ――何故、あれ程に祝融を殺したいと思っていたのか


 名を呼ぶ事すら忌避し、存在を否定した。呪縛が解けたとでも言えば良いのか、明瞭とした思考を取り戻した今。道托は目の前に座る者達に腹の内を晒してもらわねばならないと感じていた。


 重たい視線がぶつかる。

 神農と道托。幼な孫であった姿は程遠く、一介の武人たらしめる姿を纏う男は、祖父ではなく皇帝へと拝謁するが為、膝を突く。


「陛下、私は皇都を護る武官の一人としての民をこれ以上無闇に傷付ける要因を見過ごせません。ましてや、其の根源が我が一族となれば、始末を付けねば」


 既に覚悟が此処にあると、一人の武人が言った。

 それに自分が含まれていると知っていても直、其の決意は揺るぎなく眼差しにすら不動の信念を宿す。


 神農は静かに目を伏せた。


『国の為、民の為に生きよ』そう言い聞かせてきたのは、紛れもなく神農自身だった。決して驕らず、其の力を活かせと言い続けてきた。何も犠牲になれと言う意味では無かったのだ。


 しかし、神農も決意せねばならなかった。

 神農は立ち上がった。それこそ、一族随意一の肉体を持つ其の姿は雄々しく尊大な様を見せ、跪く道托を頂点から見下ろした。


「道托。お前は今、死を命じられたならば死ねると申すのか。父を、子を殺せと命じられたら殺せるのか」


 抑圧的なまでの凄みを見せ、神農は道托へと向き合った。


「それが、国の為になるとあらば」


 不動の姿がそこにある。

 不倶戴天の宿命に晒された一族の終わりが近づいていた。  


 ◆◇◆


 騒動から一夜明け、祝融は本当に眠っていたかも怪しい程に背筋を伸ばし歩き回っていた。それどころか、「剣を振るから貸せ」と、怪我をした彩華に変わり臨時の護衛を承った蟲雪と九芺に詰め寄った。

 二人とも、元は皇族の従者などという硬い仕事ではなく、かたや蟲雪は解家の私兵であり、九芺もまた妖魔討伐の力量を黄家に買われた分家の末端でしかなかった。


 どう対処して良いかも判らず、うっかり腰から剣を外して渡しそうになる。が、同時に皇妃槐と、従者である彩華の顔も浮かぶ。今日だけで良いから、無茶はさせるなと口を酸っぱくして言われているのだ。

 しかも、今いる場所はいつもの外宮ではなく、風家の一角にある離宮なのだ。


 騒ぎが起きれば、風家当主に何を言われるかもわかったものでもない。

 どれだけ丈夫な身であろうと、二ヶ月の間眠り続けていたという事実だけは変えられないのだ。二人が口にしなかった不安を思えば、蟲雪と九芺は詰め寄る祝融を堪える事が出来た。まあ、苦しげではあったが。


 祝融は風家の庭園を暇つぶしの為に歩き回った。少しでも良いから身体を動かしていたかったのもある。元より、じっとひとつ処に留まっている事が出来ないたちだ。

 しかし、いつもと違う気配が無言で背後を付き従うと言う事だけがむず痒くて仕方がない。


「それで、そうやって一日後をつけて回る気か」


 祝融は従者としても不慣れな二人を突き放そうとわざと嫌味たらく吐露するも、それを九芺ははきはきと言い返す。    

  

「奥方と彩華女士に言いつけられておりますので」

「俺の命は聞けんのか」


 確かにそうだが……と、九芺は困り顔で答えに悩む。立場の優位性で言えば、確かに祝融の言は正しい。すると、蟲雪がぽろっと言った。

  

「現状我々が優先せねばならないのは彩華女士の命ですので」


 そう洛浪に命じられたのだと惜しげも無く言う。祝融を前にしても怖気もせず、けろりと言い返す様に祝融は仕方なくまた庭園の散策を続けた。


 しかし、矢張りどうしてかむず痒い。いや、物足りない。

 祝融が眠っている間に、事は大きくなり、軒轅と洛浪は遠方へと旅立ち、彩華は怪我を負ってしまった。燼は、皇宮の奥底に潜んだまま。

 そして、永く友人だった雲景は――  


 祝融は離宮へと踵を返すと、颯爽と歩き始めた。すると、二人も無言で付き従う。それが嫌いだ、とでも言い放ちそうで、祝融は己の余裕の無さに呆れ果てた。

  

 彩華もまた、離宮にて匿われている。その方が、祝融が今も昏倒していると言う状況がらしく見えると言うのもあったが、純粋に症状が芳しくないのもあった。


 ◆


 彩華に用意された客室で、白髭を蓄えた黄御史大夫は、彩華の右手を自らのそれに乗せ観察していた。

 寝台にペタンと座る寝衣姿の女人を前に、御史大夫は逞しい体付きで残念だと惚けた調子を見せる。彩華が御史大夫を前にしても、怖気付かず平然としているのが、少々面白くなかったのだ。

 診察とまでは出来なくとも経験豊富な龍人族であり事情を知っていると言う理由だけで、御史大夫は彩華の眼前に現れた。龍人族も怪我をすれば医者に掛かるが、彩華のそれはではなかった。


「……危うかったのぅ」


 黄御史大夫は皮膚の代わりとなっている黒い鱗を指先で確認しては、うーんと唸る。その度に、癖なのか貯えた髭を上から下へと繰り返しさすっていた。

 

 彩華の右手から首の根本辺り、そして寝衣で見えないが右腹部、そして右太腿。部分的ではあったが、彩華は人の姿に戻っても尚、黒龍の姿同然の黒い鱗に覆われたままだったのだ。


「事例は少ない。あと少し遅ければ、女士は戻れなかったやもしれんな」

 

 黄御史大夫が手を離すと、今度は彩華が自らと其の手をまじまじと見る。ひらひらと掌と甲を繰り返し反転させては人と龍とが一体となった其の姿に違和感こそあれど、物珍しげに見つめるだけだった。


「身体の感覚はどうだろうか」


 彩華は鱗となった肩をぐりぐりと左手で押さえ回してみる。いつもよりも調子が良い様な感覚もあれば、己の肉体でない様な感覚もあり、よくは分からなかった。

 

「……少し、軋む様な気がします」

「見た目だけでなく、内側も変じている可能性もあるな」


 黄御史大夫は悩ましげに顎に手を当て俯くも、当の本人である彩華は、大して気にも留めていない。

 其の姿を危惧したのは寧ろ御史大夫の方だった。


 「龍人族は、神々に力を与えられた存在とも言われておる。神の威神いしんに飲み込まれた時、龍本来の姿が現れる。次、同じ事があれば戻れないものと思いなさい」


 ピシャリと御史大夫が厳しく言い切る。彩華を慮ってではなく、皇孫殿下にお仕えする身としてであろう。もし、次其の様な事態となれば、彩華の首を落とすのは祝融の可能性もあるからだ。

 

 彩華は己が咎を観るのをやめ、御史大夫に真っ直ぐ向き合うと「心得ております」と答えるが、其の姿は真摯とも愚直ともとれた。自らを顧みない姿に御史大夫の眼光はより鋭くなる。


「ご自愛されよ。でなければ、其の牙と爪を殿下に向ける事にもなり得る。後悔したまま死ぬ事だけは決して無き様に」


 其の言葉を聞いても尚、彩華は勿論ですと軽く答える。

 既に、心に決めた何かがある者に対して、御史大夫は自らの声の意味のなさを知ると、今日ぐらいは養生せよとだけ告げて部屋を出て行った。


「自愛……ねえ」


 彩華は一変してしまった己の右半身の姿を再度まじまじと指先から、肩の付け根に至るまで順を追って左手の指でなぞっていた。

 鱗は皮膚と違って上辺は冷たく、硬い。それでも、筋肉の収縮と共に波打つ感覚だけがある。骨の軋みというよりも、鱗同士がぶつかる感覚が、龍の姿とは違って細かく感じられていた。


 そうやって眺めていると御史大夫の言葉は霞んでいった。自愛など、彩華にとって一等遠い言葉でもあったからだ。

 

 もし、次に同じ事があれば――彩華は己を捨てて其の力を利用するだろう、そう決心していた。

 例え、主人の手によって殺される結末だったとしても――

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