唐紅を背負う一族 二

 姜家は、元より武に長けた遊牧民だったという逸話がある。

  

 遥か太古の世、それこそ神々の御代が現世にあった時代。まだそれぞれが小国として成り立ち争う中、彼等は馬に乗り野を駆け、家畜を飼い、自由をこよなく愛する一族であったという。

 まつりごととは掛け離れた暮らしの中、神々の威光に当てられた妖魔や異形を武を持ってして滅するという武勇で小国に名を轟かせ恐れられていた。


 まだその頃、白仙山は神住む山ではなかった。

 名前も白地はくち山脈と呼ばれるただの山。

 高知であるからか寒さこそ恐ろしい場所ではあったが、装備さえしっかりと拵えて健康な成人の身体であれば登れる山だった。山脈を超えた先には大国があり、物珍しさから時折行き来してはどちら側からも遠方遥々異国人として旅をする者がいた程だ。


 ある時、異国の物売りが遊牧民に出会した。土埃を巻きたて唐紅の旗が靡く。牧野を駆け回る大きな馬に跨る者達は、男も女も背丈が高く逞しい。剣を掲げて異形に挑む様など、それこそ物語の武人や狭客であった。

 物売りは、一つ前に通りかかった小さな村で見た者達はそれこそ物売りと体格は大差なかっただけに、ただただ言葉もなく目を凝らして馬上の者達の姿を記憶に留めた。

  

 奇しくも、神の威光強き土地で異国の物売りが出会ったのは姜一族の頭領だった。

 その頭領――名を、姜小典しょうてんと言った。



 姜小岳しょうがくは、この話が好きだった。ただの遊牧民だった一族が、今や大国の皇帝率いる一族となったのだ。なんと誇らしいことだろう。

 その武勇を繋ぐように、祖父もまた皇軍の将であった。大伯父である祖父の兄も。そして、小岳よりも後に生まれた大叔父である男は、祝福され天命を授かって生まれたのだ。

 誉高き一族の一員として、小岳も自らの事の様に喜び称え、大叔父が産まれた際の祝宴に参列し共に祝った。


 今となってはそれこそが間違いであったのだと、小岳は記憶を思い起こす度に嫌悪と共に吐き気すら催した。

 は祝福されているのではない。は、一族を破滅へと導く存在であるのだ、と。


 祝福と共に使命を授かるというならば、小岳が受けたのは天啓だった。、まだ幼さが残るほどに若き大叔父が勅命にて業魔討伐から無傷で玉座の間へと参じた、

 小岳だけではない。その場に同席していた同じ血を持つ一族の殆どが、その天啓を受けたのだ。


 ――を殺さねば


 一同に言葉が降り注ぎ、それが使命となって身に宿った。

 それは所謂『種』であった。永きに渡り、心根に植えられたそれは憎悪を糧に芽吹き育つ。


 そして、花開くのを待ち続けた。


 小岳は、弟の良楽りょうがくと共に剣を持った。祖父同様に武官の道へと進み、校尉にまで登り詰めた二人は、既に中年から高年へと差し掛かる風格であったが、姜と言う名に相応しい体格を持ち合わせ未だ現役であり先日の騒ぎでも大いに腕を振るったばかりだ。

 

 二人の目に、一片の迷いも後悔もない。


 ◆


 夕暮れの滲む雲の移ろいを、赤髪の門番は呆然と眺めていた。もう時期に夜が来る。後少しで日入にちにゅう(十七時)の鐘が鳴る。そうなると交代の時間だ。

 宿舎に帰る前に以前ならば都で一杯ひっかけてから帰っていたが、今は数日前に起こったばかりの事象を前に開いている店はないだろう。しかも、男が住んでいた宿舎は倒壊した為、現在住む家はこの仕事場でもある邸の一角だ。一時的な措置として離れにある下男用の狭い空き部屋を貰い受け、新たな宿舎が用意されるのを待っているといった具合だった。

 

 はっきり言えば、赤髪の門番は鬱憤が溜まっていたのだろう。朱家の血筋ではない地方の生まれの男は、これと言って皇孫殿下に従順というわけでもなく、狭い部屋での暮らしに私生活が皆無となった日々に気を抜いていた。


 夕陽が完全に彼方へと落ち、夜が迫る。

 まだ空の彼方は、橙色が線引きした様に紫に押されて、もういくつか数えたら夜になるだろう。すでに辺りは流れる雲がより闇を強くして、薄闇に飲まれていた。

 そんな空を眺めていた男は背後から近づく者に気づけなかった。


 ずるり。


 そんな音が、男の背後から聞こえた。

 男は思わず背後を振り返るが、何もいない。が、ふと足に奇妙な感触があった。そう、泥沼にでも嵌ったような――

 それと同時に男の口は同じ感触で塞がれて、身体が沈み始めた。ずぶずぶと底なし沼に呑まれる感覚。そこは暖かくも、冷たくもない、不気味な感触。

 男は叫ぶ事すらできなかった。

 龍に転じようとするも、暴れるよりも前に男の身は跡形もなく消えた。


「おーい、どこいった?」


 呑気な声が、無情に響く。交代の為に現れた男にも、は近づいて行った。


 ◆


 夕食の刻。女官達は落ち着いた様子で宮の代理の主、槐の夕食の準備に忙しい。槐の分とは別に、もう一人分が用意されている。現在、客室を使用している内の一人、彩華の分だった。

 用意が整うと、ちょうど休憩中だった彩華が呼ばれ、その後に槐が席に着く。 


 大人数が入る事が出来る食堂は使わない。四人がけの食卓が用意された、小さな部屋で二人は会話を楽しみながら、ひと時を楽しむのだ。


 その小さな食事会から離れた、邸の主人の居室で金の髪を後ろに結えた九芺くおうは鼻をくすぐる匂いに、すんすんと鼻を鳴らした。芳しく、それでいて香ばしい。今日は肉だな、なんて雑念まで浮かぶ。

 それゆえか、ぐうと腹が空腹を訴た。彩華の食事が終われば今度は九芺と寝台の隣で丸まって寝息を立てている蟲雪の番だ。

 九芺は突如皇孫殿下の護衛を拝命した事により、慣れない環境と緊張から、ここ数日の楽しみが食事だけとなっていた。


 ――彩華女士は、今日何かあるかもしれんと言っていたが……


 夕刻は一日で疲れが出る時間だ。まだ、侍従として駆け出しですらない九芺にとって、長時間座っているのも辛かった。

 後少し、と余計な言葉ばかりが逡巡していた。

 

 そんな疲労と誘惑の狭間にいる九芺のその目の先。突如、蟲雪の首が持ち上がった。


「蟲雪、どうした」


 耳がピンと立っている。九芺の言葉を無視して、蟲雪は何かを探っていた。


「きた」


 短絡的だが、その言葉の意味は九芺に伝わっていた。九芺は立ち上がり剣を抜くと、蟲雪に寝台から離れぬ様に忠告した。

 蟲雪は目線を合わせて頷く。すると、其の獣の表情が途端に苦悶に染まった。


「……九芺氏、外で門番が消えた」

「……それは……」

「死んだかは判らない。けど、不気味だ。見張の気配が、一人づつ消えている」


 付近の兵士、門番、敷地内に配置された見回り。闇に乗じて、人が減っていく。

 悲鳴もなく物音もない。


 不気味な何か。明らかに人ではない気配がゆっくりと近づいていた。


 ◆


 小さな食卓を前に、いつもならば彩華は槐に向けて不機嫌や仏頂面と言った表情は見せない。不愉快にさせてはいけない。不安にさせてはいけないと、気を張り詰めてる槐を慮っての事でもあった。

 しかし、「姜家が動く」などと言った不穏極まりない言葉を聞いて、彩華も此度は一筋縄ではいかないと感じていた。


「数日で構いません。どうか、風家へと身を寄せてはいただけませんか」


 彩華の顔は強張っていた。燼からの言伝を受けた彩華は其の時こそ冷静ではあったが、今は焦りばかりが募っていた。せめて槐だけでも風家へと退避して頂こうと朝から懇々と説得を続けている訳だが、一度として良い返事が無いのだ。

 今も、食後の白湯を静かに啜っている。槐の方が余程落ち着いていた。


「私は祝融様に代わって宮の管理を任されています。それに、夫を置いて逃げる愚者になる気もありません」


 ピシャリと言い切る姿は毅然としていた。清々しいまでに言い切ったその言葉は、裏を返せば夫に何かあれば一緒に死ぬと言っている様なものだ。

 どうやったら、このご婦人を説得できるのかも最早策は尽きた。死ならば諸共とでも綺麗な顔が言い放ちそうで、彩華は頭を抱えるしかなかった。

 その彩華の苦悩を知ってか知らずか、静かに茶器を卓に置いた槐は、和かに笑った。


「もし時が来たならば、それが私の命の終わりだったと言うだけよ」

 

 恐ろしくも達観した考えに、彩華は異論できなかった。

 彩華も、主人の為に命を投げ出す覚悟がある。同じ様に槐にも、それがあるだけだ。


「……狡い、祝融様に何と言えば良いのですか」

「あら、貴方が早く起きないからとでも言ってあげれば良いのですよ」


 またも、目の前の淑女は大胆不敵発言をして見せる。しかも満面の笑みを浮かべて、だ。きっと敵わない。

 

「……言えないですよ」


 彩華は目の前の卓に向かって盛大な諦めの溜息を吐く。そうして吐ききった息を再び吸って、面を上げる。其の顔はきりりと引き締まっていた。


「では。事が起こったら、決して祝融様のお側を離れません様に」

「ええ、貴女と九芺そして蟲雪に全て委ねます」


 彩華の目の前の美麗なる顔も、毅然と答えた。

 其の時――

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