目醒めし異形 八

 宵闇より生まれし異形の封を胎にして、四つの厄災が獣の形で生まれた。


 東に、窮奇きゅうき

 西に、檮杌とうこつ

 南に、渾沌こんとん

 そして、北に饕餮とうてつ


 総じて、四凶しきょう


 ◆◇◆ 


 静瑛は、こう家の門を叩いた。門といっても、あちこちが崩れ門も片側が外れたままになっている。先日の一件で、緱家もまた被害に遭っていた。正直にいって、静瑛はすぐにでも家に駆けつけ許嫁を守って皇宮で安全な場所に匿たかった。しかし、立場上それは叶わなかった。

 せめて、自身の宮に仕える朱家の者達を護衛として送る程度しか余裕はなく、その後も後始末やら議会やらで連絡すら取れていなかった。

    

 門環を三度目に鳴らした頃、漸く人が邸の中から姿を現した。一人の中年程度の男が埃まみれでぼさぼさの髪で身なりを気にしないままトボトボと歩いて出てきたが、どちら様でしょうと、疲れた調子で静瑛に問いかける。


「緱婉麗嬢に面通しを。静瑛が来たと伝えてくれ」


 態と言わなかったという静瑛の意図を汲み取れず、失礼ですが、姓は?と聞き返してくる。現状、不審な者は全て跳ね除けろとでも言われているのかもしれない。


「……姜だ。姜静瑛と」


 静瑛は気まずくも答えた。

 その気まずさなど気づきもせず、対応した男の背筋がピシャリと伸びる。それもそうだ。この家で、姜家と繋がりがあるとすれば、婉麗と婚約関係にある第九皇孫殿下なのだ。

 現状の皇都の惨状を前にして、それぞれの家が悼み沈痛の底だ。出来る限り邪魔をせぬ様にと慮っての事だったが、結局は自ら露呈させる事になてしまった。

 お忍びで、という意味が漸く伝わったのか、男は慌てて静瑛に中に入るように勧めた。


「片付け等の最中ですが、お嬢様は中におられ怪我人の手当てをされております」


 静瑛は男に案内されるままに進んだ。家の倒壊はなかったが、壊れた塀から侵入されたか、敷地内部は至る所で荒らされていた。

 商家と言えど、古来より貴族街に佇む緱家は大きいが古い。

 ぎしりと床が軋む。家の中は然程混乱の中にはなかった。

 どこを通っても荒れてはいないが、そこら中で男も女もしくしくと啜り泣く声ばかりが響く。商家とあって住み込みも多いのだろう。その声は、消えた命そのものだった。


「此処でお待ちください」


 案内された応接間は日当たりも良く、外から溢れる小鳥の囀りで、今見た情景を忘れそうなほどに穏やかだった。

 案内した男は、婉麗を呼びに行くためかそそくさと立ち去る。一人になったそこで、静瑛は少しばかり埃っぽい長椅子に静かに座り次に扉が開くのを待った。ただ静かに。そして、そう時を待たずしてその時は来る。


 ゆっくりと、覗き込む様に婉麗が扉から顔を出した。

 そして袖で顔を隠しながら静瑛に近づくが、決して顔を見せようとはしない。


「申し訳ありません……今、酷い顔をしておりまして」


 婉麗は上位に座る静瑛から遠慮する様には離れた長椅子の端に座った。声は上擦って、微かに見えた瞳は涙ぐむ。


「すまない、出直す時間が無い」


 婉麗は、そろりと袖から顔を出す。


「私は、丹省に赴く事になった。明朝に発つ予定だ」

「お戻りは?」

「……判らない」


 婉麗の手が下がった。皇都が落ち着いて、まだ一日と経っていない。


「……仲の良かった下女と侍女が亡くなりました。今、家に滞在している多くは、家を無くした使用人達です。皆、家族を失いました」


 通夜の晩を思い起こす情景は、静瑛にも責となってずしりとのしかかっていた。殊更、目の前にいる婉麗の姿が弱々しく見えるせいか、無理に近寄る事も出来ない。

 言葉で責め立てられている様で、静瑛は堪らず婉麗から目を逸らした。


「……すまない」

「ち……違います!そう言う事が言いたかった訳ではありません!」


 鎮痛の面持ちを晒す静瑛に婉麗は一驚して、おどおどと慌てふためく。いつも余裕を見せる姜右長史ではない。


「そうでなくて、静瑛様は都を守る為に業魔と闘っていたと聞きました。私の事ばかり考えなくて大丈夫です。ただ、まだ何か起こるのかと思うと……」


 身近な者が僅か一日で物言わぬ屍となった。悲しみに耐えられないが、それでも支え合い励まし合い今日を生きている。そんな状態で、また何か起こったとしたら一体どうなってしまうのか。婉麗に不安が込み上げ、顔色が蒼白となっていた。

 静瑛に余裕はない。しかし、婚約者をより不安にさせてしまった事を後悔した。腰を上げると、婉麗の横に寄り添いその手を取る。 

  

「婉麗、私がこれから話す事は内密に」


 婉麗は、温顔を取り戻した静瑛の顔に小さく頷く。


「四方其々に厄災が生まれた。其の内の一つの討伐を請け負った。正直に言って、生きて帰って来れるかは分からない」

「……そんな」


 婉麗はまたも涙が込み上げ瞳が潤んだ。静瑛は困り顔で、婉麗の頬にやさしく触れる。

  

「異能を生まれ持った使命と思っている。私の友人達もそれぞれの厄災に立ち向かう。だからどうか、祈っていてくれ」


 静瑛の瞳は、真剣そのものだった。虚偽はなく、真実だけを語っている。婉麗は縋りたくなる腕を必死で堪えた。


 ――どうか、このままお側にいて下さい


 そう言えたなら、どれほど良かった事か。婉麗は、静瑛が今日まで会いに来れなかった理由も察している。此処で、足止めになるなどできなかった。


「どうか……ご無事でお戻り下さい。私は静瑛様をお待ち申し上げます」


 涙だけは止めれなかった。静かに頬を伝う涙を静瑛は指先で拭う。

 頬に触れる手は温かく、何度も婉麗の頬を撫で慈しんだ。


 外宮 第八皇孫邸 


 宮の主は未だ眠りの中。眠りについたその日から、何ら肉体に変化の兆しも見えない男を前に、鸚史は「よう」と、変わらず軽く挨拶をする。

 ひんやりとした室内だが今日は陽気のお陰か幾分か過ごしやすい。ほんの数日前に起こった出来事が嘘に思える程に、長閑な日差しが部屋を照らしていた。 

 背後に従者はいない。鸚史が邪魔だからと退出させ、恐らくは廊下で待機している事だろう。鸚史は、長きに亘り、友人として過ごした男を前に語りかけた。 

 

「ここの所、大事ばかりだ」


 反応を返さない事など、もう慣れた様子で鸚史は続けた。


「お前と業魔討伐を命じられて、かれこれ……まあ、それは止めとくか。意味がねえ。でも、薙琳が死んで、雲景も死んじまった。……次は、俺かもな」


 鸚史は目覚めない祝融から何もない窓の向こうへと目線を移す。


「お前の弟かもしれねえ。なあ、俺達はいつまで続けなければならん」


 独り言、鸚史はそうとわかっていても止まらなかった。


「なあ、お前は、何者何だ?陛下も、六仙も、神子も、お前が眠りの中に入ってからというもの姿を見せねえ。終いには、神子どもは言葉だけ寄越しやがった。四方に生まれた厄災を『四凶』とご丁寧に名前まで付けてよ」


 鸚史は目線を戻すと、静かに寝息を立てる男を見た。

 眠り続けて……もうすぐ二月が経とうとしている。しかし、祝融の様子は不可思議な事に昨日眠りに入ったかの様に健康体そのものだった。

 不死とて、食わねば痩せるし、動かねば筋肉は衰える。しかし、祝融にはその兆候の断片すら見えないのだ。

 これを鸚史は異常と言って良いかが悩ましかった。

 友人を人と断言したいが、状況がその言葉を飲み込ませ、代わりにため息が零れた。


「その四凶とやらは、お前の役目じゃ無いんだろ?だったら、次は何が現れるってんだ」


 変化は、いつ訪れる。鸚史は返事は無いと分かっていても、答えに最も近いであろう存在に問い掛けた。

 天命とやらに振り回され、遂には紛い神なるものを殺した。

 男の命は潰えず続いている。だからこそ、その次があると考えてしまう。

 

 鸚史は、もう一度大きく息を吐く。「邪魔したな」、とだけ呟いて祝融に背を向け、鸚史は廊下へと出た。

 部屋の前には扉のすぐ横で待機していた彩華が物言いたげな目で、じいっと鸚史を見る。


「彩華、頼むぞ。お前一人になった途端、何をしてくるか判ったもんじゃねぇ。実力のある連中は、四方へ行くか、軍に送られる」

「……この機に姜家は動くと考えられますか?」

「俺、静瑛、従者二人。……二人を推薦したのは俺だが……俺なら手薄と考える」

「仕方ありません。聖域から生まれた異形など、その力は未知数でしょう」


 彩華に不安はない。きりりと鸚史に視線を返し、姿勢すら崩さず強気な態度で振る舞う。


「どうか、此方は心配なさらないで下さい。それに洛浪様と軒轅様が代わりの方を手配して下さるそうなので」


 そして最後は柔和な口振り。口達者になったものだと鸚史は関心もするが、彩華に負担が大きくなるのも事実だった。もしもの場合、妹にも何かあるやも……一抹の不安は消えてはくれない。余裕がある彩華とは違い、鸚史の口調は弱音でも吐くように「……そうか」と小さく呟く。


 鸚史も、もしもの事を考え風家から人を寄越すつもりではあったが、下手に人を送ると隙があると言っている様にも見て取れる。多すぎる人員は寧ろ邪魔だ。

 彩華の負荷にならない程度、と考えると鸚史は口出しは不要と結論を出す。


「それよりも、ご自身の心配をなさって下さい。私よりも余程危険です」

「……俺は神の祝福を持って生まれた。これが、使命だったんじゃないかと、考えてる」


 その為に、技を磨き、異能を鍛え続けたのだと。鸚史は納得して、泰然自若に語る。

 しかし彩華は、はっきりと「らしくないですね」と返した。


「神事以外で祈りもしない方が何を言われますか」

「俺が神様やつらを嫌った所で、俺に渡したもんは返せねえ。受け入れたのさ」


 そう言った鸚史は陰気な顔から一転、気の良い飄々とした男へと変貌していた。

別れの言葉に、「じゃあな」と一言告げて鸚史は彩華の前から去って行ったのだった。


 ◆◇◆


 それぞれが、龍人族を引き連れて旅立った。彩華は見送る事もなく、その時刻に早朝に開け放たれた窓から空を見上げるだけだった。主人が眠る部屋から、旅立ちは見えない。それでも、それぞれの無事を朝焼けに祈る。


 風鸚史は東、おう豊邑山ほうゆうさん

 黄軒轅は西、うん高麗山こうらいさん

 解洛浪は南、らん崑崙山こんろんさん

 そして、姜静瑛は北、たん不周山ふしゅうざんへ。


 この時、誰しもが祈りを捧げていた。

 どうか、どうかと、彼らに神の加護が在らん事を。

 ただ静かに、願い続けた。

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