目醒めし異形 三

 都は混乱を極めた。

 逃げ惑う人々を追う、黒い獣達。

 猿、猪、狼、鳥、虎……大凡、都にあるはずのない存在がそこかしこで人を襲い、喰らっている。


 悲鳴が響き、獣が嘶く。

 地が轟々と呻き、空は陽を遮る雲が薄闇を作り出す。ごろごろと稲光を胎の中で溜め込んで唸っていた。まるで、誰かが叫び苦しんでいるかの様。誰かを恨み、その恨みのまま呪いを吐き出す。

 吐き出された、それなのか黒々とした巨体が縦横無尽に家々を薙ぎ倒しながら進んでいた。二本足で進むその姿、人から生まれたそれは、形こそ人のままだったが黒々とした巨体は化け物の一言だった。大きさも人の五倍はあるだろうか。

 恐怖が、人の胎の中で大きく育った。恐怖は陰の気。胎の中で陰が育ち、魂を変質させ、業魔へと成り果てた。  


 平民街の一角。混乱の中で、一体の業魔は我が物顔で人々を捕まえては口へと運んだ。さも当たり前とでも言わんばかりに、ぐちゃりぐちゃりと咀嚼する。滴り落ちる血が、大地を赤く染め、満たされぬ腹を抱えた怪物はまた次の獲物目掛けて手を伸ばす。


 ひょいと、無邪気な子供が虫でも捕まえるように一体の業魔は逃げ遅れた子供を摘んだ。ほんの指先に力を入れたなら、弾けて潰れてしまう程にか弱いそれに大口を開ける。

 子供は暴れるも意味はなく、逃げる事は叶わなかった。業魔の身体と同じ真っ黒な口が黄泉への入り口となって出迎えている。奥底の見えないそれに、子供は顔を引き攣らせ諦めると、せめて痛みが一瞬である様にと目をぎゅっと閉じた。


 しかし、業魔の手は止まった。

 一頭の金龍が業魔目掛けて駆け抜けたのだ。ぶつかる寸前、龍は人に姿を変えた軒轅が剣を抜く。金の髪を靡かせながら龍の姿の時の勢いのままに子供を掴んでいる手の付け根に迷いなく剣撃を向けた。剣の鋭さは、業魔の手をいとも簡単に斬り落とす。

 斬り落とされたそれから子供の身体が離れ、軒轅は子供を抱え地面へと降りた。

 

 子供は小脇に抱えたまま、軒轅は再び業魔へと敵意を向けた。業魔を見上げれば、既に斬り落とした手が再生している。軒轅へと両手を前に鷲掴みにしようとしながら、その巨体ごと覆い被さろうとしていた。

 業魔の体重がズシンと地を鳴らして倒れ込むも、軒轅は子供を抱えながらも、ヒョイと横へ飛んで避けると同時に大きく剣を振り上げた。

 恐れなど露ほども感じていない男に躊躇いはなかった。片腕での斬撃は、たった一度のそれで業魔の首を斬り落としたのだ。


 軒轅が感慨も何も無いままに呆然とする子供を下ろしていた所、


「軒轅様!!」


 二頭の金龍が、慌ただしく軒轅の前に降り立った。

 どちらも、怯えはないが緊張した様子。軒轅は二人に声をかけるよりも、子供に親はどこへ行ったと問いかける。呆然とする子供は、首を振った。どうにも家族と逸れたらしいが、死にかけた恐怖の影響か反応が薄い。 


左蕉さしょう、お前は子供を連れて一度皇宮へ行け。保護ぐらいやってるだろ」


 黄家分家の左蕉と黄家に仕える九芺くおうは、軒轅の父親に着いて行く様に仰せつかったばかりだ。まさか、実物の業魔に驚くよりも先に目の前の男の言葉に戸惑わされる事になるとは思ってもいなかったのだろう。

   

「軒轅様、私は貴方が無茶をせぬ様にと仰せつかったのですよ。それに、祝融殿下の元へと向かわれるのではなかったのですか」

「あれは親父を黙らせる方便だ。殿下の側には彩華女士がいる。俺なんぞより頼りになるから……」


 軒轅は最後まで言い切るよりも先に動いた。思い切り地を蹴って、二人の背後に今にも喰いかからんとしていた大猿の懐に潜り込み首に剣を突き上げる。

 軒轅が剣を抜けば、黒い血が飛沫になって飛び散った。黒黒とした体液が顔にかかっても、軒轅はそれを拭うだけで大して気にもとめていない。その様子に、子供だけではなく左蕉も慄き後ずさる。 

 反して、九芺は「遅れを取りました」と、軒轅より先に動けなかった事を淡々と謝辞を述べた。

  

「九芺、お前は妖魔を斬った経験があるか」

「はい、かん省ではそう言った仕事をしておりましたから」

「左蕉、お前は?」

「……ありません、訓練のみです」

「では、お前は皇軍に協力して保護にあたれ。九芺は俺の援護だ、良いな」


 左蕉は頷くしかなかった。九芺は遅れをとったと言ったが、左蕉が妖魔の気配を感じた時にはすでに軒轅に斬られていたのだ。

 大人しく子供を抱えると、左蕉は一礼して飛び去った。


「九芺、行くぞ」

「はい」


 二人は再び龍の姿へと戻ると、業魔が暴れる場所を見つけてはそちらへと向かっていった。


 ◆


 ――酷いな……


 洛浪は、一人凍らせた業魔の脳天に剣を突き立てたまま、辺りを眺めた。見晴らすには丁度良い高さだ。


「若、」


 洛浪の側、一匹の獣が民家の屋根伝いに現れた。立派な牙を持った雲豹ウンピョウ姿のそれは、ぐるぐると喉を鳴らして鼻息荒く洛浪を焦らせた。


「若、皇都は一体……」


 洛浪同様に、皇都の惨状が見えたのだろう。華々しかった都が一転、阿鼻叫喚へと変貌したその様に、ただ、仕えし一族の当主へと言葉を求めた。


「今は目の前に集中しろ。でなければ喰い殺されるぞ」


 洛浪の目は、鋭利な剣そのものだった。


「申し訳ございません……」


 どうなるか、どうなってしまうかなど、洛浪にも分からない。だが動かねば状況は変わらないという事だけがそこにある事実だ。


 洛浪が業魔の頭頂部に突き刺さった剣を引き抜き、軽く足蹴にしていた頭部を蹴って雲豹のいる屋根へと跳び移る。同時に業魔の身体がゆっくりと前へと倒れた。ガシャン――と金属に似た甲高い音と共に、業魔の凍りついた身体は無惨に砕けた散った。


「さて、どれだけ業魔が湧くやら……」


 業魔は人が変質した姿だ。洛浪は無情にも仕方がない事と割り切って混沌の泥濘に嵌まらぬように、あっさりと残酷な言葉を吐き出した。


 雲豹は目を細める。その湧いた業魔がほんの一寸前まで只の人であったと忘れているようで、恐ろしい。いや、忘れなければ安易に殺す事も出来ないのだと雲豹も理解している。

 雲豹は出かける既に言われた言葉がある。


『人でなくなった者に情けをかけるなら、誰かを弑する前に殺してやる事だ』

 

 それを情けと無表情で宣った男は、さらに冷徹な顔して彼方此方の気配を探っている。

 元々、感情が希薄な主ではあった。それが、化け物じみて見えたのは、雲豹の中に眠る獣の魂の性故だろうか。


蟲雪ちゅうせつ、」


 雲豹は名前を呼ばれ、ハッとする。


「殺せんなら戻れ、邪魔だ」


 心中をあっさりと読まれた蟲雪は、ぐるぐると獣の真似事に喉を鳴らすも頭を振った。


「若の言葉を無意に飲み込めというのは無理です。ですが、妖魔程度でしたらお手伝いできます」

「正直だな、では行くぞ」


 洛浪はそのまま屋根の上を走り始め、蟲雪もそれに続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る