目醒めし異形 二

 地鳴りは断続的に続き、皇都は混乱を極めた。

 不審死に続き皇都に妖魔が現れたかと思えば、更なる凶禍きょうかときた。

 これは神罰だ、この世の終わりだと誰かが嘆く。平民、貴族、中には神官も混じっていた。敬虔なる者程災禍に精神もろとも飲み込まれ、神に縋り、尊び、覚えのない謝辞を何度も繰り返した。

 しかし、どれだけ祈ろうとも神々は言葉を返さない。

 神子も声を奪われたとでもいうか、沈黙を貫いたままだった。


 

 平和だった皇都で火事場泥棒が当たり前の様に強硬されていた。強盗、暴行、殺人が軒並み立件され、皇軍の手に負えない程の犯罪件数となった。

 それまで罪人は、捕縛こそ皇軍に託される事が常であったが、裁きは大理府だいりふの管轄であった。小さな罪であっても、采配は大理府直下の司法官に託される。しかし、その数は司法官に裁ききれぬ状態にまで陥った。牢屋は満杯となり、それまで大きな犯罪にも無縁だった皇都では大理府だけでは手に負えない。

 溢れる罪人を前にして、皇軍によりその場で斬首刑が執行される事態が横行したのだ。


 死体が増える。憎悪が増える。恐怖が増える。

 混乱は増した。

 そして、遂に最悪の事態が起こる。


 ◆

 

「陛下、南部の様子ですが……」

「貴族街も……」


 各府の頂点と軍部頂点である太尉。更にはその補佐官達と将軍が一堂に集い、集められた情報を前に議論を繰り広げていた。

 どこから手をつけて良いかも分からぬ混乱を前にして場は荒れる。怒号にも近い声が部屋の中を飛び交い、及び腰になる者もある。

 

 そんな中、背後に控える補佐官の中、静瑛と鸚史は久しぶりに顔を合わせたが、軽く目を合わせるだけに留まった。

 静瑛は上位に座る炎帝の様子が気掛かりだった。右長史となった事で拝顔する機会が増えた御仁であらでられるが、些か顔色が悪い。青ざめ息も荒々しく、脂汗が滲んで見えるのだ。


 その事を伝えようと、静瑛は再び鸚史を見る。互いに丞相の補佐だが、現行で右丞相と左丞相は敵対関係にある。下手に人前では会話できない。鸚史も静瑛の言わんとしている事を一眼で理解し、再び目線を返す。

 鸚史が戻した視線に、静瑛は頷く。補佐官はもしもの為に連れ立っているに過ぎない。しかし、父である右丞相すら神農の症状に気付かず声を荒げている。

 その姿すら、静瑛には俄かに信じ難かったが今はそれどころではなかった。


 静瑛は神農へと近づこうとしたが、何やら部屋の外が騒がしくなった。揉めているのか、複数人の気配が外でも熱り立って収拾がつかない。そして、バンッ――と勢いのままに扉は開かれた。

 入ってきたのは、皇軍の兵士の一人だった。部屋に入るなり、一堂に跪いた男は許しをこうよりも先に、「報告します!!」といかにも武官らしく、キレのある声を発した。

  

「貴族街、平民街複数箇所に業魔と思しき影有り!また、妖魔らしき存在も確認され、手の施しようがありません!どうか、ここにおられる将軍方にお力添えを願いたく馳せ参じました!!」


 その時、その場にいたのは将軍職の全てではない。何人かは軍部または皇都で指揮をとっているはずだった。


「玄将軍は負傷!姜道托将軍は交戦中と思われます!」


 これに動いたのは静瑛と鸚史だった。


「待て、静瑛!」


 右丞相は止めたが、静瑛は振り返る事なく鸚史と共に退室していった。それに続く様に太尉が命じるよりも前に将軍らは軒並み神農に一礼だけして部屋を後にした。

 呆然と静瑛が消えた扉の先を見る右丞相。そこに、低音の重い声が右丞相を正気へと戻した。 


「桂枝、」


 右丞相は漸く、声の主である神農を見た。


「陛下!」


 顔色悪く座っているのもやっと、と言ったところか。右丞相だけでなく、白熱していた左丞相も、太尉も、皆がやっと神農を真っ直ぐに捉えたのだ。

 不死に病はない。

 されど神農の今の姿は、例えるならば正にそれしか浮かばぬ程に血の気の引いた顔色をしていた。


「……桂枝、燐楷。兵士達に私刑の様な真似は辞めさせよ。罪人を罰するなとは言わんが、せめて民に更なる恐怖を与える行為は禁ずる。それと、家を失った者は皇宮、神殿を解放し、支援せよ。新たな罪を産んではならん。後は……」

  

 神農の口は回り続けたが、目線は心ここに在らずと明後日の方向を見ていた。


「姜静瑛、風鸚史の両名と皇軍は協力せよ。異能を持った二人は皇軍の将同格同等の権限を与える」


 突如放たれた言葉に慌てたのは燐楷だった。 

  

「なっ……陛下!二人は実力はあるやもしれませんが、文官ですぞ!」

「今は、小さき事だ。混乱を治める事を最優先と考えれば自ずと答えは出る。他にもそれに追随する力量のある者は、できる限り協力せよ」


 神農は全ての考えを曝け出すと、立ち上がった。


「今日は以上だ。それぞれ持ち場に戻り、早急に立て直せ」


 最後の言葉を締めくくると、足どり重く神農は部屋を出ていった。誰かが支えようとすればそれを払いのけ、顔色悪くも気丈に歩く。

 のそりと牛歩の足並みで、神農が向かった先は―― 


 ◆


 城から出ると、皇宮に風の流れと共に甲高い警鐘の音が響いていた。都の方角は黒い煙が上がり空は赤々と染まっている。混乱の中で更なる災禍の存在が明確になり静瑛は憤りと共に辺りを見渡した。

 同じ様に呆然と都の方を見つめる者の中、朱家の者を見つけると問答無用で背に乗せろと命令を下した。一見横暴だが、朱家は姜家相手になら従順だ。状況を簡単に説明すれば、その者は慌てて龍へと転じる。


「静瑛、俺を祝融の宮で降ろせ。そこに剣がある」


 静瑛と鸚史は外宮へと向かった。

 皇宮から外宮へは龍ならばあっという間に辿り着く。鸚史は宮が見えるなり、龍の背から飛び降りる。突如、目の前に飛び降りてきたを鸚史の姿に門番達は驚くも、顔を確認すると同時に平に頭を下げる。

 いつもの事とは違い、異常を知らせる鐘は外宮にも届いていた。鸚史が突然現れた事で異常事態が現実となりふりそそいだとあって、門番は颯爽と門を開ける。

 門さえ開いてしまえば、鸚史は女官を待つ事なく、勝手知ったる宮を堂々と進んだ。

 そして目的の部屋へと辿りついた。


「祝融!槐!」


 鸚史が開いた扉の先、その部屋の主が眠る部屋。

 そこには、未だ眠りに着く男とそれを支える妻、そして女従者が二人のすぐそばで警戒していた。

 鸚史は祝融が目覚めるやもと思って訪れていたのもあったが、願い虚しく未だ……その結果に落胆して舌打ちを隠しもせず零す。


「兄上、」

 

 が、槐が声を上げた事で直様切り替える。いつもと変わらず、夫の傍らで落ち着き払っている。頼もしい妹を前に鸚史は近くで不安がっている家令に剣を持ってくる様に指示すると、二人に歩み寄った。


「一体何が起こっているのですか?」

「業魔だ。彩華、お前はこのまま警護を続けろ。何があっても祝融の傍から離れるな、ついでに俺の妹もな」


 背に矛を携えた彩華は力強く頷く。

 

「業魔が此処に来るかは分からんが、もしもの場合はお前に全て委ねる」

「承知しました」


 下手な武人に委ねるよりも余程安心できる相手だろう。しかし、都の状態が知れぬ今、手段はより多く欲しい。

 

「彩華、軒轅と洛浪は……」

「わかりません、異常事態時は此方に駆け付ける事を前提としていますが……業魔を想定としていません。二人がどう出るかは」


 現在、まだ交代の時間には早く、軒轅と洛浪が祝融を護衛を優先するか、目の前の異常を優先するかまでは流石に彩華も迷いが生まれた。


「まあ、お前が離れないと分かってりゃ、都を優先する可能性はあるな。こっちにきた場合言ってやれ、手は足りてるってな。祝融も同じ事を言うだろうよ」


 非常時にも鸚史はニヤリと笑って見せる。場を和ませようとしているのと性分からか、彩華と槐はつられて微笑む。

 

「鸚史様!剣をお持ちしました」


 家令は剣を鸚史に手渡すと、腰に差す。


「彩華、頼む」


 彩華は深々と頭を下げ、槐と共に剣と共に闘志を携え去り行く二人を見送った。

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