常闇の底から 三

 彩華は交代の為、まだ薄暗い日出にっしゅつ(朝六時頃)の鐘と同時に第八皇孫邸の門環を叩いた。慣れた門番があっさりと扉を開けて彩華を招き入れると、寒々しい中で軽く「雪でも降りそうだ」と言った世間話が始まった。

 実際にどんよりと曇り空が広がって息を吸うたびに喉に冷たい空気が染み込む。いつ雪が降ってもおかしくはないだろう。

 そんな挨拶程度の会話が終わると彩華は邸へとそそくさと入っていく。

 

 邸の中も朝の底冷えからか、外と大差ない寒さだ。床にしっかりと冷気を溜め込んで、足の裏を突き刺す。彩華を出迎えた女官は、その寒さをひしひしと感じてか、我慢はしているのだろうが、しっかりと姿勢良く立っている様に見えても、僅かながらに身を震わせ身体を縮こめていた。


「楊女士、解様と黄様がお待ちです」

「……え?軒轅様も?お帰りになっていないのですか?」

「はい……お話があるとかで」


 何か温かいものでも用意しましょうか、と女官は申し出てくれるが仕事だからと断り、彩華は真っ直ぐに主人が居る部屋へと向かった。


「おはようございます」


 彩華が扉を開くと静かに姿勢良く座る洛浪と、その隣で軒轅が壁に背をつけ俯き加減に目を瞑ったまま立っていた。

 眠っているのかと彩華がそろりと顔を覗き込もうとするも、その前にパチリと瞼が開いて目が合った。姿勢を戻しても二人は彩華に目を向けたままだ。何か企んでいると踏んでか、彩華はじろりと二人へと視線を返した。


「二人で何してるんですか」


 本来なら、軒轅は次の為に休息を取っている予定だ。何かしら理由があるから此処に留まっているのだろうが、それなりの理由を聞くまでは納得は出来ない。二人をじっとりと見つめては話が始まるのを待っていた。

 その彩華をじっと見た洛浪が、ぼそっと口を開く。


「彩華女士、神子燼と連絡は取れるか?」


 彩華は、戸惑いからか返事が遅れた。

 それまで彩華自身は燼との連絡など、一度として取っていなかったのだ。それこそ、皇宮の奥底へと行ってしまったその日から、今日の今日まで。


「……急には無理です」


 彩華は二人から目を逸らす。何も悪い事をしている訳ではないし、それこそが皇宮の奥底へと向かった燼との約束でもあったのだ。

 ただ説明が面倒で、彩華は話を逸らす為に祝融を引き合いに出した。


「祝融様でしたら燼と志鳥で何度か……それが今、軒轅様が此処にいる事と関係あるのでしょうか」


 洛浪と軒轅は思わせぶりに目を合わせる。既に洛浪は実情を理解しているが軒轅に話す様に目で促している。

 どうしたもんか、と頭をかきながらボソリと軒轅がボヤく。


 軒轅はちらりと祝融に目をやった。現状、自分達が話している場所も、主人の護衛を兼ねた部屋であり、誰か一人は側にいる。その状況で皇都の問題に首を突っ込むかどうかが、軒轅に取っての悩みどころだった。

 兎にも角にも、話さなければ何も始まらない。軒轅は昨晩見た異様な光景を、ゆっくりとだが彩華に向かって説明した。


 ◆


「気付かなかった……」

「彩華女士は基本昼しか行動していないだろうからな、その前は忙しくてそれどころではなかっただろうし」

「それにしたって……今は何も……」


 日が登り始め薄暗い部屋の中、木戸の隙間にも光が差し込む。彩華はそっと祝融のそばに近づくと、そっと祝融に向けて頭を下げた。そして、その付近にある木戸を次々に開けていく。

 あまり良い天気とは言えない。冷気も一緒に入り込むが、澄んだ空気が入り込んだ部屋は幾分か陰鬱な話で澱んだ部屋の雰囲気を紛らわしていた。


「暫くしたら閉じますね」


 そう、眠っている本人に語りかける。きっと、起きていたら寒さなど気にも留めないであろう。

 そのまま冷気を堪能する様に外の気配を探る。外宮は至って平穏そのものだ。不穏な気配など毛程にも感じられず、ただ冷気と日差しが入り混じった感覚が彩華の身にまじまじと降り注ぐだけだった。


 しかし、軒轅が嘘をつくはずも無い。

 であるならば。彩華は振り返って二人を直視する。これは決定を前提とした相談なのだ。そのうち、女官達が掃除やらでこの部屋にやって来る筈だ。その前には話の方を付けておかねばならない。二人はそれも前提として悶着は起きないと確信しているのだろう。

 彩華は自身の中である程度考えが纏まると、再び二人の前まで歩み寄ると腕を組み話を聞くには少々威勢のある姿を見せた。


「それで、どうお考えですか?」


 彩華は結論に飛びついた。此処に来るのは女官だけではない。奥方も、毎日祝融のそばにくるのだ。三人が集まっていれば何かしらの不安を煽るだけ。出来る限り話を早く終わらせてしまいたかった。

 そこまで考えているかは知れないが、洛浪がすんなりと答えた。


「探りを入れたい。神子であれば現状を把握している筈だ。出来れば情報が欲しい」

「私に聞いて来いって事ですね」

「そうだ」


 洛浪の意見は確かに手っ取り早い、が彩華は素直に頷かない。


「何か問題があるのか」

「ですから、一度も連絡を取ってないんです。返答があるかどうかも……」

「祝融様の志鳥をお借りする。彩華女士、私の目では限界がある。性急に詳細を知る手段が必要だ」

「でしたら、東王父君はどうなのですか?」

「そちらも連絡が取れなくなった」


 既に洛浪は試したのだと言った。洛浪には夢見の力がある。それならば言葉を飛ばす志鳥よりも、より早くしかも間接的に言葉を交わす事ができるのだ。しかし、その手段が意味をなしていない。


「だから、現状、強力な夢見との繋がりは彩華女士のみとなった」 


 彩華に反論の余地はなかった。そのまま、祝融の寝台横に備え付けられた棚を開けると、一番上の引き出しに白玉はくぎょくが収まっていた。

 迷いなく取り出して、彩華は頭に懐かしきの顔を思い浮かべた。

 屈託のない顔した青年が見せる澄み切った顔が、じんわりと彩華の心を震わせる。

 寂しい。会いたい。

 そんな衝動が彩華を襲うも、胸に爪をたて抑え込む。身勝手極まりない考えに思えて、無理矢理にでも押し込んでいた。


 白光する白玉から、白い鳥が飛び出した。


「燼、久しぶり。一度、会って話がしたいの。皇都の事、今何が起こってるか聞かせて欲しい」


 言葉を乗せた志鳥は、そのまま飛び去っていった。

 その行先を彩華はじっと見つめたまま、今にも滲みそうな涙を堪えて口を開く。


「何故、鸚史様や、静瑛様を頼られないのですか?」

「静瑛様は、お忙しいと聞いた。それと、今従姉弟の芙蓉第三皇孫殿下と敵対しているのだとか。下手に動かない方が良いだろう。鸚史様は、気づいておられない可能性が高い。ならばこちらで先に手段を探り、お伝えする方が手早い」


 成程と、彩華は頷くと白玉を元に戻した。


「返事は夜です。恐らくですが」


 振り返った彩華は、あっけらかんとした顔を見せ二人を部屋から出るように行った。早くしないと、槐に問いただされる恐れがあるのだ。


鶏鳴けいめい(午前二時)の頃に来ます。その頃に返事が無いのであれば、諦めて下さい。宜しいですね」

「ああ、他の手段を講じる」

「では、それまで休んで下さい。軒轅様は、どうされます? 私は夜まで大丈夫ですよ?」

「いや、平気だ。俺もその頃までいるとしよう」


 後を頼むと言って、二人は帰っていった。静かになった部屋の中、彩華は祝融の隣へと歩み寄った。いつもは、槐が座っている席に座り、何となく語りかける。


「……燼、返事くれると思います? 私、あの子が皇宮なんかで暮らせないって判ってて、手紙の一つ送ってないんですよ? 薄情ですよね」


 忙しく、皇都を離れていたのもある。しかし、皇都から旅立つまでの間も、帰ってきてからも、燼を思い出す事はあっても何も行動を起こさなかったのだ。


「絮皐がいるから、もう私の事は必要ないでしょうし……」


 ――私には、あの子の助けになってあげられる権力ちからも無い


 弱小貴族にも等しい地方の小領主の元に生まれ、その上色違いろたがいの結婚をしてしまった為、龍人族の間でも何かと色眼鏡で見られている。権威など無いどころか、神子と知られてしまった燼にとって邪推される要因でしか無いのだ。

 出来る限り彩華が燼と懇意にある事は知られるべきでないと、彩華が申し出た事でもある。

 燼は最後の別れで静かに笑ったのだ。ただ一言「分かった」とだけ答えて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る