常闇の底から 四

 洛浪と軒轅は二人揃って第八皇孫邸を出た。さて今夜はどうなるか、と気になりつつある中で軒轅がこれ見よがしに大欠伸をする。更には、今なら市で朝餉が食えるな、とまで宣う。


「帰らないのか。昼には交代するのだろう?」

「家は曾爺様が五月蝿いから静かに朝餉を食べたい。出来れば酒も飲みたい」

「止めはしないが、大丈夫なんだろうな」

「何、寝たら起きられんからな。寝ないつもりだ」


 ははは、と笑って、馬を引く洛浪に並んで軒轅はゆっくりと歩いていた。飛べば、あっとい間に家に帰る事ができるというのに、今の所転じるそぶりもない。寝る気がないというのは、どうにも本気の様だ。


 夜から一変して穏やかな朝の道。外宮は兵士の数も少なく、下手に官吏に出くわす事もない。人通りのない整地され庭園の様に整えられた垣根に沿った道すがら、前から馬の足音が響いた。馬車が通る前提の為、道幅は二丈にじょう程(六メートルぐらい)ある。特に避ける必要は無いと考えていたが、段々とその人物が近づくにつれ、二人はその人物が誰であるか気づいて道を開けて足を止めると頭を下げた。

 二人はその人物が過ぎ去るのを待つだけだったのだが、その人物は二人の前でピタリと馬を止め、更には馬を降りた。


「黄軒轅と、解洛浪だな。面を上げろ」


 軒轅は思わず舌打ちでもかましそうだった。さっさと飛んで帰れば良かったと考える程に後悔する。何故ならば、その相手は夜偵察した先にいた人物だったのだ。

 しかし、皇族相手に命じられたならば答えねばならない。言われた通り顔を上げると自然と目線は上へと向いた。

 主人と同じぐらいか、それ以上か。六尺を優に越える身の丈と武人らしい体格、それに加え強面の顔つきが威圧的に見せているのか。皇孫という位と将軍がかけ合わさっているのだから、尚の事だろう。主人も大概威圧的に見える時もあるのだが、それよりも更に上をいく。

 その顔が、軒轅をこれでもかと睨む。いや、ただ見ているだけなのかもしれないが、目つきの悪さから因縁でもつけられている様でいい気はしなかった。

 その目が殊更軒轅に集中したかとか思えば、軒轅の虚をついて言葉が飛び出した。


「黄軒轅。昨夜、見ていただろう」


 回りくどい言い方などせず、正面から突っ切るそれに軒轅は一瞬出遅れた。肯定否定をする間も無く、軒轅の一瞬の反応で道托は肯定と受け取った。というよりも、出会い頭にもう既に軒轅と決めつけていた節がある。


「それで何が判った」


 試す物言いが続く。どうやら探っているのは、道托も同じだった。


「何も。我々も手を拱いております」


 盗み見た事に関しては釈明は述べず、洛浪は事実を答えた。ただ、手段があるなどとは言わない。現状の道托が、祝融にとっての害悪と判断するうちは何も答えられないのだ。

 さて、どうでるか。洛浪は道托の反応が知りたかった。正確には姜家の反応が。

 今の所、姜家は祝融に何かしらの行動を起こしてはいない。単純に、常に護衛が側に控えているから手を出して来ないだけなのか、何もする気がないのか一切の判断ができないでいた。

 都合よく現れた判断材料を前に、洛浪は道托が次の答えを待ったのだ。皇族相手に豪気な考えは洛浪も解家の当主という立場が控えているからだろう。その豪気は単に、恐れ知らずという性格もあるかも知れないし、もっとものと対峙した経験からかもしれない。


「何故、事が起こって時間も経たぬうちにあそこへ辿り着けた。偶然か?」


 道托はどっしりと構え武官の重みをまじまじと感じさせる。彼の生きた年数そのものが永いのもあるが、その体躯の良さもさる事ながら圧巻の将軍たる威信が彼そのものと言っても良いだろう。

 その表情の固い事。

 普段のんびりとした洛浪の顔も道托を前に引き締まり、側から見れば道托に喧嘩を売っている様な状態だ。此処が外宮でなければ、重々しい空気に人集りでも出来ていたかも知れない。

  

「私が早馬を見かけた事が一因ではあります」


 あっさりと洛浪が答えた事により、そのまま軒轅も続く。

  

「それで、私が様子を見に行くと申し出ただけで御座います。そちらに挨拶もせずに覗き見の様な真似を致した事を此処に陳謝します」


 バレていたなら仕方がない。軒轅は素直に謝罪でもしておこう程度にさらりと心にもない言葉を並べた。

 道托はこれといって謝罪には興味を見出さず、適当な謝罪にはずけずけとした本音を返していた。  

  

「それは構わん。そちらが急に現れた所で、こちらも警戒しただろうからな。気配に悪意がなかったからこそ放っておいた」


 お前の気配など簡単に見抜いたぞ、嫌みたらしく言う。その言葉に、軒轅は何の反応も示さなかった。腹の中は、畜生、クソッタレと罵詈雑言の応酬だ。が、隠す術は身につけている。


「だが、見たならば何を思った。手を拱いていると言うなら、一計を案じているのだろう?」


 道托の口が急く様に動く。表情はにべもないと言うのに、その変化だけが洛浪に引っかかった。


「将軍、我々はふた月半前に皇都に戻りました。皇都の不穏なる噂も最近知った程度ですが、実情はそんなに悪いのですか?」


 洛浪は道托の焦りに向き合った。こちらも情報が欲しいと、素直に言ってみる。すると、道托はすんなりと答えた。 

  

「……獣に喰われた男の話は知っているか?」


 ――野犬の話しか?


 と洛浪は軒轅を見る。軒轅は思い当たる節があったのか、苦々しい表情へと変わった。


「少し前に、野犬が皇軍によって処分されましたね。その後、貴族がこぞって飼い犬を殺し始めたとか。あれの理由は何です? 人を喰い殺した野犬を処分するのは判りますが……」


 些かやりすぎではないか、と口には出来ず軒轅は口を濁す。 

  

「それは御史大夫の言葉か」

「曽祖父でなくとも言葉などそこかしこで聞けますよ」


 此れには道托も押し黙った。噂として広がっている手前、それ以上反論が出来なかったのだ。


「皇都で何が起こっているのでしょうか。日が上がっているうちは何一つとして感じられないが、宵闇の頃は当たり前の様に陰の気を感じる。まるで皇都とは思えない」

「それは今までの経験則からか?」

「どう取っていただいても構いません。我々とて主人が眠っているからと何もしない訳にはいかない。それこそ、主人が目覚めた時、何もしていなかったなど恥ずべき事だ」


 今迄皇軍は何をしていたのか、と物怖じなく軒轅は毒吐く。その毒は道托にも伝わっただろう。下手をすれば皇族の怒りを買うやも知れん間際まで攻めた発言だったが、道托は言い返さなかった。寧ろ、その言葉を受け入れ漸く表情が弛んだ。


「……お前達は根源が見えるか」


 口調まで意気消沈してしまった。


「昨晩は皇都中を飛び回りました。が、それらしい所の目星までは……」


 と言っても、軒轅はチラリと洛浪を見る。洛浪は夢見だが、そう大した目は持っていない。


「私も一端の夢見ではありますが、残念ながら昨日今日では見えはしません。夢の側からも今一つ見え辛い」

「……ならば、こちらと同じだ。残念だが、現状解決の糸口になるであろう根源は何処にも無い。しかし、不審死の中には妖魔に食い殺されたと思しき死体も出た。誰も妖魔は見ていないがな」


 二人は呆けてと口を開いたまま道托を見る。

 

「は?」


 素っ頓狂な声が出てしまった。二人とも信じられないと言った様子で慌てふためく。


「何を言われているんですか。皇都を張り巡らす陰が有り、妖魔が湧き出てる? そんな事が……」


 軒轅とて経験はある。陰の存在には根源が付き物だ。何かしら、中核があって初めて事が起こる。それが無いなど、あり得ないのだ。


「……そちらは手を拱いていると言ったな。手段はあるのか?」


 二人は答えなかった。現状、燼と彩華の繋がりを口にしないと言う事は、二人の関係性が周知されていない状況となる。恐らく、神子燼は元は郭家に保護されていた程度と思われているのだろう。

 下手に知られたら、利用されるであろう彩華の立場を安易に口には出来ない。洛浪は、東王父に問いかけている最中だ、とだけ答えた。


「今の所、東王父君より返答はありません。あまり期待しないで頂きたい」


 その返答に道托はそれ以上の追求はしなかった。


「手掛かりがあれば、此方にも情報が欲しい。是非とも協力を願う」


 命令ではなく出来る限りの力を貸して欲しいと、威圧的だった男の目は切に平穏を願っていた。実に、主人の兄らしい姿だった。

 彼もまた、自らの正義に生きている。

 主人と敵対関係になければ、どれ程信頼できる人物だったことか。


「ええ、必ず」

 

 せめてものその想いに応える様に洛浪は静かに実直な言葉を返したのだった。

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