常闇の底から 二

 第八皇孫邸を後にした軒轅は、暗闇の中を金の龍へと姿を変えて飛び立った。夜の深い闇に紛れ、冬の澄んだ空気の中を駆けゆく金龍の姿は実に優美である。

 しかし、本人がこれから行う事は敵情視察または、盗み見とあって風情などと言ったものからは程遠い。


 ゆらゆらと優雅に舞っては、上空から灯りが集まっている場所に目星をつけてキョロキョロと地上を見回した。すると皇宮の外堀の一角に、何やら複数人が松明でを照らしながら人が集まっている。

 遠目に見ても、鎧を纏った者達ばかりであり全て軍属である。その中で一際目立つ人物が姜道托で間違いないだろう。 


 しかし、何が起こっているかまでは軒轅には判然としない。流石に遠すぎるのだが、近づき過ぎれば面倒な人物に気付かれる。さてどうしたものかと迷いながらも、何も見えなかったではつまらない。軒轅はそろりそろりと近づいていった。

 闇に乗じてもう少しとゆっくり近づく。空に身を隠す場所はなく下手を打てば道托将軍に見つかってしまう。相手は主人の異母兄であり、皇軍左将軍である。

 油断だけは、決してあってはならなかった。


 軒轅は業魔を相手取るよりも余程慎重だった。それこそ主人と対峙して剣を構えている時程だ。主人と手合わせするときは、ほんの一寸でも気を抜けば、あっという間に首に剣が突きつけられるのだ。その感覚を思い出して、その身を空に溶かすが如く気配を消し去る。それこそ梟にでもなりきって音も無く近づいた。


 ゆっくり、ゆっくり。段々と全貌が見える程に近づいた。が、その異様さに思わず軒轅はたじろぎ、その場で固まった。

 皇宮の城門から外れた外堀の直ぐそばに、人だかりの中に横たわった二つの死体がはっきりと見えたのだ。しかも、その亡骸はねじれて首やら足やらはあらぬ方向に曲がっている。それも、並んだ二体ともに同じとあってそれがまた禍々しさが際立った。


 軒轅は皇都に戻ってきて知ったのだが、今皇都には不審死が病魔の様に蔓延している。話を聞いた時は、幻想文学の怪異なるものとしか思えず冗談半分に聞いていた。しかし今、その目に映った現象は現実だ。

 皇都の中心で起こった奇怪な事件。人の所業ではないそれに、軒轅は我に返った様に動き始めた。現場から離れ、皇都という皇都を端から端まで宙を舞う。


 軒轅は愕然とし、彼方此方に目配せした。薄気味悪い程に陰の気配がそこら中で沸々と湧いている。夜という常闇が尚、陰鬱とした気配を際立たせるのか。


「洛浪氏、これが嫌な予感か?」


 忙しさのあまり気づきもしなかったのか、それとも皇都で怪奇などないとたかを括っていたからなのか。軒轅は、それ迄皇都は何も無いと決めつけ全体に目を向けなかった己を恥じ、知らせを待つ第八皇孫邸へと踵を返したしたのだった。


 ◆◇◆


「将軍、どうされました?」


 ふと、道托は何も無い空を見上げていた。元より顔つきは険しいが、どことなく何かを睨んでいる様にも見える。が、道托は何でも無いと答えると、身を屈ませ亡骸をまじまじと見た。


 数日前に発見された亡骸とは違い、今度は兵士である。その上、殺害手段も今度は絞殺……とでも言えば良いのか。

 既に死後の硬直は始まりつつある。道托は首にくっきりとついた捻られた痕に指をなぞって、肉と肉がこれでもかとひしめき合い、皮膚が無理矢理引き伸ばされている事に目を向けた。


 首だけであれば、人でも出来る。しかし、全身となるとそうもいかない。似た様な痕は足まで続き一枚布の様に扱われた身体はどちらも差異は無く、惨たらしい。

 死体を無慣れぬ兵士達は目を逸らし、中には経典の誦じている部分をぶつぶつと一人呟く者もある。

 誰が見ても異様であり、人の所業では無いと判断出来るのだろう。


「将軍……その、これは……」


 発見者である兵士の一人が唇を震わせ恐る恐る口を開く。本当は立場としては皇孫殿下に赦しもなく話しかけるなど言語道断である。

 門番としてある程度の教育は受けていた筈だったが、動揺と恐怖が全てを忘れさせていた。しかし、道托は是と言って苦言を呈する事も無く。


「現状では、何とは言えない。警備を強化せねばならんだろうが、そこは俺が上奏しよう」


 これ以上悪い噂が広まらぬ様、冷静に話す道托。

 姜家と言うのは剣を振るえば豪快で巨躯なる見た目が人を圧倒させるが、その恐ろしさは裏腹に、しかと民の話に耳を傾ける程に穏やかなる者達である。

 そんな噂通りの御仁を前に一様に兵士らは落ち着きを取り戻すと、同時に無礼を働いていた事にも気付く。

 腰は低くなるばかりだが道托は如何なる時も慎重であるべきだがと少々説教を言ったかと思えば緊急自体に迅速に動いた事を褒め、事後処理を後任の者に引き継ぎ、箝口令をしっかりと敷くと共として付いてきた家令とその場を去った。


 皇宮の入り口辺りまで辿り着き道托は背後を歩く家令を見る。道托は軍属では無いただの赤髪の家令を引き連れていた。

 緊急事態とあって家から直ぐに出なければならなかったため、その時都合が良かったのが家令しかいなかった。普段家の事を取り仕切っているだけの男の精神を衰弱させるには十分だった様で、見たものが無惨極まりなかった為か顔色が悪い。


「大丈夫か」

「……ええ、宮に戻られますか」


 口を抑え今にも吐きそうになりながら何を言っているのか。直ぐに転じる事も出来ぬ程精神が動揺しているのにも関わらず家令は強気に顔を上げる。が、顔色だけは隠せはしなかった。


「いや、先に帰れ。俺はこのまま太尉の元へ行く」


 太尉とは、道托の伯父でもある第一皇子である。その身分から皇宮敷地内の皇帝宮の付近に居を構え暮らしている。となると、矢張り龍で向かった方が良いはずだ。

 

「でしたら矢張り」

「今の状態のお前を引き連れて行くと俺が伯父上に叱られる。帰れ」


 道托は家令の背を押し、門で休んでから帰る様にその場に置いていった。

 門で馬と灯りを借り、広々とした皇宮の奥を目指すも、事が事だけに篝火から外れた場所はどんより濁った闇に見えてしまう。

 道托は、気を張り巡らせる。すると、皇宮でもそこかしこで陰の気配があるではないか。

 まだ微弱だが、じわじわとそこら中で広がる気配を感じ、皇都の異常性が嫌でも目に付いた。

 そして考える。果たして根源はどこなのか、と。


 これだけ悍ましく混沌としているのに、異常性が見えただけなのだ。

 そう、異様と言うだけで、物事の根源たるものは何一つとして見えてはいない。それが見える者達は一様に口を閉ざしている。


 ――どうなっている


 道托はどんな時も冷静だったが内心は苛立ちが募っていた。解決の糸口は見えず、ままならない現象ばかりで手も足も出ない。神殿も神子瑤姫の言いなりか、かんなぎ一人軍に寄越さないとあって、それまで叔母上、瑤姫様とできる限りに身近な存在として信頼し寄り添ってきた相手ですら苛立ちの対象となっていた。

  

 身内だからこそ腹が立つ。その心情も、何も述べないから殊更不信感だけが募る。道托が、神子瑤姫に掛け合ったのは一度や二度ではない。それこそ、父を通し、叔父を通し、祖父である神農にすら神子瑤姫の力がいると上奏書を認めた。しかし、父や叔父へ届いた返事は道托同様に芳しくなく、神農に関しては沈黙のままであった。


 何もかも思い通りにならない。道托はただ皇都の平安を願っているだけであった。それこそ、姜という血に生まれたからには国に尽くす義務があるという神農の教えに従っている上に、其れが道理と考えている。道托なりに正義もあって軍に属し、将軍を担っているのだ。彼の怒りは尤もだろう。


 その怒りが馬に伝わったのか、馬の歩速が上がってしまった。急いでいたのは事実だが苛つきを抑えないまま太尉には会えない。太尉である姜燐楷は伯父ではあるが、父親である桂枝以上に厳しい人物だ。しかも、緊急性があるとは言え宮を訪ねる刻限としては真っ当とは言えない。

 道托は、一旦馬を止めた。「はあ、」と深く息を吐いて、何となしに上を見上げて寒空の瞬く星々を眺める。その小さな瞬きを見つめていると、不意に思い出したのは薄っすらと感じた気配だ。異様なものではなく、恐らく龍。


 ――あの龍……


 道托は、暗闇の中で様子を伺う存在に気がついていた。見えた訳ではなく、誰かに見られているという程度だ。薄気味悪い存在ではなく、明確な意志の元に道托か事件の様相を探っている存在。道托が見定めるよりも早くそれは姿を消してしまったが、何となく心当たりはあった。というより、道托の前でコソコソと行動する者が限られるという単純な理由なのだが。


 ――あの視線は、の……


 異母弟の存在がチラついた。それの存在など、脳裏に浮かべたくもないのだが、麾下に龍がいる。しかし、本人は昏倒したままと噂に聞いていた。

 となると、麾下が単独で行動している事だ。その意味までは辿り着かなかったが、もう一つ思い出した事があった。


 ――そうだ。確か、麾下の一人が東王父の……解家の者

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