常闇の底から 一

 新年から数日経ち、皇都の賑わいも落ち着きを取り戻した頃、沸々とおかしな噂が出回った。


『月が隠れる深い夜は出歩いてはいけない。黒い獣がそこかしこから現れて、襲ってくるのだ。気づいた時にはもう遅い。もう、お前は腹の中。決して闇が深い夜は出歩いてはいけない。家に篭って灯りを絶やさぬ様に』


 昨日まで元気だった若者が、ある日突然老いて死ぬ。

 直前までいつも通り会話をしていた者が、突如自らの喉を切って自死する。

 朝、恐怖の死に顔で見つかった者。

 寝所で眠っていた筈の者の代わりに、血液と肉塊が溶けたヘドロになって見つかった……そんな、まことしやかな話が貴族から平民に至るまでそこら中で広がっているなかに新たな噂ときた。

 信じるな、という方が無理だろう。  

 皇都を不安へと陥れる話は嘘か真かなどの信憑性よりも、恐怖が勝った。しかし噂が広まった要因は、恐怖だけではない。

 奇しくも、とある平民の男を殺したとされる元凶が、まさしくそれだとして平民街から噂が火種として燃え広がったのだ。


 正月早々起きた事件。

 死体の損傷はひどく、どころか、とすら判別できぬ死体が一つ、無惨にも皇都の一端で、獣に喰い殺されたとされている。皇軍のなかでも、街の警備に当たるものが獣を探したが、それらしい姿は未だ見つかっていない。

 何せ、獣は大きさも分からず、足跡も残っていない。仕方無しに、皇軍は皇都で見かけた野犬を手当たり次第に処分するしかなかった。


 そのどれもが、肋骨浮き出る程に痩せ細り、病を帯びていた。どう見ても、人を襲える姿でないとわかっていても、一つでも不安の種を解消しようと手段を選んではいられなかったのだ。

 そうすると、また新たな噂が広まった。


『犬が夜な夜な化けて、人を食い殺す。お前が飼っている犬も、ほれ。いつ寝首をかくか……』


 今度は、皇軍の所業が貴族へと伝わっただけだったが、怯えた貴族達は何の迷いもなく可愛がっていた犬を殺してしまったという。

 全ての者が噂を鵜呑みにした訳ではなかった。それでも、皇都から犬の鳴き声が極端に減り、斯くも夜は一層静けさに飲まれる事になった。


 そうこうしている間に不気味な噂が立ち所に広がっていくばかりで事件は一つとして解決せず、不審死を調べていた姜道托将軍は頭を悩ませた。

 何せ陰の気配を手練に探らせた所で半然としないのだ。事件が起こった場所も、確かにそれらしい気配が微弱に残っているが何処もはっきりしない。

 このままでは、本当に文官職の異母弟の手も借りねばならんかと憂鬱に過ごしていた頃、また、新たな犠牲者が出たのだった。

 


 今度は、二人。どちらも、夜間の巡回で皇宮の外堀周りを警備している兵士だった。一向に巡回から戻って来ないことを不審に思った同僚が見つけたのだが、その死に様はまた異様だった。


 何か、大きな生き物に握り潰されたかのように、どちらも身体を布地を絞った様に捻じ曲げられていた。

 あらぬ方向へと捻じ曲げられた頭に腕に背に腹。更には足先まで。全身がギリリ、ギリリと捻じられたのか。無惨というよりも、「どうやって?」 という発想が発見した同僚にいの一番に浮かんだ。

 何に殺されたのか、同じ場所で死んでいる事から複数なのか、何故悲鳴一つ上げなかったのか、剣を抜く暇もなかったのか。

 不可思議な事だらけで、これも直様不審死として繋げられ、とうに人定にんじょうも上刻の頃(夜中の九時を過ぎた頃)だったが、外宮の姜道托将軍が住む邸へと早馬が走らされる事になった。


 ◆◇◆


 かい洛浪らくろうは、外宮の目的の宮へと馬で向かっていた。主人が眠っている間、交代で護衛をするのだが頃合いよりも、半刻程余裕を見て主人の邸へと赴く。理由としては、昼間は風左長史が軽い調子でやって来る為だ。

 さぞかし、軒轅は付き合わされた事だろう。と少しばかりの労いをこめて早めに出向いていたのだった。

 そんな折、背後から馬が駆ける音がした。徐々に徐々に近づいてくるそれは同じく外宮の中の邸のどれかを目指しているのだろう。


 見回りの兵士はいるが、基本徒歩である。となると、早馬か。


 洛浪はそっと背後を振り返った。すると、松明の灯りを掲げた兵士が、あっという間に洛浪を追い抜いていった。外宮も皇宮程ではないが、庭園などで区切られた屋敷がいくつか並んでいる。その全てが皇孫の家であるが、現在使われているのは、六つの屋敷のみだ。

 屋敷はそれぞれ独立しており距離も離れている、何となくだが松明の行く先で、早馬が第ニ皇孫邸へと向かった事だけが判別できた。


 ――こんな時間に……何かあったのか?


 第二皇孫と言えば、姜道托将軍である。となると矢張り事件が起こったのだ。それも、将軍直々に早馬を走らせねばならぬ程の時間が――

 不意に、ヒュウと木枯らしが吹き抜けた。

 背筋に暗闇が纏わりつくほどに、ぞわりと何かが背筋を撫ぜる。


 判然としない感覚が洛浪を襲うも、妙な感覚に纏わりつかれる。

 何故か、そこら中で見張られている様な……辺りの暗がりがで溢れかえっている様な。


 ――まるで、キュウセンの事態の前触れではないか


 嫌な感覚が重なる。辺りが嫌な空気に包まれ薄気味悪い笑い声に飲まれ行く。洛浪は、自然と馬を駆け足にして第八皇孫邸へと急ぎ向かった。


 ◆


 主人が眠っていても、第八皇孫邸の夜は誰かしらが起きている。警備だったり、当直の女官だったり。

 門前には、二人の見張りが手持ちぶたさに話し込んでいたが、馬の足音で気がついて、その背筋はピシャリと伸びる。

 駆け足で近づく馬に二人は少々驚くも、どちらも洛浪の顔は知っているため、これと言って理由は聞かずに一人が手綱を受け取っていた。


「餌と水はこちらでやっておきますので」


 と、気を使う。洛浪が東王父の直系とあって何かと周りは腰が低い。馬も、門番にやらせる事でもないのだ。が、すでに、そのやり取りを面倒と感じていた洛浪は言われるがままに馬を任せ、邸の中へと入っていった。


 邸の中は、寝静まる頃とあって人の気配はない。小さな蝋燭がポツリとポツリと照らされて道標となっていた。

 灯りに導かれ、辿り着いた先で漸く人の気配があった。慣れた気配に洛浪迷いなく扉を開ける。

 すると、扉近くで待機していた金の髪色の男と目があった。

 部屋の中は、廊下よりも断然明るい。顔色が窺える様にと、当直の女官が定期的に行燈の蝋燭の交換を行い、灯りが絶えない部屋となっている。

 そのお陰か、洛浪の顔色がより浮き彫りになっていた。


「洛浪氏、顔色が悪い。大丈夫か」


 いつも無表情で現れる洛浪が、陰鬱な面持ちのまま軒轅の前にいた。部屋からは離れられないが交代には早いから少し休む様に壁際にある椅子に座らせようとするも、考えたい事があると壁を背に立ち尽くす。


「何かあったのか?」

「……いや、まだ」


 予感がするだけだと、洛浪は溢す。

 夢見という生き物の予感ほど嫌なものはないかもしれない。彼らは陰の存在に過敏だ。そう言った気配には鋭く気がつくし、実際にまなこにも写る。

 洛浪も、を見たのだろう。鬱々とした空気を纏って現れてそれを雲散させたいのか、眠っているとは言え主人の午前で盛大にため息を漏らす。


「すまない、早めに交代するために来たのだが」


 物思いに耽っているだけなら何の心配も無いのだが、いかんせん顔は顰めっ面で腕を組み地面と睨み合っている。

 

「洛浪氏、気になるから何か言ってくれ」

「……早馬を見た」

「誰だって見るだろう、外宮だって皇宮の一角だ」

「……第二皇孫殿下の宮に向かっていった。確か、皇軍の……左将軍……だったか」

「確かその筈だ。この時間となると、何かあったか?」

「可能性が高い。その後、陰の気配が騒がしくなった」


 騒がしいはあくまで感覚的な意見だった。軒轅には伝わり難く、首を傾げている。


「それが嫌な予感か?」

「そうだ」


 うーん、と軒轅は唸る。追いかけようにもどの道、道托将軍であれば龍を使うだろうし、洛浪は勤めがあるから此処に真っ直ぐ来たのだろうと解せる。


「では、俺が見てこよう」


 と、間を全て端折って軒轅は一人頷いた。その経緯が何となくだが察した洛浪は、その意見に揺れながらも軒轅を待てと止めた。

 道托と祝融の異母という関係性だけを理由に出来ないまでに兄弟仲は最悪だ。わざわざ主人が動けぬ時に揉め事は避けたい。祝融の麾下であるならば、下手に関わらない方が良いだろう。そう洛浪が突っぱねても、軒轅は明るく言い換えした。


「だが、気になるのだろう? どうせ交代の時間だ。空から眺めて、何があったかだけ伝える。それでも駄目か?」


 龍らしく空をぐるりと回ってくるさ、と軒轅があっけらかんに言う。少々不安に思いながらも、洛浪も一抹の不安をさっさと取っ払ってしまいたいのもあって、軒轅の申し出に渋々と頷いたのだった。

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