目覚めぬ男 二

 邸に目立つ金の髪色が現れた。

 交代の時間よりも少し早めだが、軒轅は槐に挨拶をする為、早々に目的の部屋まで来るのだが、扉を開けた瞬間に鸚史の姿を見つけ、「げっ」と露骨に嫌そうな声を出して苦虫でも噛んだ顔をしながら回れ右をする。

 まだ時間には早い、暇でも潰してこよう。と、見たものを無かったものとして目を逸らすも、そんな事に意味は無いわけで。


「おい待て、何処行く」


 いつの間にか背後に差し迫っていた鸚史によって、あっさりと首根っこを掴まれ捕獲されていた。

 

「……昨日やったばかりじゃないですか」


 軒轅はうんざりした様子で、首根っこをならぬ襟を掴まれ項垂れる。

 軒轅は手合わせが嫌と言っているのではない。単純に鸚史がしつこいのだ。しかも、この後は彩華に代わり軒轅が祝融の傍に居なければならない。

 疲れるじゃないか、と元上役に訴えかけたくとも彩華と違って軒轅は弱みでも握られたかのように強気に出られないのだ。


 まあ、御史大夫ぎょしだいふである軒轅の曾祖父が風鸚史に感謝の意を表明しているので、ある意味では弱みだ。

 弱みがあろうが、軒轅は一度、遠回しに仕事に支障をきたすと正直に言った事がある。疲れて眠くなるなどたまったものでもないし、と御託を並べてみたのだが、帰ってきた言葉は『鍛えろ』の一言だった。


 鍛錬で精神も共に鍛え抜けと真顔で言い放つのだ。怠け癖はどこいったと心の中で突っ込みつつ、軒轅は何とか逃げる算段を片隅に考えるも、目的を遂行する為にきっと元上役は手を離してはくれないだろう。

 だから、いつも諦めるのは軒轅なのだ。最後の頼みの綱である同僚へとちらりと目線を向ける。が、素っ気ないどころか見て見ぬふり。軒轅など視界の片隅にも入れないまま完全に壁になりきっていて。

 

「槐、いつも通り庭を借りるぞ」

「どうぞ。荒らさないで下さいましね」


 軒轅の意思など無視された会話が終わると、引き摺られるように……は流石に羞恥心が耐えられない。諦めた軒轅は軽く槐に挨拶を済ませると鸚史の後に続いて出ていった。


 

 また、部屋が静まる。

 賑やかしいのは一瞬で、その賑やかに釣られて起きてくれないのかと、槐の脳裏に僅かばかりの期待がよぎる。

 祝融は賑やかしいのが好きだ。一人でいるのを嫌い、尽くしてくれる者には絶対的な信頼と共に家族にも近い縁を求める。

 

 槐は、夫である祝融の優しさを知っている。

 家で一人過ごさせている事を言葉にして謝るほどに懇優しい。しかしその優しさは、祝融自身が孤独を嫌うからだ。

 その証拠に帰ってきた時は、これでもかと強く抱きしめて愛情を示す。まるで、自分がいない間に妻が消えてしまう事を恐ているかの様で、槐も負けじと祝融を不安を拭う為に愛情を返した。


 槐は手を握り続ける。待つことしか出来ないもどかしさを遠ざけて、ただただ、手を握る。


「彩華」


 槐は、背後に控える従者を呼んだ。従順に返事する女従者は主人の妻であっても同様にきりりと短く「はい」と返事をして侍る。


「どうされましたか」

「いいえ、ただ目の前で話でもしてたら、祝融様も聞いてくださるのではないかと思ったの」


 それまで仕事として壁になっていた彩華の顔が緩んだ。近くに置いてある適当な椅子を手繰り寄せ、槐の隣に腰を下ろす。


「軒轅様は鸚史様の気が済むまで付き合わされるでしょうし、時間はあります」


 今頃、元下僚相手にどうれだけ打ち負かされようと豪毅ごうきを見せる鸚史相手に容赦なく立ち向かっている事だろう。


「兄上は政務に長く就きすぎたと嘆くばかりね。兄上は強引な所があるから、疲れている時は私に言えば良いのよ?」


 兄とは言え、槐は自身の立場は皇妃であると主張する。政務では頂点にある風家が挨拶に赴く立場なのだ。確かに槐の方が上なのだろうが、そう言った言葉が出る時は大抵、槐の茶目っ気である。

 彩華も槐に乗った。


「どうぞその言葉は軒轅にでも言ってやって下さい。私よりも軒轅の方が後一歩で鸚史様に負けそうなんです。だから鸚史様が今一番陥落できそうな軒轅が狙い目なんだそうです」

「あら、指導していた立場だったから兄上の矜持も傷ついたのやもしれないわね」

「そうです。そして次に狙われているのが私です」


 彩華の言い様は、得意気にも見えた。目の前の御婦人の実兄が負かされているという話なのだから、勿論彩華は意地悪く言ったつもりはない。が、矢張り上手であった鸚史より実力が上になった事に関しては誇らしいのか胸を張っている。


「兄上は負けず嫌いだから」

「私もです。鸚史様だからとて、わざと負ける気はございません」

「勿論それで良いわ。偶には兄上も打ちのめされるべきよ」


 兄上は子供の頃から大層な自身家だったそうだから、と付け足せば、二人で秘密ごとを抱えた少女の様に肩を揺らしてくすくすと笑う。

 他愛もない会話だったろう。槐も自然と笑みが溢れていたが、話に区切りができて、ふと夫が視界に入る。槐の手は、祝融の手を握ったっままだった。

 この声が届いていないだろうか。返事のない姿から目を逸らして、隣に座った彩華を見ればその顔はゆったりと女性らしく微笑んでいた。


「大丈夫ですよ。聞こえています」


 根拠などないだろう。それでも槐が望んだの言葉をそっと告げる彩華に、槐は小さく「ええ、そうね」と静かに目を伏せた。

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