不穏な新年 五

 静瑛は音もなく立ち上がる。

 神農の御前である事など、露と忘れた。いや、どうでも良かったのか。


 この流れに、背後に控えた従者として控えていた朱小蕾しょうらいも前に出るか悩んでいるのか困り顔だ。下手をすれば、主人を貶める行為に繋がるか、主人の信頼を失うかどちらかの選択を前にどうにも決めきれない様子。


「静瑛」


 今にも、静瑛がその手で芙蓉を弑殺でも実行せんとする状況で声を上げたのは、神農だった。


「趙雲。どうせならば、場を設けよう」


 脈絡のない言葉に、芙蓉と趙雲に殺意を向けてきた静瑛すら首を傾げそうになった。何を言っているのか。そう聞き返すよりも前に、神農は手を払う様にして中央で舞踊を舞っていた者達は一斉に下がった。


 毎年恒例の余興だ。それぞれの従者を前に出し、剣を持たせる。大抵の者が、余興の為に腕の立つ者を用意するのだが、朱小蕾はただの侍従で護衛としての経験は殆ど訓練のみだ。


「陛下、私の従者はまだ就任したばかり。しかも、今日はそういった事の為に連れ立った者ではありません」

「……お前も趙雲も腕が立つ者同士。何より小競り合いを収めるには互いに剣を持つ方が捷径しょうけいとは思えんか。偶には、そう言った趣向でも良いだろう」


 神農自ら進めた遣り口に、静瑛は迷いなく乗った。小蕾から剣を受け取ると、颯爽と中央に歩み出る。

 反対に趙雲は迷った。禁軍の将という立場故、早々剣を抜く場というのは限られる。皇帝直属の軍であるが故、命じられたならば例え親であろうとも剣を抜かねばならない立場だ。

 しかし、これは宴の延長である趣の場であって皇帝の為とはならない。そんな場の為に己が剣を抜くのか。趙雲の矜持が二の足を踏ませ、出鼻を挫いていた。

 そんな趙雲を見て、静瑛からは軽口が飛び出した。


「どうした、異能なら使わないから安心して良い」


 相手を下に見た言い回しだ。これもまた、趙雲の矜持を傷つける要因だった。

 出れば禁軍将としての矜持が、出なければ武人としての矜持が、天秤に乗っかってぐらぐらと揺れたが、静瑛の趙雲を貶める発言こそ趙雲に許せないものがあった。

 趙雲もまた、背後に控えた従卒から剣を受け取ると前にでた。 


 を思わせる、緊迫した状況だった。

 だが、あれはいつだったか、と思い出す余裕が静瑛にはあった。今も尚強さを誇る、黒龍族の女従者の強さが露見した日だ。しかも彼女は矛使いであるにも関わらず、手練れの武官相手に剣で相手を負かした。

 その記憶を忌避しているであろう男は、それ以来下手に自身の手下を自慢気にけしかける事は無くなっていた。なんとも胸の空く記憶だろうか。静瑛は当時の余韻に浸り余裕の表情を相手に見せた。

  

 宴の中央で禁軍の将と文である右長史が互いに剣を構え、合図を今か今かと待つ。その格好こそ雅なる宴に合わせた貴人らしい装いだったが、気迫はどちらも武人らしく闘志携え鋭く視線がぶつかる。

 静瑛は睨み合っているその状況を楽しんでいると言っても良いだろう。鬱憤を晴らすにも丁度良いのもある。

  

 止める者はなかった。何せ、煽ったのは神農だ。お互いの子息が剣を向け合っていても尚、二人の皇子も一切の動揺すら見せない。無表情に徹して、神農の真意を伺っているのかも知れないが、何にしても二人はただ自身の息子が勝つようにと胸中で祈るだけだった。   


 そして、宴饗楽も止まったその時。 

 神農は呼吸と同じぐらいに何気無く「始め」という言葉を呟いた。


 二人は同時に動いた。いや、静瑛が一歩早かった。地を蹴るその勢いが既に違ったのだ。その勇ましさは、業魔と立ち向かう時と大差ないだろうか。

 鬼気迫る顔に今にも趙雲を弑殺を目論んでるとすら疑う程だ。静瑛は、構えた剣を下から上へと振るう。

 僅かに趙雲は背後へと避ける。下手に受ければ、剣は弾け飛んでいただろう。回避が精一杯だった。

 後方へと退がった趙雲へ、静瑛は容赦なく第二撃を振り下ろしていた。ここ最近まともに剣を振るう機会がなかった鬱憤が一撃一撃に込められていると言っても過言ではない程に、その剣は鋭く凄まじい。

 上からの剣撃に趙雲は受け止めた。その攻撃は流石に安易に汲み取れたが、それでも受け止める事が精一杯だった。

 体格差で言えば、趙雲の方が圧倒的に大柄だ。静瑛は姜家の中でも小柄な方で、趙雲の方が余程恵まれた体躯に生まれたといえる。生きた年数も圧倒的に静瑛の方が少ない。

 

 では、二人の実力の差は何か。

 強いていうならば、圧倒的な経験の差がそこにあった。


 業魔を殺してきた数で言えば、禁軍の将などよりも静瑛の方がよっぽど上だったのだ。

 殺せるか殺せないかではなく、もはやどれだけ殺してきたか。

 そんな数など競いたくもなかったが、それこそが二人の経験を浮き彫りにさせていた。

 三撃目、四撃目と静瑛の攻撃が続き趙雲は受けるばかり。静瑛は反撃する隙すら与えない状況が続き、そして。五の刃を振るった時だった。

 

 静瑛は初手と同じく下から上へと剣を大きく振るった。金属のぶつかり合う音が今日一番に響いたかと思えば、その鋭さと威力で剣は趙雲の手を離れ天井へと突き刺さっていた。

 すかさず静瑛の剣は趙雲の首へと向けられる。その鋒は趙雲の首の薄皮を突き抜け、小さな傷から赤い血が流れ落ちた。よくよく見れば静瑛の顔は余裕の嫌味を込めた表情などではなく、兄を貶められ激情に駆られたそれに戻っていた。今にも憤然のまま首に剣を突き刺珊程の殺気を放ったままの静瑛を前に、趙雲は漸く静瑛の恐ろしさを実感した。

 その凄みとでも言えば良いか、幾許の人数を殺した殺人鬼とすら見間違う程の眼光が一人の男を貶められただけで発せられたと言う事実。

 その男を前にして、趙雲は自身の矜持など崩れ落ちそうだった。


「そこまでだ」


 凍りついたその空気を瓦解させたのは、神農の声だった。静瑛は言葉に従い、あっさりと剣を下ろす。


「見事だ。腕は鈍っていない様で何より」


 見せ物としては一瞬だったが、それでも圧巻の迫力に見物客達は言葉を忘れ、ただ生唾を飲み込んだ。静まり返った中、神農も満足といった様子で僅かに口の端が上がっていた。


「これでも私は兄上より実力は下に御座いますが、兄上と肩を並べるが為に、この力を磨き続け邁進して参りました」


 兄があったからこそ、今の力があるのだと静瑛は強調する。そして、今も兄の回復を信じていると最後に告げると、神農へと向け深々と頭を下げ自身の席へと戻っていった。

 趙雲も茫然としながらも自身の椅子へと戻る。その隣の燐楷何か言いたそうではあったが、静瑛を睨むに留まっていた。


 すっかり冷え切った空気に成り果てた宴会だったが、神農が楽士に向けて手を上げれば再び演奏が始まった。

 少しづつ雰囲気を取り戻す中、神農だけが満足した様子で静瑛を見る。

 その目は、今はそこにいない男へも向けられていた。

 生まれた時より天命に縛られた者。

 

「一度、お前達の手合わせを見てみたかったものだ」


 小さく、誰にも聞こえない様に神農は呟く。

 寂しげに後悔の篭った声は、誰に聞かれる事もなく、消えていった。

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