不穏な新年 四
炎帝神農を最上位とした宴席は、第一皇子であり太尉でもある
その次が、姜家の中でも重要な役職にある者達が顔を並べられていた。
神農だけが、全ての自らが後世に繋いだ血を眺める事が出来る。
末端の者からすれば、物々しい宴席も唯一その血を実感できる場でもあるわけだが、神農の言葉を今か今かと膝の上に置かれて拳を握り締め、その口が開くのを待ち焦がれていた。
そして――
「我が一族の繁栄は、この国と共に千の時を栄え続けてきた」
神農は杯を置いたまま、重厚な語り口が始まった。
「この血が神威ある存在と眷属として契約したその時から、神血を持つ者として身命を賭す事が使命となった。私は当然の報いだ、致し方無い。しかし、それは血が続いても尚、枷となってお前達を縛ったが、皆、当然の事と受け入れた。国の為に尽くさんとあるのは、皆の日々の働きで良く知っている」
いつもと違う。言葉に違和感を覚えた者は、この場に慣れた者達だった。特に、子息二人は驚いた様子に目を見開く。
この口上だけは、長きに渡り一度として違えた事が無かったのだ。
そんな息子二人の事など見向きもせず、神農は言葉を続けた。
「私は姜家当主として、この国を治める元首として誇りに思う。だからこそ、私は今一度言おう。この国の平安の為に、この国を守る為に、今一度その身を捧げよ」
粘り着くじっとりとした物言いは、すぐ傍にいた息子二人すら動揺を隠しきれなかった。その言葉に込められた真意が、国に為に尽くす以外にもある様に思えて、より頭を悩ませる。
神農の厳粛な顔つきで、本意を述べているのかどうかも知れない。何一つとして読み取れない表情に、宴は不穏な空気を抱えたまま続いた。
乾杯もなく始まった宴会は、暗闇にでも飲み込まれたかの如く宴響楽だけが虚しく鳴り響いた。
不穏を読み取って誰も安易に口を開こうとしない。葬儀の方がまだ賑やかしいぐらいだろうと揶揄する者すら現れはしない。その筆頭に、いうもなら最初に会話を始める神農とその子息の二人すら何も述べない。
慣れ親しんだ親族でさえ、早く帰りたいとすら思った事だろう。静瑛も、どんよりとした空気に、ちらりちらりと親族の顔色を伺った。
正面、
長子は既に亡くなり、次子
趙雲は逞しさを兼ね備えたその姿、正しく姜家と言える。姜家らしさを以てして禁軍の将を務める男だ。
その隣の芙蓉は右丞相の側近を務める。それまで芙蓉と静瑛はこれと言って関わりが無かったのだが、突如右丞相が静瑛を右長史として指名したものだから、何かと突っかかっては静瑛をじとりと睨む。
普段、芙蓉という名前の如く華やかな人柄なだけに、静瑛に向けられる視線だけが陰険として斯くも女の恐ろしさをまじまじと実感させた。
そして、一番印象の薄い、廣瑚。年老いているせいか華々しい気品ある淑女ではあるが、父親同様に白髪が目立ち、そう永くないと感じさせた。
彼女に関しては、何代か前の丹諸侯であった夫と死別し、その後は細々と皇都で暮らしているという情報しかない。
そんな面々を眺めていると、視線に気がついた芙蓉がギロリと静瑛を睨んだ。幻想文学に出てくる
そんな中、漸く細々とだが会話が聞こえ始めた。
今も、神農や子息二人は口を閉ざしたままだったが、誰かが話せばどんどんと声は膨れ、気付けば宴という言葉が相応しい雰囲気へと成っていた。
その中で、静瑛は隣の席を見る。当たり前なのだが、今も隣の席は空いたままだ。
その向こうは、異母兄が二人肩を並べる。
長子道托と、三子
白髪白髭の姿で弱々しく、酒を手に動かぬ様は、正しく老人そのものだった。
そんな、宴に興じる事もなく黙々と辺りの様子ばかりに気を取られている時だった。
「静瑛や、祝融の様子は如何か?」
突如、正面に座る芙蓉が静瑛に向かって話しかけた。見せ物の場として距離があっても尚、その声はしかと静瑛にも届いていた。ただ、話しかけられると思っていなかった相手であり、出された名前に不信感しか抱けないとあって、静瑛は従姉弟同士とは言え警戒せざるを得なかった。
「……変わらず。ただ、神子瑤姫の話では眠っているだけだと」
「しかし、かれこれひと月と半にはなるであろう?」
芙蓉は口許こそ袖で隠していたが、その袖の下でにたりと厭らしく笑っているのか、目が弧を描いて細まっている。その声も揚々として、とても従姉弟が病床に伏す様を心配しているとは思えない。
一昨年、二番目の異母兄の
今回も神農の面前だから発言をしないだけで、紛い神より神罰が降ったとでも思っているのだろう。実際、そう言った噂が広まっている事自体は静瑛も知っていた。
「芙蓉姉君は何が言いたいのでしょうか」
「何、一体いつまでやらと思ったまでよ」
ふふ、と笑う貴婦人の姿に流石の静瑛も腑《はらわた》が煮え繰り返りそうだった。その煮え繰り返った臓腑から湧き出た感情が喉元から言葉で暴言を撒き散らしそうになる。
静瑛の顔に翳りが見え始めた。状況を作った張本人が、今度は余裕を見せ笑っている。看過できない状況が出来上がって、流石に視線が集まった。
隠そうともしない静瑛の殺気立った様子は一目見れば誰にでも分かる。だが、驚く理由があるとすれば、姜右長史がそこまで感情を露わにしている事だ。
彼の為人は、誰しもが冷静沈着で場を静観して物事を見極める事が出来る人物と言われていたからだ。
そんな男だとて、無感情な訳ではない。
静瑛の腑は積年の積もり積もった苛立ちで一杯だっただけだ。溜め込むだけ溜め込んで、吐き出す術を身につけただけ。
しかし今はその術も使えず、しかも目の前で放たれた侮辱の言葉でぐずぐずに腑が爛れてしまいそうな程。
要は限界だったのだ。
其れまでも静瑛は実兄がなんとも無い風を装ってこの場にいた事がいつも腹立たしかった。
何せ己も何も出来ない、言い返せば、より兄が悪く言われる。それが我慢ならないのに、手立てが無かった。
醜態としか思えない悪態、悪口を何気なしに吐き出す連中を前にしても飄々として一切動じる事すらなかった。
そして、そんな兄が我慢してきた事が尚腹立たしく、静瑛に降り注ぐ。
静瑛もまた、できる限りの混乱を防ぐ為に何も口にしなかった。兄を守る為と思いつつ、その場を荒らさない事が何よりも兄の為だと。
それが何よりも、腹立たしかった。
「兄上を愚弄するならば、私はこれ以上黙っているつもりはない」
限界だった。静瑛の腹の中は、殺意では止まらなくなっていく。
しかし、芙蓉の隣で腕を組み威風とした態度で座っていた趙雲が更に静瑛に突っ掛かり口を開いた。
「何を
その腰に剣を帯びていたならば、立場もその場の状況も無視して静瑛は剣を抜いていただろう。静瑛の立場は既に無位無冠ではない。勿論、何の立場がなくてもそんな無謀をすればただでは済まないだろうが、今の静瑛にはどうって事はなかった。
どす黒く腹が染まっても、自分にだけ悪意を向けているだけならば兄がしてきた様に容易に笑顔で切り抜けれる。しかし、今、何も……返事の一つできない兄に向けられた言葉を躱わす術はどうやっても見つけられなかった。
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