不穏な新年 三

 どれだけ前になるか、と静瑛は記憶を巡らせた。

 とある小作人の夫婦により生み出された業魔や妖魔の数々に業魔の上位と思しき存在。そして、燼を殺していたかもしれないという苦い思い出。思い出したくもない記憶の数々を頭に浮かべ、静瑛は正面に腰を下ろした異母兄へと冷めた目線を投げ掛けた。


「陰の気配は?」


 お互いに、陰の存在なる業魔や妖魔と言ったものと相対した経験がある。

 陰とは、そのまま暗がりという意味だ。山林などの生命満ち溢れる場所で鬱蒼とした木々の下に出来た陰。そこに神々の神威が降り積り、命を持った妖魔が湧くとされている。

 妖魔が湧くならばそれなりの場所であり、陰の濃くなった場所が存在する事になると予測は出来る。だが、皇都の様な人の手が入った場所というのは、そういった陰は出来難いとされているのも事実だ。


「昼間では是と言って無い。調査はこれからと言った所だ」

「それだけの判断で、雲省と同じ事象だと判断されたのですか?」

「皇都で起こっている不審死は知っているだろう。今は、何が起こっても不思議ではないと考えている」


 道托の目は真剣そのものだった。元々生真面目な人物だと聞く。姜一族は、仕事に関しては、そう言った者が多い。道托もその一人と言えるだろう。

 皇都を守る皇軍の一人として、事件解決の糸口を見つけるが為に静瑛の元へと来たのだ。

 そうなると、静瑛も手を貸すだけだ。

 静瑛も皇族として、民を守る為に最善を尽くさねばならない。


「雲省の事例と同じと考えるならば、何処かに根源となる場所が存在する筈です。皇都の何処かに陰が湧く場所……もしくは、業魔にならんとする程の陰を秘めた人物が居る可能性があります」


 陰が湧く場所に例外もある。それが、人である。

 人の心の陰なる部分が突如、魂を揺さぶり肉体の形を変えてしまうのだ。それが業魔である。山々と同じく神威の影響を受けたとされているが、実の所まだ全ては憶測でしかない。


「不審死も同様と考えるか?」

「流石にそこまでは……神殿は相変わらずですか」

「ああ、良い返事が無い。神子燼もだ」


 静瑛は、突如現れた顔見知りの名前に一切の動揺も見せなかった。

   

「彼の立場では自由に動く事は不可能でしょう」

「まあ、確かにな……陛下とは幾度となく謁見していると聞くが……」

「異母兄上も一度はお会いしたと聞いていますが」

「随分前だ。不審死が目立ち始めて直ぐの頃だ。その後は、特に是と言って」


 会いに行くだけ無駄だったと、眉間に皺を寄せ嫌悪を浮かべて吐き捨てた。

 道托は、まあそれは良いという。しかし、眉間はそのままで、上部に嫌悪を消せないまま話を続けた。


「どうやって根源なるものを見つけた」

「神子燼は、そう言ったものを見つける事に長けていましたから。まあ、神子であったならば当然だったのですが。どちらにしろ、根源は二つに別れ一方は大量の業魔が湧き、もう一方は業魔よりも悍ましいモノが生まれました」

「要は見える者でなければ判断は出来んと」

「……軍部に夢見は」

「探したが都合良くは見つからん。神殿もかんなぎすら渡したくないと聞く耳ももたん」


 既に道托は神殿にすら、神子燼に向けた同様の感情を抱いている様だった。神殿という存在が、皇都で起きている事件に一切関心を示さず、聖人と呼ばれる者達が悉く沈黙を貫く。

 最早、その組織すら疑いたくなるのだろう。


「あとは、地道に陰の気配を辿るだけが手段とされます」

「そうなるな……」


 時間が掛かる方法だ。殺人の犯人探しと違って手掛かりから犯人を追うのではなく、広い皇都の中から手掛かりを探し出さねばならぬのだ。


「……夜……動くか」


 道托は誰に向けてでもなく、独り言つ。何かを納得したのか、小さく頷くとすっと立ち上がった。


「邪魔をしたな」

「手をお貸しましょうか」


 その言葉に道托は固まった。


「……意外だな」

「何が、でしょうか」


 静瑛としては悪意なく吐いた言葉だったのだが、何が引っ掛かるかは理解できず戸惑う。


「お前は、に肩入れしているからな素直に手を貸すなど言うと思ってもいなかった」


 などという悪意ある言い方が指し示すのは、ただ一人。ひしひしと心がざわつくも静瑛は無表情を貫いた。


「この国を想い、この身と力を使う事こそ姜一族としての本懐だと陛下よりの教わりました。私も兄上も、陛下の意思の理念に従い行動しているだけです」


 そこには悪意のない強い眼差しがある。己が、……実兄が如何にこの国の為に尽力しているかを訴えかける様に。

 道托はその眼差しに、反応は示されない。静瑛の真意を見抜いてか、興味も無いと言った様子でただ一言、「そうか」とだけ吐き捨てると静瑛から顔を背けた。


「今日の宴には出るのか」

「……皇都にいるのに欠席する理由はありませんが」


 正確には過去に適当な理由をつけて逃げ回っていた為、一族に当主である炎帝直々に毎年参加する様に命令が下っているのだ。

 勿論、官吏の一人となった今、若かりし頃の様な安易な真似は出来ないのもあるのだが。

 

「そうか。お前の手を借りる時が来たら、その時はまた来る」


 そう言って、道托は後ろ手にひらひらと手を振って出ていった。


 静瑛は突如現れた半分だけ血の繋がった兄が去った事で、迂闊にも気が抜けていた。長椅子に背がへばりつき、暫く身体が持ち上がりそうに無いほどに力尽きた様子で天井を見上げる。

 苦手な相手というよりは気の抜けない相手。異母兄弟でありながら、これまで互いに睨み合ってきた相手だが、当人はそんな事を忘れたとでも言う様に接する。それが、どうにも気味が悪い。

 実兄の存在が無ければ兄弟なのだと言っているようで、どうにも異母兄の行動が理解出来なかった。

 

 静瑛は二つ並んだ茶器を見る。邪魔されたささやかな茶会で久し振りに会えた婚約者の姿を思い浮かべて目を閉じた。

 新年の装いだけあって、鮮やかな色合いで満たされた婚約者に一目会えただけで満足かと言われればそうでもなく、せめて次に会う約束でも取り付けられたら良かったのにと突如現れた異母兄を怨めしく思いたくなるというものだろう。


 しかも、夜には一族の集まりがある。

 憂鬱に更なる重石が乗っかって、固い長椅子に埋まってしまいそうだった。


 ◆◇◆


 重い。

 ずしりと空気の重みが、静瑛の両肩乗っかって地面に押しやっている様だった。

 

 鳳凰の間。

 一堂に集められた、その血を持つ者達。神農を筆頭とした姜一族は、華やかな宴会の中心にある。

 宴響楽に合わせて舞踊を舞う女達に、彩りに満ちた豪華な料理。酌をして周る女達もいつも以上に、張り詰めた空気に指の先まで緊張している。

 粗相の一つでもあったならば……そんな事が脳裏に過ぎる程に、場の空気は重かった。静瑛の背後に控える新たな従者となったしゅ小蕾しょうらいも、そんな空気に飲まれまいと必死に争っているのだろう。その顔は恐々と強張って緊張しているのなど、静瑛にもお見通しだった。


 席を与えられた者、その側に控える者に、その重みに動揺する者は一人としていない。しかし、例年この宴会の準備を取り仕切る者が見ても、今宵は些か不穏にも思える澱んだ空気に包まれていた。

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