番外編 龍の死は斯くも儚き 一

 豪奢な赤を基調とした部屋の端、彩華の目の前に、広い寝台の中に一人の男が眠り続けている。

 

 本当にただ眠っているだけにしか見えず、規則的な呼吸が絶え間なく静かな部屋の中で響く。その姿を垣間見ただけならば、彩華は何の心配も自分の不甲斐なさに落胆する事も無かっただろう。


 祝融が眠り続けて既に、ひと月が経とうとしていた。

 洛嬪との戦いの後、祝融は昏倒し、そのまま一度も目覚めてはいない。


 外宮、皇都の第八皇孫の宮に戻ってきても、祝融がいつ目覚めるかは知れない。神子瑤姫も肉体の負荷が原因の為、自然に目覚めるのを待つしかないと匙を投げていた。

 祝融が紛い神を殺した言及はなく、今の状況はさも当たり前と甥の姿に嘆く事もなく、神子瑤姫はあっさりと帰っていったのは、ほんの数日前の事だ。


「いつ、目覚められますか?」


 彩華は、一人言つ。皇都へ戻ってきてからというもの、用事がなければ毎日見舞いへと外宮へと馳せ参じた。従者として目覚めを待つというのもあったが、一つ、どうしても話がしたいのもあった。


「……雲景様の葬儀、終わっちゃいました」


 ポツリと、彩華は言葉を溢す。寂しげに、同調を求めるように。


 雲景の名前を口にした瞬間、彩華の声は震え始めていた。何とか堪えようと唇を噛み締めるが、彩華の感情は涙と共にポロリポロリと零れ落ちる。


「私……」


 彩華のとめどない感情が、ほんのひと月前の出来事を甦らせる。まだ、あの時の方が余程、冷静であったと――。


 ◆◇◆


 時は、ひと月前まで遡る――


「祝融様!?」


 祝融が突然、昏倒した。話をしていたその間も、一切の変化は見られなかったのにも関わらず、祝融は気を失ってしまったのだ。

 何が原因か。薄らとではあったが、彩華も洛浪も脳裏に過ぎったのは等しく洛嬪の姿だった。

 洛浪は黄龍から堕ちないよう祝融を支えながら、軒轅へと指示を下す。


「何があった!?」

「祝融様が倒れられた、宿に戻る」

 

 軒轅も察してか、直様進路を変え湖の端へと辿り着いた。それから暫くした頃、軒轅の眼前に翡翠色の鳥の姿が映り込んだ。


 珍しい色の鳥で済ませればよかったのだが、その大きさは普通の鳥よりも大きい。孔雀にも見えたが、段々と近づくそれに軒轅は目を凝らすとその上には人が乗っていた。

 とんでもない大きさの鳥に軒轅は戸惑うも、どうにもこちらに向かって飛んでいる。


「あれは誰だ?」


 と、軒轅が不意に発した言葉で祝融の状態を確認していた洛浪と彩華も目線を上げた。


「東君……」


 呆然とした洛浪が発した言葉に、軒轅と彩華はギョッとした。


「え……え?六仙の?東王父様?」


 それ以外に誰がいるというのか。と言った目線を洛浪は彩華に送るが、彩華や軒轅から言えば関わりがない六仙なぞ、どう対処するか悩むので出来れば会いたくないというのが本音だろう。

 そんなあたふたした二人の事など梅雨知らず、翡翠色の鳥は軒轅の頭上に差し掛かるとゆったりとその背に降りた。


 翡翠色の鳥……鸞の姿に彩華は首を傾げるも、もう一人の男が東王父である以上、既に頭を下げていた洛浪に倣った。


「良い、公的な場ではない」


 声を上げたのは、鸞だった。深みのある男の声が、その清廉とした姿に似つかわしくは無い。

 二人がゆっくりと頭をあげる。まじまじと声を発した鳥を見つめていると、獣人族が転じると同じく翡翠色の身体が波打つ。すると、その姿は一人の中年姿へと変わり果てた。

 洛浪はその姿に見覚えがあったようで、馴染み同然に声を上げた。 


「東君、元始天尊様も何故このようなところに」

「何、お前が言葉を残したからな。忍んで此方に赴いたまでだ。変事が終わってよかったが……」


 東王父の目は気を失った祝融へと降りる。死んでいるかの様にも見え、東王父は洛浪と彩華に邪魔だと手を払う仕草で二人を下がらせ、彩華に龍になれと指示をする。

 

「東君、彩華女士は……」

「洛浪様、大丈夫ですよ。暫く休みましたから」


 二人が黄龍の背から降り、少しばかり距離を取ると漸く横になる祝融へと近づいた。

 膝を降りその様をまじまじと見るも、外傷こそあるが矢張り眠っているだけの様子。


「神殺しの反動か」


 東王父の言葉を返したのは、元始天尊だった。

 

「紛い神だぞ、河伯の力も借りても尚か?」

「姜祝融と河伯神の力は相反する。恐らく、姜祝融には何もしていないだろう」

「……おい、何の為に俺とお前が動いたと思っている。過誤かごなど笑えんぞ」


 神妙な面持ちで、元始天尊の顔は強張るばかり。睨みを利かせた視線を送っても尚、東王父は悠々として見せ問題無いだろう、と呟いた。

 東王父の余裕のある顔に、元始天尊は思わず舌打ちする。その問題無いという言葉に、何やら思うところがある様子で、祝融を健診でもしてピクリともしないその顔を見ているのに飽きたのか、洛浪と彩華を一瞥したかと思えば瀑布の飛沫へと目線を移していた。


「女神洛嬪は、死んだのか」


 不機嫌な顔が鎮痛の面持ちへと変化する。吊り上がっていた眉がやんわりとだが垂れ下がる。


「正確には、女神はとうの昔に死に絶えている」

「知っている。だが、はそうは思わんだろう」

「あぁ、まるで本物の娘が死んだ同然に怒りは膨れ上ている」


 淡々と宣う東王父を前に、元始天尊は小さく息を吐いた。


「終わり……か」

「本当は、我々がもっと前に終わらせねばならなかった。そうすれば、犠牲は出なかったのだ」


 東王父は静かに後悔を語る。その表情こそ変わらないが憂慮を見せているのか、目を伏せる。

 

「嫌な奴だな」


 その言い分に、元始天尊は言葉では同意せずとも思うところあったのか、それ以上は言葉が溢れる事は無かった。


 ◆


「何を話しているんでしょう」


 声の聞こえぬ距離で待機している彩華は祝融の症状に不安が残るままも、みている事しか出来ない歯痒さに何度もちらちらと目線を向けた。

 あまりにもじっと見つめるのは、東王父と元始天尊に失礼に当たる為そうするしか無いのだが、いささか挙動不審である。


「判らないが……それより、彩華女士。後で話がある」

「今じゃ駄目なのですか?」

「……後の方が良い」


 洛浪の声が自然と、沈み始める。その僅かな声の変調は何か悪い事があったのだと、彩華にも伝わる程だった。

 そして今、彩華にだけ伝えねばならない事で、最悪の事態は一つしか浮かばなかった。


「…………雲景様に……何かあったのですか?」


 単調な声が黒龍から響く。静かで、怒りも悲しみも通り越した様な、落ち着いた口調を前に洛浪は続けた。


「雲景氏は亡くなられた」


 詰まる事なく発せられた、その言葉。

 空駆ける龍の横をビュウビュウと過ぎ去る風の音が妙に遠くなった。


「彩華女士」


 黙り込んだ彩華に、洛浪は龍の背から声を掛ける。暫く沈黙が続き、風の音が過ぎ去るばかり。

 力無く項垂れている様子はないが、龍の姿であるが故に、彩華の心情を慮るには要素が足らない。どちらにしろ、洛浪は人の心情に寄り添うのは苦手だった。

 だからこそ言い淀んだ祝融に変わって、雲景がさも無事生きているかの様なあっさりと嘘を言ってのけのだた。が、殴られるぐらいの覚悟はあった。

 どう考えても、夫の死に目に会えなかった女房に対する言葉ではない。それぐらいは洛浪にも判っていたのだ。

 

には、わかっていたんですね」

「ああ」

「……私が、真実を知ったら……まともに闘えないと?」

「祝融様がどう考えたかは知らないが、彩華女士の精神面がどう傾くかを鑑みるには、判断材料が少なくてな」

「信用してないって事ですよね」

「実力は信用している」

「……そうですか」


 それ以降、彩華が口を開く事は無く、洛浪も空気を読んでそれ以上を語る事は無かった。

 どちらにしろ、洛浪も雲景の死に際を見ただけで、今以上の情報を出せはしないのだ。


 朝日が昇る。

 どんよりとした雲が風に流され、燦々とした日が照りつけ、湖が煌めく。彩華は横目に流れる景色にも、軒轅の背の上で眠る主人にも目やることもなく、真っ直ぐに宿を目指したのだった。

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