番外編 龍の死は斯くも儚き 二

 地鳴りは鎮まるも、キュウセンは混乱の最中にあった。

 あれ程沈黙の街とすら揶揄された場所が、騒がしく混乱に満ち満ちている。洪水もあり得る嵐が過ぎ去ったかと思えば天変地異の前触れの様な地鳴り。寧ろ、混乱が起こった事で街は正常に戻りつつあるのかもしれない。

 そんな聖殿に導きを求める者たちを尻目に一行は宿へと戻ると、元始天尊と東王父から三人は休息を取る様に命令が下った。


「この街の後始末には皇都から人を派遣する。お前たちは姜祝融を連れて、急ぎ皇都に戻れ」


 との事だった。明日の朝には出ろ、と告げられ街がどういった状況なのかも確認もままならないまま、頷くしかな以上今日だった。が……


「東君、私は叔父上にご報告せねばならない事が……」


 流石にこのままではいられない事が多くあるのだと、洛浪は恐れず進言したのだが、その言は東王父がピシャリと遮った。しっかりと睨みも利かせて。

 

「手紙を送れ、今優先すべきは第八皇孫祝融殿下の警護だ。お前たちは殿下が最も信頼すべき従者。他に換えは無い」


 ここぞとばかりに、祝融の身分を口にして強調する。

 祝融に意識があればそこまで強く言う事は無かったのだろうが、眠り続けている今……いつ目覚めるともわからぬ今、祝融は皇都に戻る事でその身が危険に晒される可能性がある、と言っている様にも聞こえる。


「良いな」


 冷徹な視線を前に三人は成す術もなく、と言うよりも立場上、既に洛浪の言葉が否定された後に「否」など言える筈もない。

 そうして、三人は眠り続ける祝融共に皇都に戻ったのだった。


 ◆◇◆


 外宮に戻ると、祝融の帰りを待ち侘びていた皇妃かいが出迎えた。

 龍の姿を見た時こそ、歓喜の顔を見せたが祝融の状態を見てその顔色も直様消え失せる。

 

 目覚めぬ男を前にして、櫆は気丈な振る舞いを見せた。皇妃の裁量を常に推し量られているとでも言うのだろうか。彼女の振る舞いに隙はなく、静かに祝融の手を握るだけだった。


 ◆


 彩華は、祝融の警護を暫く軒轅と洛浪に任せると一人朱家を訪れた。


「彩華女士、雲景の葬儀は朱家が執り行う。外には出したが、此方にも面子がある。少々窮屈かもしれんが、我慢してくれ」

「いえ、お任せして申し訳ありません」


 雲景の祖母である、朱霍雨かくうを前にして彩華は背筋を伸ばし凛とした顔を見せた。

 雲景が最後に身につけていた荷物を渡す。

 龍人族に亡骸は残らず、葬儀は最後に身につけていたものを魂の身代わりにして葬儀を行う。

 

 五百年生きた龍の魂は次の魂の形である応龍へと転じ、神々が住まう天皇、地皇、人皇の三皇の御代にて神々にお仕えする為に旅立つのだと言われている。

 その為、最後の十日をかけて旅立ちを祝して宴会が行われる為、葬儀はない。


 では、寿命を迎えず命を落とした龍はどうなるのか。


 実の所、どの書にもはっきりとした事は記されていない。が、龍人族達は肉体を失った魂は現世を彷徨いまた肉体求めて戻ってくるのだと信じている。

 その為、死者が最後まで身につけていたもの、又は普段使っていたものなどの自らの気配を辿って地上へ戻ってくるのだと。


 彩華は、最後に雲景が使い古した剣を渡すと、軽くなった掌をじっと見つめた。


「彩華女士、これからどうする。そちらの親族が問題無いのであれば籍は戻すか?」


 霍雨の言葉に、彩華は顔を上げる。考えていなかった。そうなる事も予測しなければならなかった筈なのに、全くと言って良いほど頭に浮かんでいない事柄だった。

 夫が急逝したのだから、彩華は実家の戸籍に身を寄せた方がこれから生き易い。

 彩華も霍雨に言われて、「ああそうか」程度に浮かんだが、口から返事が出てこなかった。


「……葬儀の後にでも決めれば良い」


 普段、霍雨は鉄仮面と揶揄される女であったが、彩華の今の心情を理解していた。霍雨もまた、夫を亡くしている。彩華に寄り添う事はなくとも弱気を見せそうになる心根を突く事は無かった。


「後、葬儀の時騒ぐ者がいるだろうが気にするな」

「……承知しました」

「お前が黒だからと言う者もいるだろう。だがな、堂々としていろ。お前は殿下の従者であるのだ、胸を張れ」

「はい」


 また、彩華の瞳が戻った。嘆いてばかりは居られないと、鼓舞すれば彩華の精神は揺るぎはしなかった。

 その様子に霍雨も一息吐く。


「殿下のご様子は?」

「まだ何とも……」

「そうか……その事に関しても何を聞かれても答える必要はない」


 深い哀しみは押し込めて、彩華は祝融の姿を脳裏に止め、強く頷いた。


 ◆


 そして、葬儀当日――


 彩華は一人、葬儀に参列した。本来なら、主人である祝融も馳せ参じたであろうが、今は無理だ。代理を立てるにしても、外宮が今それどころではないと言うのもあって彩華一人が葬儀へと訪れていた。

 

 朱家本家敷地内にある、祭壇を祀る廟に雲景の最後に持っていた剣が供え置かれていた。


 ――あれが、雲景様の残骸か


 彩華は漸く、雲景の死を実感した。

 それまで、洛浪が最後を見たと言う話だけで本当は生きているのではないか、と心の何処かで考えていた。

 ひょっこり家に帰って顔を見せてくれるのではないのかと。そんな事を考えていると鮮明なまでに、彩華の中に雲景の姿が浮かび上がる。悲しみがずぶずぶと精神を侵食して緊張の糸が切れそうになると彩華は、握り拳を作って掌に爪を立てて気を引き締めた。

 

 そう、此処は朱家の敷地内であるのだと自分に言い聞かせ祝融の代理も立てられない今、彩華は自らの弱さを晒している場合ではないのだと只管に自らを奮起した。


 ――此処は……そうそう敵陣真っ只中みたいなものよ


 少々、葬儀とは思えぬ物騒な発想ではあったが、彩華がそう感じるのも仕方がない事でもあった。

 そう、全ては彩華に集まる目線が物語っていたのだ。

 

 葬儀と言っても身内ばかりのこじんまりしたもので、霍雨と彩華の他には朱家当主彪號ひょうごうの他に、飛唱とその妹、れい。その隣には、もう一人、黎と顔立ちの似た女性が佇んで、心無しか彩華を睨め付けていた。


 後は、ちらりほらりと年配の者が並ぶが、皆が皆、赤髪とあって彩華は自らが異物である実感が沸々と湧いくる。

 黎に似た女性ほどあからさまではないものの、年配者達の彩華を見る目は何とも陰険たる眼差しであった。


 だが、朱家から見れば彩華は一族の者ではないし、赤龍でもない。そして当主となり得る才能ある若者を誑かした女でもある。と考えると、それも難なく受け入れた。

 ただ、黎の隣に居る女性の目線だけは、それらと違って悪意とは違って見えていた。


 ――そう言えば、飛唱様にもう一人妹がいた様な……


 ぼんやりと不確かな記憶をたどっている最中だった。神殿から依頼していた神官が到着した。

 無事、旅路の果てに戻ってくる様にと祈願をかける為なのだが、入り口から入ってきた佇まいに、騒めきと共に誰しもが慌てて膝を折って叩頭した。


 勿論、彩華もだ。

 そこにいたのは白き衣を纏った神子、瑤姫の姿だった。


 霍雨は膝を突きながら、その姿を見上げた。鉄仮面の眉がピクリと動く。神殿で、正にお仕えしている神子が目の前に現れた事実に戸惑いこそないが、何やら文句は言いたげであった。


「神子瑤姫、此度は我が孫の為態々、御足労頂き感謝の極みにございます。されど、事前にお伝え下されば此方も神子様を御迎えする場を御用意出来ましたのに」

「だから伝えなかったのですよ、それに……これは、我が甥に永く仕えたよう雲景に対して、私個人が謝意を表したまで」


 そう言って、神子瑤姫は祭壇まで進む。その前に立ち、用意されていた香を焚き始めた。


「では、始めます――」


 皆、お互いに顔を見合わせながら、立ち上がって良いものかと伺い合う。

 その中で、霍雨が一言、「皆、立て」と告げると、立ち上がる。その場にいた誰しもが、旅立つ男の為に、深く深く祈りを捧げた。


 透き通る、鈴の音にも似た凛とした声が祭壇を前に響き渡る。

 彩華も、また祈っていた。

 どうか、もう一度会える事を願って。

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