四十七
洛浪が飛び降りた、その先。本来であれば湖に逆戻りだ。
だが、洛浪の足が水に触れたその瞬間、洛浪の足下の水面が一斉に凍りついた。寒々とした冷気を帯びた洛浪。その自信が身につける衣服の裾は霜が張り付き、口からは白い息を吐き出す。
正に、洛浪自身が極寒の冬季となったと言えるだろう。
その冷気を洛浪は自らの剣として軽々と洛嬪へと向けた。
洛浪は自らが創り出した道を辿り、洛嬪へと向かう。その寒さ同様に、冷然たる殺意を伴いながら。
祝融は後に続く。
何とも、三竦みにでもなりそうな能力だと思いながら、自らの能力を抑える。
二人は一直線に走った。
その間、洛嬪が水面を荒立たせるも、全てが洛浪の力により近づく側から凍らされていく。
高々、異能。神の恩恵を受けているとは言っても、所詮使い手は人だ。
しかし、洛浪はさも生まれた時からその力を持っていたと言わんばかりに、その冷気を御していた。
波打つ水面から現れる洛嬪の力を目の前にしても、冷静さは失われず、寧ろ洛浪の闘気を高めている。荒ぶる水の槍を凍らせて、遂には洛嬪の目の前へと辿り着いていた。
祝融と洛浪は一斉に剣を抜いた。
先に前に出たのは、祝融だ。氷の道を踏み込み、高く飛ぶ。その勢いと共に剣には炎が宿り洛嬪に向かって振り下ろした。
洛嬪は水で防御しようとするも、歯痒いほどに水が言う事を聞かない。
押さえつけられ、ねじ伏せられる感覚に、無理やり水面を上へ上へと引き上げるも、その重たさに水の盾が出来上がるより早く祝融の炎が眼前まで差し迫る。
洛嬪は動くしかなかった。
せめてもの救いが、足下の水が凍っていないと言う事だろう。
洛嬪が直接触れた部分に関しては、水は洛浪の影響を受けてはいない。洛嬪は不覚にも安堵していた。が、それが矜持を傷つける行為でもあったわけだ。
その怒りたるや凄まじく、またも轟々と空がうねり湖が荒れる。
しかし、どれだけ雨が降り頻ろうが祝融の火が剣となって洛嬪を襲う。
洛浪の冷気が洛嬪の攻撃を阻む。
双方、歴戦の実力を以てして、洛嬪を一切合切畏れなかった。
最早、楽浪の中に何の迷いもない。あれ程、洛嬪に対して芽生えそうになっていた感情も、全て枯れていたのだ。
それが神の力かどうかすらも二人は考えてはいない。
二人は紛い神とは言え、神威を携えた相手であっても強靭な精神を保ってして洛嬪へと剣を奮い続けた。
祝融が炎を出す時は攻撃するその一瞬だけだ。でなければ、洛浪を妨害してしまう。洛嬪が操る水すらも蒸気へと変貌させてしまう力は、洛浪の氷など一捻りにも近かった。
祝融は洛嬪の背後に回り込む。祝融の動きに合わせて、洛浪が道を造る。その創られた氷の道の上祝融が動き回る中で、洛嬪が創る水に盾を隙を見つけては打ち込んでいく。
勿論、その最中も洛嬪の水が襲いかかる。しかし、愚鈍な動きになった洛嬪の攻撃が祝融に当たるはずもなく、洛嬪は「坊」と読んだ事など忘れ、洛浪を忌諱の瞳を向ける。
忌々しいと言わんばかりのその瞳。
洛嬪の狙いを祝融から洛浪へと向けた。
洛嬪の足下の水が一斉に噴き出す。豪っと渦巻くその水は、洛浪が凍らせるよりも速く重く、襲いかかった。
その勢いで足場も崩れ、祝融と洛浪は一瞬足場を失い、その瞬間に高く上へと跳躍していた。
その隙を洛嬪が見逃すはずもなく、またも大波に飲み込もうとした。
だが。
洛浪のその眼の戦意は続いていた。
その冷気同然の鋭い眼。その眼が大波を捉え、洛浪の剣が大波を縦に振り下ろした。
大型の業魔を相手取っているかのような大振りな剣は瞬く間に大波を真っ二つに割くと、一瞬で大波をも飲み込む冬季が一面に広がったのだ。
余りにも、人離れしたその力。
洛嬪は驚きで完全に目は見開き動きは止まっていた。
その洛嬪の背後、冬季が一瞬にして熱気に変わり、眩しく凍る大波を照らす。
炎を宿した祝融が一瞬にして迫っていた。洛嬪の動作は遅れた。そもそも、全てが凍りついたその場所で、動かせる水が深い水底だったのだ。
洛嬪を守る盾はなく、炎の剣が洛嬪の首を焼き斬っていた。
洛嬪の首が落ちた。
ゴロンと氷の中で転がる頭。
祝融は、それ迄も業魔は幾度となく滅してきた。何故か、今まで以上に人を殺したという感触だけが、はっきりとその手中に残っていた。
祝融は一切の動きを見せなくなった洛嬪の肉体に剣を突き立てる。
洛嬪の肉体は燃え上がる。轟々と炎に包まれ、あっという間に横に転がっていた頭をも飲み込んだ。
洛浪は背後でその様を見届けた。
肉体は、普通の人体が燃えるより遥かに早く、炭へと変わって空へと昇っていく。
その中で、犠牲になった命も共に静かに黄泉へと旅立ていった。
一人、少女が洛浪に振り返る。少しばかり、洛浪の母の面影を残したその顔。
――ああ、矢張り……
洛浪は、初めて見る従兄姪に小さく「さようなら」と別れを告げると、残りの魂と共に見送った。
洛嬪の肉体が燃え尽きた。
それと同時。雨がピタリと止まった。
雲が流れ、曇天の隙間から白んだ空が覗き始める。
終わった……そう安堵の息を吐いた、その時。
突如、地が揺れた。
其れまで鳴っていた地鳴りとは違う、叫び声にも近い地響きが更に大きく唸る。
「軒轅!!」
祝融が声を上げると同時に空を見上げれば、すでに金色の龍は近くまで漂っていた。
二人のそばに降り背に乗れば、目を覚ましていた彩華が大人しく座っていた。
「祝融様、洛嬪は……」
遠目にも、洛嬪が燃える姿が見えただろう。しかし、空は晴れたのに何かがまだ続いている状態が、軒轅と彩華の両名を不安にさせていた。
「洛嬪は滅した……あれは紛い神だが……」
祝融は次にすべき事を話そうとした、が。
「祝融様!!!」
祝融は一瞬で暗闇に呑まれる感覚と共に、意識を手放したのだった。
――
――
――
緑省キュウセン。
それは、現世で最後に生々しく神の息吹が漂う地であった。
神が残る地は、強く河伯の思想が反映した。他の地域から孤立する程に独特の文化が形成され、洛嬪を強く崇め奉ったのだ。
河伯の加護があり、洛嬪の血が守られているのである、と。
夫婦であった洛嬪の血を継ぐ物達を見守る為、河伯は一つの山となりて、その地に根付いた。
肉体を失った後、現世に神威が影響する事を恐れた河伯は、自らの肉体を大地の解かし、更には自らに仕えた龍人族達の肉体を柱として神威を注ぎ込み、その身をも大地とした。
与えられた神威により肉体は大地の中に埋もれたが、神威は膨れ隆起し、
河伯の行いは、洛嬪の行いによる失われた命へのの贖罪でもあったが、一重に心身が悲しみに埋もれ既に神として幻夢へと帰る事が困難になっていたのもあった。
帰れば、悪神として神威を奪われるだけであろう。
ならば、その身を愛する者の為に――
河伯は、最後の力。洛嬪の血を継ぐ者たちの為の加護を寄せ集め、洛浪へと託した。
奇しくも洛嬪の血を継ぐ、洛浪に。
そして、紛い神の姿で現れた妻の最後を看取り、河伯もまた旅立ったのだった。
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