四十四

「祝融様、雨が増えています!!」


 雨の強さに、黒龍が声を上げる。 

  

「ああ、洛嬪の仕業と考えるべきだな」


 この状況で偶然という言葉が出たら、それこそ間抜けだ。疑ってかかれ、考え続けろ。それこそ、神など何を考えているのか知れた物でもない。

 激しい雨の中、祝融達は洛水湖を目指した。雨と共に冷気が芯の底から体温を奪っていく。洛浪は悴む手を擦り続ける。剣が持てないなど、溜まったものではない。寒さなど感じている間はない、がその冷気は龍の姿でいる軒轅や彩華にまで突き刺さった。そして、祝融にも。

 神威だ。真冬にも等しい寒さが進めば進む程に強くなる。


 そして――


 雨をも凌ぐ、轟音が響き渡る。地鳴りすらも消し去る瀑布ばくふの水音。それに合わせて水飛沫が、瀑布よりも遥か上を飛ぶ龍にまで迫る勢いで白煙を上げていた。

 その白煙、霧の向こう。強い気配があった。

 洛水湖の中心。


「洛嬪」


 祝融は言葉にして名を呼んだ。懐かしんではいない、ただ、火葬場で会った気配とは違って見えるのだ。

 それこそ、暗闇の中でその姿がはっきりと見通せる。洛嬪が神々しく光り輝いているのではなく、その存在感をまじまじと見せつけているのだ。

 その気配に、何故か悲しみばかりが窺い知れる。


 そう、洛嬪は湖の中心で嘆き悲しんでいたのだ。涙が、雨となって降り注ぐ。

 神話通りのその現象を前に、二頭の龍は洛嬪にそろりと近づく。


 水の上で何ごともなくしおらしく座る姿は、美しき水の女神だ。

 とても悪意ある姿には見えず、その姿が洛浪の心をまた揺さぶる。何を嘆かれているのか、洛浪は黄龍から身を乗り出して洛嬪に手を伸ばそうとした。


「洛浪」


 轟々と呻く瀑布の水音の中、はっきりと祝融の抑揚の無い声が届き、洛浪は我に返る。左手にある傷口を少しばかり指でえぐって痛みを再熱させる。傷の治りは遅そうだ、そんな事を考えながらも常に痛みがなければ、意識を奪われそうだった。


「彩華、軒轅、お前達は平気か?」

「はい……ですが」


 軒轅も頷くが、その目は洛嬪を捉え離さない。


 これが女神。


 洛嬪の頭上を漂いながらも、軒轅と彩華に洛嬪の姿が腹を掻きむしる。

 

 ――お労しい

 ――お支えしなければ

 ――その心根を騒がす原因を取り除いて差し上げねば


 突如現れた考えに、今度は疑問が浮かぶ。何故、そんなふうに思ってしまったのかと。

 彩華は主人の姿は見えないが、何故だか今日はずしりと重みを感じる。祝融からも感じる威圧と、洛嬪から溢れる威光を前に、ぐらぐらと心が揺れる感覚が不快だった。


 ふと、雨音も瀑布の激しい水音もが掻き消えた。

 静寂ではなく、無音。自身の心臓の音すら消えたそこで、くぐもったが凛と張った声が直接耳に響いく。

 

『何を警戒しているのだ』


 ぞっとするほどに美しく、残酷な声。

 洛嬪は顔をあげ、涙などどこにもなかった。すっと立ち上がる姿に儚さはなくさめざめとして落ち着いた表情は、祝融を見つけると睨みつけた。


『よもや、子の手でお前を殺せるとは』


 高揚する声に女神の淑やかよりも、愉楽が含まれる。

 洛嬪の声に合わせて再び音が動き出した。地を穿つほどに雨足は強くなり、更には湖がうねりはじめ、嵐が強くなった。

 伏犧神の気配は無い。

 洛嬪の気配と混じり合っただけなのかもしれないが、物々しく張り詰めた空気が辺りを包み込んで神域にでも居るかのような異界を思わせた。


「洛浪!!」


 祝融は黒龍の背に立ち剣を抜くと、構えた。剣が光る。バチリ、バチリと雷鳴轟く。

 闘志の籠るその姿。その眼差し。相手が神格ある存在と知っても直、衰えぬ闘志を前に洛浪は引っ張られるように立ち上がった。

 洛浪の右手も同じくバチバチと最初は火花散るが次第に、稲光に変わる。光が大きくなると、剣を抜き剣心に光を宿す。

 

 二頭の龍が洛嬪の周りを雲のように漂いながらも間合いをとる。その動きはゆるりと穏やかで揺蕩うも、金の瞳が洛嬪から外れる事はない。

 

 

 先に動いたのは、彩華だった。僅かな祝融の殺気に合わせて、洛嬪へと頭から突っ込む。

 馬よりも速く天を駆ける龍。その勢いは凄まじく、嵐を巻き込んだ豪風を巻き起こす。


 その上に立つ祝融ただ一点を見た。

 この存在を殺さねばならん、その思想に染まったとでも言えば良いのか。祝融は殺意ばかりを浮かべている。

 黒龍は洛嬪の際を擦り抜ける。龍の速さで威力の増した剣を振るうが、洛嬪は黒龍動いた時点で湖から水の盾を噴出させてその身を守る。

 

 彩華は洛嬪激突するつもりだった。が、正に流れるままと言ったところか。水の盾で水流が創られ彩華は進行方向を変えざるを得なかったのだ。

 龍の上で戦った覚えはない。

 出たとこ勝負で神格の存在と戦う事になるなど、思っても見なかっただろう。

 当たらない剣に歯痒さを覚えるも、彩華の闘志は上に立つ祝融が揺らがない限りは途絶える事は無かった。


 するりと、洛嬪の際を通り抜け、同じ速度で旋回している間に、今度は洛浪がけしかけた。

 黄龍の鱗が洛浪が宿した封印術の光で鈍く輝く。正に金龍とすら呼ばれるその姿は洛嬪に負けず劣らずの威光を見せつける。

 猪突猛進で駆け抜ける軒轅だが、やはりするりと水の盾で交わされるが、軒轅は通り抜ける最後の最後に尾をしならせて水の盾に食い込ませた。

 激しい水飛沫が上がるが、尾は弾かれ、衝撃で軒轅は危うく中空での均衡を失いそうだった。


 鞭よりも柔軟な上、鱗は剣でも簡単に貫けない程に硬い。洛嬪を脅威として認識した祝融の闘志を追い定めた打撃であったが、どうしても水の盾は貫けなかった。


 その水飛沫の向こうで、激しい炎が燃え広がった。灼熱の炎が水を巻き込み蒸気を上げる。

 ジュウゥ――と重厚な音を奏でては、水飛沫を切り裂いた。炎は剣の形となり、更にはバチリ、バチリ、と稲光が巻きついている。


 修羅の形相で洛嬪へと剣を振るう姿は、正しく闘神そのものだろう。余談は許されない状況であり、加減など何一つできない。

 祝融は渾身の力で炎をぶつけるも、洛嬪の眼前。目玉のすんでで剣は止められた。

 祝融は舌打ちと同時に水の盾を蹴ると後ろに下がる。そこには祝融を待ち構えていた黒龍が待ち構え祝融の足場となっていた。


 祝融の目が洛嬪を捉えたまま。今度は黒龍の下で水が蠢き出した。

 水が揺れる。


「祝融様、捕まっていて下さい」


 彩華の言葉と同時に、祝融は軽く角を掴む。

 蠢く湖が、突如波紋を創ったかと思えば、波紋は、ドプン――と唸り声を上げ、一気に形作られ彩華を飲み込もうと大口を開けた。大波が手を伸ばすが如く黒龍全体を包み込もうとするも、近づこうとするものは、祝融が斬るまでもなく龍が駆け始めれば到底追いつく事など出来なかった。

 洛嬪の意志から外れた湖の蠢きの中。視界から外れていた黄龍に動きがあった。

 

 閃光が映し出された。水飛沫を切り裂き、洛浪が洛嬪の背後へと躍り出る。

 鋭い殺意を携えて、バチリ――と雷鳴が穿うがつ。

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