四十三

 円の中心に光が宿る。

 その光の色は単純な白だろう。白光の中には何もない。何も映し出さてもいない。

 燼は、首を傾げるもその光に集中していた。すると、次第に白光は強くなる。段々と、微かな音が加わると、それは声となって燼の耳を掠めた。

 男……いや、女?複雑に声が混じり合い、どういった声なのかが判別し難い。

 単調で起伏が無い混じり合う声は、無情のままに語る。


『その魂魄、燧人すいじんの形を止めずも、神威を宿す。

 清浄され無垢なる魂と化し、新たな使命を宿す。

 その魂魄、神威を宿すも、人である。

 人であるからこそ、我々でなし得ぬ使命を宿す』


 白光は、言葉を終えると徐々に小さくなり、消えた。

 残されたのは、六人の神子だけ。

 言葉はしかと聞こえた。燼にもだ。聞こえたからこそ燼は言葉を失っていた。


「理解は、出来ましたか」

「嫌でも……これは、全員が」

「あの日と同じく」


 燼はその場にへたり込み、口を抑えた。

 

「神々は燧人すいじんの魂魄を浄化し、使命を与え人に宿した。しかし、神の御魂みたまを使ったとて、それは人だ……って事か?」

「恐らくは」

「燧人って……火の神……だよな」

「ええ」


 簡潔な返答ばかり寄越す瑤姫に目もくれず、燼は地面に目を落としたままだった。地面といっても、夢が散らばって、ほんの少し動くだけでジャリジャリと玉石が音を立てる。

 燧人の存在は知っている。教本にも出てくる神の一人だが、火を生み出した神程度にしか記されてはいない。祀られる対象としても、下位に当たる。

 しかし、神が告げた名が神である事実は揺らがない。

 神の言葉はまことである。だからこそ、神威を宿す者達の口数は少ない。


「祝融様は……その」

「祝融は人です」

    

 上から降り注ぐ声に、燼は顔を上げた。

 円が作られたまま、神子たちは同じく虚無に浸った顔で燼を見る。

 そうしてもう一度、燼に擦り込むように言葉を繰り返した。


「姜祝融は人です」


 表情も、その口調も淡白であるはずなのに物々しい。


「神威が宿る身体は限られる。だとしたら祝融様は……それは、使命か?それとも呪いか?」

「面白い事を言いますね。でも、そうですね、これは、呪いです」


 燼は立ち上がり、隣に立つ瑤姫と向き合う。

 度々口にする甥を慮る顔は何処にもなく、ただ使命を告げる神子がそこにいる。


「神々は、燧人から奪った神威を無垢なる魂として復活させ、同時に呪った。お前は、人……だと」


 瑤姫も、他の四人の神子も全てを受け入れてそこにいる。

 彼は、人だと。それぞれが口にする。

 正に呪いだ。そして気づく。

 燼は、祝融が『英雄』と言う称号で呼ばれているのだと。


 『英雄』とは、人である。

 その言葉を使い始めたのは、誰だろうか。無意識、この世の全てが、その身と使命を縛り付ける呪いとなっているのだと。

 天命は、やはり下っていた。

 そして、それが本人に明かされる事は終ぞないだろう。

 燼は思わず、笑いが込み上げてきた。

 くつくつと喉を鳴らしては、肩が揺れる。気が触れた、その様子に神子達動じない。

 

「祝融様の言う通りだな、神なんて碌なもんじゃ無い」

「祝融は無意識に毛嫌いしているだけです。燧人であった頃の記憶などありませんよ」

「燧人は関係無いでしょう。重すぎる使命だ。よもや、神殺しとは」


 今も笑い続ける燼へと冷淡な目で見る瑤姫は、その笑いを遮るように口を開いた。


「それで、燼。お願いがあります」

「へえ、神子瑤姫が俺に?」

「ええ、貴方にしかお願いできませんから」

「奇遇だ、そろそろ俺も限界が近い。貴女逹、白き神子に頼み申す事がある」


 燼はにやりと笑う。自らの命の使い所を、見つけたのだと。

  


 緑省 キュウセン


 雨が降り注ぐ。ザアザアと、冷気を宿したその雨は次第に次第に強くなる。

 少女は一人窓の外を見た。

 ほんの一寸前の事、突然地が鳴った。大きな揺れはしばらく続き、今も時折、ゴゴ……ゴゴ……と熊か大蛇が腹でも空かせているのかとすら間違う音が少女にも聞こえていた。


 父と母が地鳴りに飛び起き、聖殿へと慌てて出かけて行った今、少女は一人窓の外を眺めるぐらいしかなかった。

 真夜中で、今の刻限も知れぬ今、少女は眠たい目を擦っては両親の帰りを待っつ。


 静かな街で、雨の日は唯一姉とこっそりおしゃべりが出来る日なのだ。もちろん、両親に知られたら大目玉だが、そうでもしないと誰とも話ができないのがつまらない。なのに、折角の雨だと言うのに、姉は眠たいからと寝床でぐっすりと夢の中だ。

 両親もいないから、叱られないのに。と少女は振り返り、背後寝床ですやすや眠る姉を不満気に睨む。激しい雨の中、姉はぐっすりと夢の中だ。

 

 うるさい上に、寒さが隙間から入り込む。雨季から外れたその盛大な雨音は、ピチャリピチャリと桶の中で雨垂れと重なって、昼間ならば楽しんだ事だろう。

 しかし、今は真夜中だ。

 

 ――明日も雨が良いな


 何も知らない少女は、無邪気に祈る。

 雨の量が次第に増えているとも知らずに。 


 ピチャン――と突如、雨垂れとも雨音とも違う音が少女の耳に届いた。足音の様な、一定感覚に続く水音。

 両親が慌てて出かけてしばらく立つ。帰ってきたのだろうか。それとも、隣家でも色々騒いでいるのだろうか。

 少女は木戸をもう少しばかり上へと持ち上げて外へと目をやった。真っ暗で、何も見えない。雨だって見えやしないのに、誰かがいた所で見えるはずもないのだ。

 足音は途絶えた。両親が家に帰ってきた気配もない。 


 ――気のせいかな


 流石に暗闇を除くのにも飽きた少女は、雨戸から入り込む冷気に身を震わせ、そっと木戸を下ろす。寝床へ戻ると、姉からしっかりと体温を奪うようにくっついて眠りについた。


 ◆


 少女が、木戸を下ろした闇の中。動く黒い影が二つあった。

 雨よけにもならない黒い外套を羽織って頭から身を隠し、ぬかるんだ地面に足をとられながら歩く様は、少々抜けている。  


「見られたか」


 初老の男は、外套の隙間から閉まった木戸を睨んでいた。既に少女の気配はない。

 

「大丈夫だろう、これだけの闇に雨だ。夢見でもなければ、だが」

「子供だったぞ、危ういな」

「見られた感覚がない、大丈夫だ」


 雨の中、澄ました顔して男は断言する。端正な顔にそう言われると、鼻につく。


「さてと、山に行くんだろ」

「嘉伯山が一番気配が残っているからな。此処らは駄目だ」


 澄ました顔は、うんと頷き背後に聳える峰叢ほうそうを見た。初老の男には、雨と暗闇で何一つ見えてはいなかったが、澄ました顔にははっきりと見えていたのか、その形を|なぞって目を動かしていた。

    

「便利な目があって羨ましい限りだ」

「そうか、私は鸞鳥らんちょうの方が羨ましいが」

「馬鹿にしてるだろう」

「していない。西王母が、剥製にしたいと言っていた」

「そりゃ馬鹿にしてるってんだ」


 初老の男はあの女、と悪態吐く。


「はあ、こんな歳になっても下っ端に混ざってコソコソ動かねばならんとは」

「安心しろ、楽静信らくせいしんの見た目は五十そこそこと言った所だ、十分に働ける」

「見た目の話はしてないんだが」


 嫌味が通じない澄ました顔を尻目に、楽静信……元始天尊は溜息を吐きながら、身体が脈打った。


「こんな街中で転じるのか」


 澄ました顔が僅かに歪む。その男、東王父が動揺した事で霊宝天尊はニヤリと笑った。

 

「何、どうせ誰も見ちゃいない」


 何せ続く地鳴りで、街人達は聖殿に集まるか家で祈りを捧げている。少しばかり敏感な子供か夢見でもなければ二人の姿を追う事も無い。

 言うが早いか、楽静信の身体が歪む。一回り小さくなったかと思えば、今度は盛大に羽を広げて見せびらかす。本来、雨の中では鳥は飛べぬであろうが、その姿は関係ないと言わんばかりの神々しさを見せていた。

 翡翠色の羽と長い尾が優美さに拍車をかける。この世のもので無い姿。『鸞』と呼ばれる聖鳥を前に、東王父は呟く。


「西王母の言も頷ける」


 と生真面目な顔で頷く。月影があれば、雨に濡れていなければ、もっと美しいのだろう。殊更にお前が女だったらうたでもうたって、口説いていたとさらりとのたまう。

 西王母の言葉、つまりは剥製にしたい程に美しいと言っているのだろうが、当人からしたらたまったものでも無い。

 

「剥製は御免だ」


 鸞の姿で、生真面目東王父に向かって不快だと言わんばかりに不機嫌な顔を晒し元始天尊は小さくぼやいたのだった。

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