四十

 何かいる。


 祝融は身体から力が抜ける感覚に襲われて、その場で膝をついた。

 背筋が強張る。額から、又も汗が滲んで頬を伝った。洛嬪で感じた畏れが、いや、それ以上がじわじわと祝融を支配する。


 祝融の意識が途切れ始めたが、歯を食いしばって喰らいつく。そのような状態でも洛嬪への敵意は消えてはいなかった。

 ギリリと鋭い目を洛嬪へ向けるも洛嬪は何事も無く立ち上がり、祝融の背後に向かって歩き始めた。


 もう洛浪すら視界に入れない。羨望の眼差しのまま洛嬪は一点で止まる。

 そして、洛嬪が何かに向かって手を差し伸べる。すると、その姿が徐々に半透明になった。更には、人の形だけを残したまま透き通る水となり、最後はバシャン――と水が落ちる音と共に消えていた。

 その音が聞こえるや否や、祝融は大きく息を吐き出した。


「はあっ!!」


 息が詰まるかと思った。祝融は、思い切り息を吸っては吐き出すを繰り返す。

 

 ――何だ今のは、伏犧?本当に伏犧神が生贄を使って洛嬪を復活させたのか?


 もう、祝融は混乱どころではなかった。英知の神として知られるその存在が、この国の封印の礎とされるその力が、娘を復活させんが為に惨い仕打ちをしたと言うのか。

 ただ、神子達は不用意に言葉を語らない。伏犧神があまねく陰の存在の根源だとすれば、神子達も不用意に口を開かない事も頷けていた。


「祝融様!」

「洛浪、無事か」


 祝融は拳を握り、今自分が自由かどうかを確認する。

 動ける。畏れていた存在が消えた、遠のいたという事なのだろうか。

 祝融は立ち上がると洛浪を向いた。不調はない。所々、血が流れ痛みはあるが気になどしていらない状況だ。


「祝融様、怪我が」


 祝融が立ち上がった姿を見て、洛浪は安堵するも怪我が怪我だけに慌てて駆け寄った。

 

「そうも言ってられん!あれらがどこに向かったか考えねば……!」


 焦り動き始めた祝融は出口へと向かう。またも走り出した祝融の横で並走する洛浪だったが、不安に駆られ目線は足下ばかり見ている。

  

「祝融様……本当に伏犧神が……」


 洛浪も確かにを感じていた。

 祝融は口を継ぐんだ。祝融が洛嬪を弑する瞬間を止めた存在は確かにいて、二人でどこかへと消えてしまったのだ。


「神威が復活したとして、現世に顕現させた目的はなのでしょうか」

「それよりも、あれだけ影響を与えられる存在が、何故あの時、俺を殺さなんだ」

「祝融様!!」

 

 抜け抜けと自身の危機を軽口で言う男を、流石の洛浪も叱りつけた。だが、祝融の言葉も一理あった。

 殺されなくて良かった、と同時に殺せない理由でもあったと言うのか。


 二人は走りながらも、悶々と考えるしかなかった。

 そうして、出口まで辿り着いた頃、丁度彩華と軒轅が扉を開けて祝融達の所へと向かおうとしていた。

 流石に二人とも、祝融が傷まみれの血塗れとあっている慌てる。


「何があったのですか!?」

「手当てを!」


 しかしそんな場合ではない。祝融は二人を落ち着かせると、事の次第を説明した。

 既に女神が復活した事を知ると、二人の顔色は曇るばかりだが、そんな中、彩華はキョロキョロと辺り見回した。


「ところで、雲景様は如何されたのですか?」

「……」


 祝融は言葉に詰まった。雲景の死の瞬間を見て、今も悲哀より憤怒が大きい。だからと言って、彩華に伝えれば感情に飲み込まれるだろう。

 もしかしたら、祝融以上かもしれない。まだ、終わっていないこの状況で彩華が取り乱したとなれば、如何出るかも予測できない。

 祝融が、口を開けようとした時、洛浪が代わりに答えていた。

 

「雲景氏は、怪我を負ったので中に置いてきた。あとで合流する手筈だ」

「そうなんですね。良かった」


 大嘘も良いところだろう。奇しくも、祝融も似たような事を口走ろうとしていた。彩華が安堵の息を吐き出す姿が心苦しい。それでも、洛浪が言った事を否定もせず、祝融はただ切り替えるだけだった。


「しかし、如何やって探しましょう」


 声を上げたのは、軒轅だった。軒轅も、女と対峙した為か、左腕は無惨な状況だ。

 祝融が大丈夫かと問えば、肉は食いちぎっていないので大丈夫ですと、冗談半分の言葉が返っていた。


 祝融はちらりと開け放たれたままの扉の向こう側を見る。未だ、空は暗く夜は明けはしない。静寂ばかりで、薄気味悪い状況が続く中、祝融は外へと向かって歩き始めた。


「祝融様、」


 如何するか、彩華の声が使命感を帯びて祝融に問いかける。振り返れば、祝融に続く三人の目は今も気概が宿っていた。

 その時だった。


 ――ゴオオオオォォォッ!!


 地鳴りと揺れが同時に起こった。

 ぐらぐらと揺れる足元に加えて、大地の呻く声。

 同時に、祝融達は覚えのある気配が、そこら中でひしめいていた。

 その中でも、より強い気配が彼方より祝融にずしりとのし掛かった。祝融だけではない。三人もまた、同じ気配に気づいていた。その方角は……


「洛水湖か!」


 祝融の言葉を察してか、彩華と軒轅は龍へと転じる。

 黒龍の背に跨った祝融と、黄龍の背に跨った洛浪。果たして、洛水湖に何があるというのか。

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