三十九

  火と水。どう考えても、火の分が悪い。

  

  五行思想で水剋火すいこくかと言う言葉がある。その意味は、文字通り水は火に勝ると言うものだ。大多数の場合、水をかければ火は消えるなど子供でも知っている事。

 しかし、五行には別の面もある。必ずしも、物事が一方通行とは限らず、条件さえ違えば覆る事もあり得るのだ。

 祝融が実行しようとしている事は、正にそれだった。

 火侮水かぶすい。火の勢いの強さに、水は蒸発する。火が強ければ、祝融は相手が水であるとしても、負ける事は無いと考えていた。

 強く、より強い炎を。

 その豪快さ、力に物言わせ勇猛に炎を帯びた剣は、幾重にも重なり水を弾き散らした。


 水の盾に隔たれた、洛嬪の顔が濁る。祝融が剣を振るたびに、火は燃えたぎるが、水は火の勢いに負け消えていく。


 ――何とも厄介な力を与えたものよ

   

 忌々しいものを見る目は、淑やかな女を演じつつも濁った眼差しは強くなる。

 望郷の彼方に忘れた存在を祝融に重ね、その怨恨を力に乗せていた。  

 

 水は形を変える。優雅に漂っていただけの水は、お返しと言わんばかりの次第にコポコポと水音立てながら大きくなる。

 互いに力は拮抗して見えるが、実際はそうではない。祝融が水を振り払い近づこうとしても、洛嬪がさらなる水を作り出し身を守る。しかも、洛嬪は未だ攻撃に転じていないのだ。

 祝融も手応えらしきものは感じてはいなかった。猛攻を続け、機を待つ。 

 

 大いなる自然の力を借りるのでは無い。共に無尽蔵に能力で新たなものを生み出せる。

 無から有を作り出す。それは神威だけが為せる技だ。洛浪は、異様とも言える光景に言葉を失った。

 今も、洛浪は平常心とは言い難い。洛嬪に心を鷲掴みにされてでもいるのかと思える程に、その姿に心騒ぎが鎮まる気配がない。

 斯様なまでに、揺らぐ心。洛嬪が、「坊」と呼んだ、その声が鮮明に頭の中で響くのだ。殺されそうになった瞬間、安易に死を覚悟する程に、言葉を受け入れてしまう。

 神威は生きるモノにとって毒とは、よく言ったものだ。神が放つたった一言、二言の言葉が、祝言ほぎごとにも、呪言じゅごんにもなり得る。


 もし、今、洛嬪の口から「死」を紡がれたならば、自分は一体どうなってしまうのだろうか。

 洛浪は頭を振り払うと剣を鞘から抜いていた。抜いた、と言っても全てではなくほんの小手先程度だ。

 その抜いた先を左手で掴む。鋭く尖った両刃が親指の付け根と人差し指の関節あたり食い込んで、刃を伝い、血が流れる。

 洛浪は痛みに集中する為に瞼を閉じて意識を向ける。

 意識を保つが為に、洛嬪に呑まれん為に、多少強引な策ではあった。

 が、効果はあったようだ。洛浪が瞼を開けると、その瞳は鋭く変わる。迷いも戸惑いも消え、業魔を狩る時と同じく、殺伐とした空気を纏い剣を抜いた。

 

 感覚を研ぎ澄まし一直線に殺意を向け、地を蹴る。

 洛浪の右手が熱くなった。

 パチリ、パチリ――と閃光が洛浪の右手から剣に伝わる。音は徐々に大きくなり、バチバチ――と雷光すら思わせる程に剣が光った。


 光が洛嬪の視界にも映った。その意味を洛嬪も知っている。


『ああ、坊。なんて事を』


 声に沸々とした怒りが湧いていた。祝融だけに向いていた嫌悪が両者に散り、僅かに洛嬪の意識が削がれる。

 祝融はここぞとばかりに、打ち込んだ。更なる業火をもってして、水の勢いを殺す。

 一点、ただ一点を集中的に狙う。


 洛嬪は焦るように攻撃を始めた。ブクブク、ゴボゴボと音を立てて大きくなった水の塊が攻撃を続ける祝融を鋭い槍となって振り下ろされた。

 上から、左右からと次々と水の槍が祝融を襲い突き刺さるが、祝融は顔色変えずそれを受け止めた。

 血が出ようが、肉が裂けようが、お構い無しだった。


 痛みなど、糞食らえとでも言わんばかりの強張ったままの表情は、ただ洛嬪をしいする事しか考えていなかった。

 恐らく、祝融にとってこれまで想像する事すら出来なかった痛みだろう。同胞ばかりが傷つく中、これまでの殆どを祝融は無傷で切り抜けてきたのだ。

 どれだけ傷つこうが、祝融は後ろに下がらない。それどころか、より殺意が増し、その心中を体現するかの様に炎の勢いが増していた。


 洛嬪の顔がより曇った。闘神と見間違わんばかりの猛攻を、祝融は安易と見せつける。

 苦虫でも噛んだ、と思える程に手こずっている。

 高々、眷属神の末裔。高々、炎とは言え異能を授かっただけ。


 ――奴等め、何を創りおった


 ああ、忌々しい。一刻も早く父君の御尊顔を拝謁せねばならんと言うのに。またも洛嬪の顔が歪み、無意識に歯をギリリと軋ませた時だった。

 視界の端に映っていた雷光が、正に稲光同然の速さで洛嬪目掛けて飛び込んだ。その向こうでは、既に洛浪の手に剣は無い。

 祝融はそこで初めて後ろに下がった。

 祝融が狙った一点目掛けて飛び込んできた剣は、洛嬪が避ける間も無く水の盾を突き抜け、その腹へと刺さっっていた。


 水の動きが止まった。洛嬪は、力無くその場に座り込むと、それ迄洛嬪の盾となり槍となっていた水は形を失い、バシャン――と一気に地に落ちる。

 神格相手に、受け継がれし神血の効果が如何程のものであるか。洛浪は疑心に囚われるも、どのような手も試すことに躊躇いはなかった。そして、その思惑通りに洛嬪は腹に刺さった剣から広がる閃光に囚われている。


 祝融が止めか、洛嬪の首へと剣を向けた。

 神格の殺し方が正しいのかどうかは知らない。だが、その身が衰弱した、この機会を失いたくはなかった。

 そして――


『父君――』


 恋しげに、最後に父を求めた。

 そうではない、洛嬪の視線は、またも虚空を捉えていた。


『ああ、伏犧様』


 拙い。祝融は漠然とした焦りが生まれた。再び、腹の中に畏れが生まれているのだ。剣を振り翳し、今にも洛嬪の首を斬ろうとする寸前に祝融は、身体が動かなくなった。

 

 背後に、がいる。

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