三十一

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 ――

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 小さな蝋燭が一本、風に揺れていた。


 黴臭い石壁ばかりに囲まれた、地下独特の重く冷えた空気が漂う中、上階からの風が吹き込んだ。

 些細な風は、狭い道を遠って少しばかり勢いを増す。ヒュー、ヒューと人が呼吸でも繰り返す様に音を立てる風が、薄気味悪さを助長させる。そこに居る者達に意識があれば、心の底から震えただろうか。


 地下は幾つもの部屋に別れていたが、そのどれもに虚な目をした者達で溢れていた。壁を背にもたれ、誰も彼も拘束などされていない。ただ皆、生気が無い。

 言葉も溢さず、呻く事すら忘れ、最低限の呼吸を繰り返すだけの生きた屍。魂を抜かれたそれらは、逃げる意思もなくそこに居た。


 男、女、と別れてはいたが、どれも似た年代の、同一系統の血筋ばかり。洛嬪の末裔とされる者達が集められる中、一際目立つ髪色が二人。


 金色と赤髪のそれらも、等しく小さく呼吸を繰り返すだけとなっていた。

 ただ、他と違い時折ぴくりぴくりと動いては抵抗を見せる。龍である事が起因しているのか、単に抵抗力を持っているだけか。


 特に暗然たる部屋の中で、ある女が動き回ると尚の事、二人は反応していた。

 金の隈取り柄の白面の女。その女の衣擦れ、足音、僅かな溜息。

 女が些細な音を溢すたびに、龍である二人は微かに動く。


 黒い衣に身を包んだその女は、一つの壺を手に部屋の中を巡る。じいっと並んだ人形の如し者達を眺めては、龍である者達の様に動いたり、中には「うっ」と呻く者もある。そう言った者が現れると、何か納得して近き喉元に人差し指と中指を並べて添えると、すうっと横に線を引く。


 すると、首には赤い線ができる。その線からは何も出ては来ないが、女は壺を線の少し下に当て何かを掬っていた。

 そしてまた、物言わぬ屍に戻る。

 正に魂を抜かれている、生気を抜かれている状況と言えるだろう。

 

 それを幾度も繰り返すと、女は壺の中身に満足したとでもいう様に蓋を閉めた。ポンポンと大事そうに抱き、赤子の様にあやす。

 そうなると女は他のもの達に一切の関心が無くなったのか、くるりと反転して軽い足取りで地下牢から出て行こうとしていた。


「うぅ」


 が、再び声が聞こえて、女の様子が変わった。


「またか……龍は面倒だ」


 独り言つ声に、その呻き声が今度はズルっと音を立てた。

 薄暗い中、どうにもその者は立ち上がった様だ。蝋燭の灯り一本では、暗転したままの空間だったが、女にはそれがよく見えていた。


「また金色か。そんなに悪夢が見たいのか?」


 女は艶やかに、鷹揚な声色で問いかける。女には余裕がある。何せ金色は立ち上がって入るものの、その目は霞んで、足もふらついている。息も荒く、苦しそうにゼエゼエと喉を鳴らしていた。


「流石は麒麟の血を継ぐとされるだけはある。が、大人しくしていろ、苦しむだけだ」


 女の忠告を無視して、金色は額に青筋立てながら前に出る。その足取りは覚束ず、今にも倒れそうだ。


「……皆を、元に戻せ」

「それは出来ない相談だ。彼らは儀式に必要な贄だからな」


 女は仮面の下で薄ら笑っている。そんな空気が金色……軒轅は霞む視界の中でも、女のその仮面が不快で堪らなかった。そして、何かしら呪をかけられ身動きが取れない自らも腹立たしく、より自らを奮い立たせた。

 その手に剣は無い。

 唯一の手段は、己が内に流るる神威を受け継いだ血だ。

 パチリ、パチリ――と指先に閃光が弾ける。しかし、精神が安定せねば真っ当な威力は無いだろう。


「やめた方が良い」


 女の声で、軒轅の指先の閃光が消えた。

 女の足元を捉えていた目線を上げて女を見ると、仮面の向こうの瞳と目が合った。女の声はくつくつと喉を鳴らして軒轅を嘲笑う。


「今の状態じゃ、大した威力にならない」


 仮面がニヤリと笑っている。

 軒轅は幻覚でも見ている気分だった。仮面が動くわけが無いと分かっても、そう見えるのだ。

 だが、不意に気付く。

 軒轅の動作は僅かだ。身体自体は本調子とは程遠くふらついているが、封印術自体は指先で発動させただけだ。何より、女の発言はまるで軒轅が何をしようとしたか読み取った様にも聞こえる。

 

 ――待て、この女。まさか……


「黄家時期当主、黄軒轅」


 まただ。軒轅は女が歯を覗かせて嫌らしい笑みを浮かべている気がしてならなかった。

 気味が悪いなど通り越して、肌という肌が粟立つ。

 そう、鱗が騒めく。

 龍の危機感、龍の本能。

 不調の身体が今にも龍へと変わろうとしていた。軒轅の目は瞳孔が開き鋭く、肌は鱗へと変貌し、牙や爪までもが龍へと転じようとしている。


 目の前の女を食い殺さんと龍の本能が騒めき立つ。

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