三十

 蝋燭の小さな灯りは、暗闇の中でぼんやりと石壁を映し出す。

 どんよりとした空気、聖殿と言う神聖なる場所に似つかわしく無いその雰囲気が、小さな灯りが心許ないと感じる程に陰鬱としていた。

 彩華はその明かりが消えぬようにと、蝋燭を支えながらも直走る。この先に何も無ければそれで良い。

 未だ、何の気配もしない中、薄灯りだけを頼りに進む彩華は、いつしか暗闇に押し潰されそうな程だった。

 雲景が居なくなってから、本当は心配で堪らない。


 そんな中、左右ニ方向に別れた曲がり角が現れる。

 どちらが正解か、はたまた、どちらも外れか。こう言った直感において彩華は不得手だ。

 いつも道は燼に決めさせていた。彼ならば、存外正しい道が見え問題を解決する糸口を掴む事に長けていたからだ。頼りにしていたのだな、何て思い返し哀愁に浸っていても仕方がない。


 彩華は一度右照らし、今度は左を照らした。結局は道の奥底まで見える筈も無いのだが、どちらにしようかを決める一手が欲しかった。

 その時、蝋燭の火が大きく揺れた。


 ――風か? 

  

 左から右へと流れる火を彩華は慌てて掌で覆って壁を作った。

 灯りはこれ一つだけ。消えては困る。

 吹き抜ける風は狭い道を通るからか、その勢いか蝋燭の火がゆらゆらと、時にふっと消え入りそうになるものだから、彩華は此処に来て更に慎重さを要求されている気分だった。

 

 ――ああ、もどかしい!


 風相手にキッと睨みをきかせる。無意味と分かっていても、まるで彩華の心情を逆撫でしているとしか思えない状況だった。

 睨んだ所で解決の糸口が現れてくれるものでもなく、一旦落ち着きを取り戻す為か、彩華はさて、と一呼吸おく。念のため右に進んだ。すると直様行き止まりに辿り着き、そこは一つの部屋になっている。

 中を覗くも、広い部屋の中はこれと言って何も無い。


 となると後は……

 彩華はくるりと向きを変えると、一目散に走り抜けたい衝動を抑えて急ぎ足で歩き始めた。


 ――クソッ


 と、腹の中で毒付く。淑やかとか、そんなもの知った事か!と、大股で。

 あー、もう。あーもう!!と、焦りと憤りを同時に表現できる言葉が浮かばないものだから、無意味な言葉を反芻する。

 何もそこまで男勝りにならなくても、と雲景が側にいたなら、彩華を嗜めただろうか。

 ふと浮かぶ夫の姿に、彩華は空いていた左手で思い切り頬を打った。バチン――と肌がぶつかる音を響かせて、弱気になっている自分を奮い立たせた。

 きっと赤くなっている。思い切り叩いたからか、奥から小さく吹き抜ける冷たい風に当たってヒリヒリとした痛みと鈍い感覚だけが、赤く染まった左頬に残っていた。


 ――

 ――

 ――


 そんな事など梅雨知らず、雲景と軒轅は白面の女が指し示す道を進み続けていた。何処に向かっているのか、それだけは相変わらず判断できなかったが、段々と辺りが暖かくなっている事だけはその身に確りと感じていた。


 その頃になって、漸く火葬場が頭に浮かんだ。

 しかし、判然としない。

 火葬場に、何故牢屋が必要なのか。

 火葬場自体、そう真新しい建物とは言えなかった。となれば、牢屋は当初から存在したとなる。もしかしたら元となった建物が何かしら曰く付きだったと言う可能もあるのだが、そうだったとしても雲景は釈然としなかった。


 そうこうしているうちに、更に熱気が増していた。ムッとすると言える程、更には汗が流れる程。


 ――これは……


 雲景の足が止まった。向かっている先は炉だ。

 その思考が確信に変わると、今度は女が何を考えているかを問いたださねば気が済まなくなっていた。


「雲景氏?」

「軒轅、恐らく私達は炉に向かっている」

「ああ、だから暑いのか」


 軒轅も熱気が煩わしいのか、うんざりした顔を晒して次々に額から流れる汗を拭っている。


「女、何をするつもりだ」


 女は、雲景の声でピタリと止まりフラりと振り返る。炉が近い中、一人、仮面の向こうで涼しげな顔でもしていそうでならない。


「あの牢は何に使っている。炉で何を燃やしている!!」


 雲景は叫ぶと同時に視界が歪んだ。目に映るものが、渦巻いて、ぐらぐらと平衡感覚が失われている。重たい頭が、天井から押さえ付けられているのだろうかとすら勘違いしそうな程。

 かと思えば、今度は浮遊感を感じる。


 ――これは……何だ?


 雲景は定まらぬ視界の中、ゆっくりと軒轅の顔を見る。

 その顔は、女と同じくぐらりと歪んで、無情を浮かべた瞳が雲景を見つめていた。

 要領を得ない感覚を前に、雲景はあるものを思い出す。


 ――これは、夢か?

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