二十九
冬の寒さに飲み込まれ、炎の熱が冷め始めた頃、二人は何とか立ち上がるまでに回復した。
脳天に打撃を食らったかのように、頭が回らない。洛浪も彩華も、頭を抑え似た症状に笑うしか無い。結界のお陰か、熱量を浴びてはいたが火傷は無い。
強い炎を浴びた石壁が、一部黒く焦げ付いた様を見る限り、唯の変調で澄んだのは幸運と言えるだろう。洛浪は、そう言ってまた笑ってみせた。彩華も真似てにへらと笑って見せる。
言葉で何度も平気だ、大丈夫だと伝えた所で意気消沈する主人を前に、彩華は笑うしか手段がなかったのもある。
ああ、こんな時、夫なら何と言って声を掛けるのだろうか。未だ、何処かで捉えられている夫を思い出すと、彩華も主人の落胆に一緒に飲まれそうで、重たい頭を左右に振って考えを退けた。
「この奥に、二人はいるのでしょうか」
陰の気配が消え、ただの廊下が続くだけとなった、その道。蝋燭の灯りが消えた今、底なしの暗闇が続いて先は見えない。
祝融の右腕の炎だけが、照明となってその場を照らす。その灯りが、暖かくもあり、暗闇という不安を遮る。
「……何とも言えん。戴清杏が、火葬場に入らぬ様に足止めをしたと考えると、そちらに居る可能性もある」
そう言って、洛浪は廊下に備え付けてあった蝋台を外すと、祝融に向かって火をつける様に促す。弱々しい灯りを手に、何かを意気込む。
「この奥は、私が見てきます。祝融様は彩華を連れ、先に火葬場へ。私も、二人が居ないと確認できれば、直ぐに向かいます」
言うや否や、洛浪が前に進もうとした瞬間に祝融の叱咤が飛んだ。
「お前は、自分も神隠しの対象と忘れたのか!」
「ですが、時間は無いと考えた方が良い。手っ取り早い手段が必要です」
それはそうだが、今は誰の身も危険なのだと祝融も譲らない。言い合いではないが、二人の目が鋭さを増す。本当は言い合いなどしている暇は無い。だが、もう何が正しくて、どう動くべきか判断できる材料が減っていたのだ。
これでは埒が開かない。二人の間に割って入った彩華が口を挟んだ。
「では、私が奥を見てきます。火葬場は近い、龍の背に乗らずとも行けますね?」
と、落ち着いた口調は幼子でもあやしているかの様な口振りで、二人を嗜める。
そう、捉えられている二人を想えば直ぐに行動するべきなのだ。
何より、その一人は彩華の夫でもある。
「早く、顔が見たいので」
捉えて連れ去ったのなら殺される事は無いだろう。楽観的とも言える思考だが、無事を信じているからこその余裕でもある。ゆったりと笑みを浮かべ、自分を納得させる事で落ち着こうとしているのかもしれない。
一変の不安を見せない彩華の顔から祝融は僅かに目線を落とす。力の入った肩の先、確り握られた右手の拳だけ微かに震えている。それが彩華の本音を物語っていた。
「分かった、任せる」
「喧嘩しないで下さいね」
まだ言うか。祝融は罰が悪そうに、頭を掻いたが、主人らしからぬ焦りを見ても尚、二人が祝融を気遣う姿を思うと祝融も冷静さを取り戻していた。
彩華が蝋燭を洛浪から受け取ると、その火が消えぬ様に手で風を遮りながらも、一目散に奥へと駆ける。良く響く廊下だが段々と距離が開くと、小さな蝋燭の灯りは見えなくなり足音も次第に聞こえなくなった。
「祝融様」
「ああ」
祝融もまた、動き出した。十歩も戻れば、目の前には入り口であった大扉がどんと構えている。そこは、外から封じられたままで今も強い思念が残ったままだ。
「他者の封は、解いた事は無いが……」
「私もです」
祝融は右手を洛浪は左手を共に扉に当てた。扉のザラついた木目の感触はなく、真っ平な鏡(青銅を磨いた物)にでも触れている様な感覚に囚われながらも力を込める。
その瞬間、二人同時にずしりと重しがのし掛かった。実際に何かが載っている訳ではない。そんな感覚に襲われ、身体が一気に重くなったのだ。
それだけ重厚な封が掛けられた、と思うより無いだろう。
「化け物でも封じているつもりか?」
祝融の自虐とも取れる発言に、洛浪は眉を顰める。
「私は、その様なものにお仕えしてるのではありません」
ピシャリと祝融を嗜める言葉に、祝融はゆるりと笑った。
「すまん、失言だった」
化け物、その自覚は祝融の中に常にある。だから、
ただ、ついうっかりその言葉を口にするも、遠慮なく言葉を吐く洛浪の姿が潔くて、その考えが僅かに滲む。
祝融の手に更に力が篭った。自らの内にある、血の中に眠る神威を沸き起こす。
ゴボリ、と水疱が幾つも現れては血を巡る感覚。
化け物であるならば、その力を利用するまでだ。
パチリ――と火花が散った。金の閃光ではなく、熱した鉄を打った時に現れる様な赤く燃えたぎる火花だ。封を解くのでは無く、祝融は破壊……と言うよりは融解を選んだ。
洛浪の側では、小さな稲光が時折本物の落雷を思わせ、バチン――と唸る。
パキ、パキ……と静かな音が扉から湧き出る。次第に、その音は大きくなり、そして――
ガシャン――と、最後の一枚岩が割れたと思える感覚だけを二人の手に残し、扉には確りと木目の感覚が戻っていた。
扉にを押せば、ゆっくりと月光が差し込む。それと同時に、扉の向こうで気配が盛んに慌てふためいていた。どよめき、後ずさる。その音を耳にしても、祝融と洛浪は扉を勢いよく開けた。
人、人、人。中庭が、まばらに立つそれらは恐らく聖殿に仕える神官達だろう。祝融達が出てこれないと踏んでいたのだろうか、仮面を着けていても、声を出さなくとも、尚も
「成程な、案外仮面を着け、声がなくともこの街がやっていける理由が分かった気がするな」
「本当に。身振り手振りが本当に表情豊かで助かります」
身振りだけでなく、喉元の動き、呼吸、全てが心情を表す表情と言えるだろう。どうにも、手引きしていたのは、戴清杏一人でなかった様だ。
この街の中心たる人物、そして聖殿。その全てが、女神洛嬪を復活させんと画策に手を貸していたと言う事実が浮き彫りとなってきている。
――もしかしたら、街全体が洛嬪の復活を望んでいるとしたら
祝融と洛浪の脳裏に不吉な考えが浮かんだ。が、脆弱に怯える神官達が祝融達を前にガタガタと肩を震わせ怯えている。祝融が容赦なく殺意を込めて睨めつければ、足が竦む者すらあるくらいだ。恐らく、邪魔立てすらして来ないだろう。
そんな輩達を尻目に、二人は歩を進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます