二十三

 ぼんやりと、雲景の視界の端に小さな灯りが映った。

 正確には、ずっと、何かは映っている。それが、漸く灯りと気付いただけだ。

 冷たい床に、うつ伏せに放り出された身体のまま、ぼんやりとした視界に、ぼんやりとした思考。それが灯りと分かっても、雲景は灯りを見つめたまま、身体は動かなかった。

 思考の片隅で何か考えようとも、虚とも言える思考に邪魔されて、何も浮かばないのだ。


 それから、またどれぐらい経った頃か、雲景の思考も少しづつ動く様になっていた。


「(身体が重い……)」


 覚束ない子供の様に、単純な事しか浮かばない。それでも、ゆっくりとは、その手に伝わる感触、その身に触れる空気、明瞭になりつつある視界から情報を取り込むと、状況がはっきりとなりつつあった。

 


「此処は……」


 鉛でも纏っているかと思えるほどに重たい身体。思考がはっきりすると共に、うつ伏せる身体に冷たい床が突き刺さる程に寒さを呼び寄せた。

 しかも、後ろ手に縛られているのか、冷たい感触とジャラリとした金属の音が鳴る。

 何とか、体を横たえ、四方八方へと目を動かす。と言っても、雲景の今の状況は、見知らぬ何処かに監禁及び軟禁だった。


 見る限り、石造りの牢獄。鉄格子には南京錠、おまけに手枷まで。

 冷んやりとした空気に、じめじめとした湿った空気が漂って、窓も無い事を鑑みると、自分が地下牢獄に運ばれた事実が次第に判然としていた。

 そうしていると、もう一つの事実にも気づき、雲景は、はっと重たい頭を上げた。


「軒轅!」


 見回しても、見慣れた金糸は何処にもない。

 無理矢理頭を上げた事で、激しい頭痛が起こるも、雲景はただ鬱陶しいと思う程度で、再び軒轅の名を呼んだ。


 そうして何回か繰り返すと、そう遠くはない所から声が返ってきた。……と言っても牢獄の反響の所為で、正確な距離も解らない。


「雲景氏……どうやら、しくじったらしい」


 と、掠れた笑いで答えた。聞けば、どうにも二人の状況は殆ど同じ。


「雲景氏、恐らく此処は地下……転じたら、どうなると思う?」

「どれだけ掘られた場所かも分からん、下手したら圧死だ。それに、無関係の者も巻き込む恐れがある」


 掘られた場所とて、どれぐらいの衝撃に耐えられるかも知れない。その状況で転じるなど愚行だ。

 

「笑えんな。死に方としては、この上なく間抜けだ」


 響き伝わる軒轅の声に、安心は出来た。雲景は、一息吐くと身体に気合いを入れるかの如く力を入れる。

 手が使えず、些か時間は掛かったが、何とか身体は起き上がった。ただ、起き上がると頭を鈍器で殴られる様な痛みだけがついて回る。

 どうにもならない痛みに、雲景は近くの壁へと背を預けた。


「……軒轅、どうなったか、覚えているか」


 痛む頭を庇いながら、はあ、と息を吐き雲景は記憶を辿る。

 確か、火葬場を探った後、宿まで戻って……

 そこで、記憶は途切れていた。


「覚えてない。宿で雲景氏に、を聞いた所までだ」

「……同じだな」


 はあ、とまた息が漏れた。

 二人同時に眠った事になると、少々厄介となる。

 状況は、何処をどう見ても人為的だ。しかし、その手法が謎めいている。

 何か、匂いがした、同時に何かを口にした、そう言った記憶が無い。襲われた覚えも、殴られた覚えも無いし、此処まで運ばれた記憶も無い。

 一瞬にして、深い眠りの中へと誘われる。それを可能にする要因は?


 思考が明瞭になったところで謎が解けるはずもなく、雲景は、重たい頭に逆らえなくなり、そのままずるずると、頭だけが壁にくっつく状態まで、身体は床にくっついていた。


 兎にも角にも、軒轅の無事は分かった。

 後は、その眠らせた人物が、何の為に手間を掛けて、雲景と軒轅を牢獄へと運んだかだった。

 監視はされていたし、見られて困るだろうものは見た。

 殺されてもおかしく無い状況で、生かしておく理由すら不明瞭だ。


「なあ、俺たちって人質か?」


 同じ事を軒轅も考えていたらしく、再び冷たい石の空間に声が響いた。

 

「どうかな。そもそも、人質と仮定すると我々が何者か最初から判明していた事になる」

「じゃあ、他に候補は?」

「見られたら困る事は確かだろう。ただ、死なれると面倒又は、殺す必要は無い……のどちらかだろうか」


 雲景は天井を眺めながら、うーんと唸る。

 現状ただの、推測でしか無いし検証も出来ない。

 壁で支えていた頭も、ずるずると床につけると、背中にある手が鬱陶しくなり、結局横を向く。鉄格子の向こうも蝋燭が等間隔に設置されている為、そう暗くは無いが、五尺程の通路が有るだけで、見えるのは只の石壁だけだ。

 

 囚われの身という、如何にもならない状況に雲景は、盛大な溜息を吐いた。

 時期尚早だっただろうか。勝手に行動し、勝手に捕まってしまった。

 祝融が、従者を見捨てる様な人物で無いだけに、ただの足手纏いになった事が、雲景の気を沈めていた。


「雲景氏、後で彩華女士にどやされるかもな」


 と、雲景が沈んでる事を知ってか知らずか、「ははは」と、あっけらかんに笑っている。


「軒轅、笑っている場合か」

「今の所する事も、出来る事も無いからな」


 と、又も笑っている。


「俺達が此処に連れてこられた理由が何にせよ、状況を動かせる手段は無い。偶には、暇つぶしの無駄話も悪く無いと思わんか?」


 明るい声に、雲景の強張っていた肩の力が抜ける。それどころか、顔も緩んだ。


「彩華に頼りない亭主と言われる日も近いな」


 ぼやいた言葉に、軒轅は又も楽しげに声をあげていた。

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