二十

 薄明の、まだ日も昇るよりも前。

 黒龍が一頭、キュウセンへと辿り着いた。街から離れた小高い丘の上、そこは街を眺めるのにも適していたが、背後を振り向けば、洛水湖も良く見えた。

 瀑布の音こそ聞こえなかったが、瞳にちらりとその姿が映る。


 神は死んだ。口伝の通り、瀑布は洛嬪の死に様なのかもしれない。


 では、キュウセンが讃えている存在は何なのだろうか。

 河伯の加護は、伝承の通り今も尚残っているのかも知れない。

 だが、洛嬪は?何故、キュウセンの者達は洛嬪を崇めるのか。



 祝融は、街に目を戻した。その向こうにある山は、河伯の姿と、河伯に仕えていた龍達の姿だ。乱立する峰叢も、それが事実となると、雄大なる姿が儚くも見える。


「洛浪、東王父は、確かに洛嬪は消滅した神だと言ったんだな」

「間違いなく」


 背後で控えていた洛浪も、祝融と同じものをその瞳に抱く。

 故郷ではない。が、僅かながらに思い入れは湧いた。


「では、今、変異が起こっている原因は何だ?」


 洛浪は、答えられない。東王父が指し示した、『彼』を安易に口には出来ないのもあった。


「祝融様、洛浪様、その……」


 彩華が、不安気な顔を浮かべ、街を見つめる。人が消える街に、夫を残したままなのだ。


「彩華、素直に心配だ、と言えば良い」

「……ただ、私は」


 自分は、武人として覚悟がある。夫婦とは、あくまで関係の繋がりだ。そう割り切っていた筈なのに。

 普段の悠々とした余裕のある姿も、今は無い。


「彩華、お前は自分に素直になった方が良いぞ。いつまでも強がっていると、気づいた時には大事なものは手を離れていく」


 燼然り、雲景然り。彩華の手の中には、いつも大事な何かがあるのに、その大切なものを割り切ろうとする。

 家族になれないから、自分も夫も武人であり同じ主人に仕える従者だから。そうやって、自分の立場を優先するのだ。


「矜持と建前ばかりでは息が詰まる。時には、本音も優先させろよ」


 祝融は、目を逸らしてばかりの彩華を尻目に前へと歩き始めた。それに遅れて、彩華の足も動く。そんな彩華の隣に、いつも足並みを揃えない洛浪が並んだ。


「殿下の言う通りだ。特に今は、何を失いたく無いかを考えた方が良い」


 とだけ言って、すたすたと前を歩いて行った。

 いつもは、空気も読めない癖に。これでは、意地を張っている自分が、間抜けではないか。

 彩華は、一呼吸を大きく吐き出すと、祝融と洛浪の背を追って街へと向かったのだった。



 ――


  

 何事も無い筈だった。いくら不吉な街だからと言っても、消えているのはキュウセンかジョウの住人ばかりだ。

 変わらない静寂の街の中、朝日が登り始めた頃に祝融達は宿に辿り着いた。


「雲景様、軒轅様」


 彩華は一目散に、夫がいる部屋を目指して戻ったと告げるつもりだった。まだ眠っているだろう、と扉の外から声を掛けるも、部屋の中からは反応は無い。その空虚な気配が彩華の胸に靄を掛けた。 

 嫌な予感がする。

 彩華はもうこれでもかというくらいの壊れんばかりの勢いで思い切り扉を開けた。


 ただ眠っているだけ、それならどれだけ良かったか。部屋の中はもぬけの空で、寝台も多少の崩れはあっても、誰かが眠っていた形跡も無い。

 

 ――今は二人して出払っているだけだ。


 寒寒と冷え切った部屋の中を見回すも、書き置きらしきもは見当たらない。が、寝台横の卓の上に、二人が身につけていた仮面が二つ残されていた。それを見つけた瞬間に、彩華の胸が締め付けられんばかりに鼓動が早まる。

 まだ、決まった訳では無い。彩華はすぐさまに祝融へと報告する為、踵を返した。

 

 報告を聞いた祝融と洛浪も又、二人の部屋を訪れるも、違和感だけが残っていた。

 他の失踪と同じく、仮面はそこに残されている。だが、二人は神子の導きで街に辿り着いたとは言え、外部の者だ。異変の中で、異物の存在と言っても良いだろう。

 祝融が部屋の中を歩きまわっていると、つま先にコツンと硬い物が当たった。コロコロと転がるそれは、湯呑みだ。

 寝台横の卓の上には、水差しと湯呑みがもう一つ置かれたまま。転がる湯呑みを手に取って、祝融に沸々と思考が巡る。 


「……雲景は几帳面でな。床の上に、落としたまま出掛けたりはしない。僅かな寝台の乱れは、この上に座ったか……或いは倒れ込んだ、か」


 それには、彩華も同意した。何かの拍子に落とした。落とす様な事が有り、拾う暇も無かったと、取れる。 

 二つの寝台はどちらも、似たように内側の中央部分が乱れている。お互い、寝台に座って話し込んでいたように……


「彩華、扉は閉まっていたな」


 彩華は、「はい」と返事しながら強く頷く。それを確認して、祝融は次に洛浪を見た。


「洛浪、お前はどこまで見える?」


 部屋の隅で、窓を開けて外を見ていた洛浪が、祝融に振り返る。あいも変わらず、呆然とした表情だが、、、


「私の力には限りがあります。神子や東王父程を期待されても困ります」


 そう言って、再び窓を見る。というよりも、目線を落として、窓枠に目を凝らしていた。


「どうした」

「……土がついていますね。此処から出入り……飛び立ったのでしょうか」

「此処から逃げた……いや、ならば部屋は荒れていてもおかしく無い」


 祝融は、雲景と軒轅の実力を考えても、逃げる事態と言うのが考え難かったのもある。並大抵の龍人族では、二人の足元にも及ばない。襲われたのなら、返り討ちに出来るだろう。それにもし、不足の事態があったのなら、どちらか一方が龍の姿で暴れていてもおかしくは無い。

 考え込む祝融に、彩華が声を上げる。 

  

「それなら、何処かへと偵察にでも?」

「それは有り得るな。この街で気に掛かる事を見つけて、偵察からは戻ったのだろう」


 祝融は整然とした部屋を見た。仮面は態とらしく綺麗に並べてある。外衣も荷物も、そのままで、一見、街で起こっている変異と重なる。重なるが、不思議と漠然とした違和感が消えてくれない。


「どうされますか」


 窓の外を眺める洛浪と違い、彩華の瞳には、はっきりとした焦りが見える。

 祝融は顔を上げて洛浪を見た。 


「洛浪、お前の名前はどれぐらい使える」


 洛浪の姓、『解』。これは、皇都では上位貴族であれば、誰もが東王父と繋げるであろう物だ。が、このキュウセンでは、同じとはいかない。


「……解家は、セイライでは名士として名が通っていますし、この街を纏めている、たい家に嫁いだ者も居ます」


 祝融の意図に気づいたのか、洛浪は懐をゴソゴソと探り出した。取り出したのは、家紋の入った房飾りだ。その色は、黒鳶色と茶色味がかっている。


「この紋と、色で私を解家と認めるでしょう。殿下は……」

「一応持ってる。だが、俺が前に出ると少々ややこしくなる。あくまで最終手段にしたい」


 洛浪は、小さく頷く。 

  

「では、私が話をつけます」

「頼む」


 そんな祝融と洛浪のやりとりを眺めながら、彩華に古い記憶が蘇った。


「(前にも、そんな事があったな……)」


 それは、まだ、彩華が祝融の従者になる前の話。その時の主人の役目は、雲景だった。

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