十八

「雲景氏、不法侵入の経験は?」


 どちらかが、部屋に残っていないと怪しまれる。そう考え、どちらか残るかを話し始めた軒轅が、突如とんだ発言をするものだから、雲景は言葉を失った。

 ある訳がない。雲景は戯けた事、と言い返そうとしたが、今から行うのは要はそれだ。


「……まるで、経験がある様な口ぶりだな」

「まあ、無いとは言えないな」


 あはは、と誤魔化しているのか目を逸らして笑っている。家出をしていた時は、妖魔狩りの者達に混じっていたそうだが、一体何をしていたのか。問い質したい気持ちが湧くが、今は重要では無い。


「俺が行こうかと」

「待て、お前は黄家の後継だ。何かあると……」

「そんな事言って、まだ何かあるとは決まったわけではないし」


 そう、まだ、懐疑的な何か、でしかない状況だ。それでも、もしも人目に触れた時、重要な役所にいる黄家に害が及ぶ可能性も考えねばならない。


「いや、矢張り、私が行く。朱家を出た私の方が、何かあったとしても尾を引かない」

「雲景氏、貴方は妻がいる身だとお忘れでは?」

「その妻は、主人に心酔している。私の心配よりも、主人の心配を優先するさ」


 確かに、従者としての二人は夫婦を思わせない所がる。そんな事は無いと思うぞ、と軒轅が念を押すも、雲景は譲らなかった。


「今の私は、朱家の分家ではあるが、ようという名だ。もしもの時は切り易い」


 と、身分に執着のない男は淡々と述べたかと思えば、スタスタと窓に近づいて足を掛けている。


「……雲景氏、下っ端は俺だが」

「気にするな、今は黄家という大いに利用し甲斐のある身分を優先しろ」


 そう言って、雲景は軒轅が止める間も無く、軽く窓枠を蹴ると、その身が赤い鱗を持つ龍へと転じていた。

 月光が鈍くその鱗を照らすが、それも次第に暗闇に呑まれ、遠ざかるにつれて見えなくなった。


「まあ、雲景氏の方が無茶はしないか」


 自分なんかよりも、ずっと慎重な男。いつだって冷静で、無茶をする主人を諌めるのも雲景の役目だ。

 軒轅は、窓を閉じると、静かに雲景の帰りを待つ事にした。


 

 ――

 


 さて、何処から侵入したものか。

 雲景の脳内は不届きとしか思えない事柄で一杯だった。

 それ迄、皇族との付き合いばかりだったものだから、品行方正な行いばかりで、妻の彩華にすら所作が綺麗だとすら言われる。悪い事では無いのだが、今一つ夫として頼りない。剣の実力も彩華の方が上、と言うのもあるのだろう。

 だからと言って、見栄で役目を請け負ったわけじゃ無い。正論も正論で、現状黄家の後継である軒轅には、それを維持してもらう役目があるからだ。

 ならば、そんな厄介ごとからとっとと逃げてしまった自分がやるのが一番だろう。

 剣の実力とて、軒轅よりも下なのだ。これぐらい役に立たなくては。


 雲景は、一人意気込むと、静かに火葬場の屋根の上へと降り立った。

 音を立てず、気配を消して、静かに、静かに。

 これでは、コソ泥だな、と考えると自然と口に端が上がる。品性方向とは程遠い行為の最中にこれ以上の不届きも無いだろう。

 屋根を伝い、見張りも何も居ないと確認すると、闇に乗じて雲景は建物の内部へと侵入していった。



 ――

 ――

 ――



  東君とうくん、祝融殿下と共にキュウセンの変事に遭遇しました。水神洛嬪、河伯について情報を頂きたく


 

 深い暗闇の谷底で、洛浪は声を送った。

 夢の通い路の中、その声を辿って一人の男が現れる。長い髪と衣が、闇夜に溶け込んでしまいそうな程に黒く、その様は妖艶と言えるだろう。


 言葉に答え現れた男は、揺蕩う雲の様にのんびりとした洛浪が一番精神を研ぎ澄ます相手かもしれない。その妖艶な表情とは違い、奥底に隠れた鋭さを身をもって知っているからだろう。洛浪を鍛えたのは、東王父自身だ。

 珍しくも一族に不死が生まれた。

 東王父は、祝いに自ら持つ技術を洛浪に指南したのだ。その美麗な顔とは打って変わって、恐ろしい形相で剣を振るものだから、洛浪は東君と馴染みの呼び方をしても尚、顔は緩まない。


「洛浪、キュウセンに居るのか」


 今も、その手に剣を握っているのかと勘違いする程に、東王父の顔は険しい。


「神子瑤姫から言葉を賜りました」


 その言葉で、東王父の険しい顔が更に翳りを見せる。顔どころか、その姿勢にまで警戒が現れ、不穏を漂わせた。


「東君?」


 東王父は洛浪から目を逸らすと、口元に手を当て、ぶつぶつと独り言を呟いている。そうなると、洛浪は話し掛ける事が無意味だと良く知っていた。

 東君の悪い癖だが、全てを一人で考え完結するものだから、此処で声を出すと「煩い」と静かな罵倒が飛ぶのだ。

 

 どれぐらい待つ事になるだろうか。洛浪は、腕を組んで、何も無い暗闇ばかりの天を仰いだ。

 すると、大して時間も経っていないのに洛浪の耳に東王父の声が届いた。


「洛嬪は既に消滅した神だ。この世で害を与える事は無い。河伯もまた同様。その身が大地と化し、思想は既に現世に溶けて消えている」


 神話や口伝では無い、東王父の語り口。確信を持って話す東王父の姿を洛浪は奇妙に思うも、今は少しでも情報を集める方が重要だった。

 

「今、キュウセンとジョウで人が消えています。若い男女と言う事以外は無差別です。叔父の話では、私の従兄弟姪も――」


 顔も知らぬ、その少女。生きていたら、会えただろうか。

 洛浪は、無情では無い。ただ、感情の起伏が少なく、あっても表面に出ないだけだ。叔父に対しての情があったからこそ、東王父に直接問いかてける。

 東王父も夢を通じてではあったが、それが見えていた。

  

が無意識に洛嬪を探している……可能性がある」


 あくまで、可能性だが。と、溢す。


、とは」


 洛嬪を探し、何かしら影響を及ぼし、と遠回しにしか言えない相手となると限られる。洛浪には、『』と言う答えで十分だった。

 だったが、東王父に直接聞いてみたくもなった。何故、その偉大なる存在を、そうも親しげに呼ぶのかを。

 しかし、東王父の口から期待した言葉が返ってくる事はなかった。


「洛浪、気をつけろ。お前の従兄弟姪が消えたと言うならば、お前も用心しなければならない」

「……私は、若くは」

には、今、何処までの判別があるかも知れない。用心する事だ」


 そう、振り返ろうとした瞬間、洛浪は「最後に」と言って、東王父を呼び止めた。


「……私の従兄弟姪……耀明という名なのですが、黄泉へと旅立ったかどうか、見てはもらえませんか?」


 洛浪が、夢の通い路に入れるのは、夢見の力を持っているからだが、そう大きくはない。東王父の様に、力の強い者に呼びかけて会話する程度には困らないが、そう果てしない何かが見える程、達者では無かった。

 ふむ、と東王父は洛浪が見えない先を見た。光の道を辿っているのか、それとも全く別のものを見ているのか。洛浪に見分けはつかない。

 すると、そこかしこに目を向けていた東王父の首の動きが止まる。


「洛浪、キュウセンでは最近葬儀は執り行われていないのか?」

「いえ、私が滞在していた日は、日中煙が上がっていました」


 その返答に、東王父は再び洛浪に目を向けると、その目は強張っていた。


「洛浪、お前の従兄弟姪が生きているかは知れない。だが、その魂は夢の通い路にすら辿り着いてはいないようだ」


 だが希望は抱くな。そう言って、東王父は姿を消した。

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