久方ぶりに、叔母に対面する。叔母と言っても、神の子だ。叔母と言えば聞こえは良いが、実際は縁遠い。

 ただ、他人行儀に『瑤姫様』と呼ぶと、叔母の顔は歪んだ。


『せめて、甥や姪達だけでも、家族らしい形のままでいて欲しい』


 神子は多くを望まない。それでも、神子瑤姫が唯一の望みとして切に願った事だった。父親や兄二人からは距離があり、せめて血の繋がった猶子に当たる子らだけは……。

 だから、静瑛も皆と同じ様に「叔母上」と呼んだ。

 そうやって、家族らしく呼ぶと、叔母はふわりと笑う。まるで我が子とでも接するように、甥姪を可愛がった。自分に子は望めないから、と。


 その時は、神子とは純真なる存在なのだと思い込んでいた。

 だが、違う。

 単純に、神子にも人間味があり、人の姿で生まれたが故に、人であろうと人を求めるのだと。

 それを知ったのはごく最近の事だ。静瑛は、燼がその答えの筆頭なのだと考えた。彩華を求め、彩華が離れた途端に、絮皐を手放さなくなった事が最たる事例だろう。

 神子瑤姫と同じで、繋がりを強く求めるのだ。


 ――

  

 神殿内部 


 神殿は、親族ならば男でも入る事ができるが、行動範囲は部屋は限られている。通されるのは、来客用に用意された部屋のみで、そこまで行く為にも、神官か巫の同行が必要となる。

 円卓と椅子だけが用意された簡素な部屋だが、一時客人を招くだけならば十分だろう。その部屋の中で、今、聖人とされるその人は、窓際で佇み静かに窓の外を眺めている。

 珍しくも、神殿に会いにきた甥に茶菓子を出して喜んだのも束の間、話の出だしで西王母と言う名を聞いた途端に顔色が変わってしまった。

 それからというもの、話は聞き流され、声は届いていない。ぼんやりと何も無い空を見つめているだけだった。


「(あまり、時間も無いのだが……)」


 仕事を抜け出した時間を使っている為、そう永くは居られない。

 かと言って、無礼を働ける相手でも無い為、静瑛は待つしかなかった。とは言っても、いつまでも叔母を眺めたままでもいられない。

 どうしたものか。この調子では次の面会を取り付けるのも難しくなる恐れもあるとして、静瑛は待つしか無いのだが……。


「……静瑛」


 風にでも流されてしまいそうな儚げな姿で、小さく吐き出した声はあまりにもか細い。目は外に向けたまま、神子瑤姫は話し続けた。


「先程の話ですが……西王母の言葉と貴方の考えは間違ってはいません」

「では、西王母は神に肉体を差し出そうと?」

「……それは、違うでしょう。我々の預かり知らぬ所で、彼女に使命が降ったとしたら、とうの昔に神子燼を手に入れていたでしょうから」


 確かに、それは頷けるものがある。静瑛は、考え込むも、矢張り西王母の真意は見えなかった。


「……叔母上は、西王母様と繋がりは?」

「時々は会ってお話ししますが、それだけです。彼女の支援があってこそ、今の神殿の形がありますが、彼女は私物化したりはしていませんよ」

「……噂とは違いますね」

「噂はあくまで噂です。人に流されず、真の道を見つけなさい」


 悪い噂ばかりに耳を貸さずに……と、珍しく説教じみた事を口にする叔母の姿が、真っ当な叔母らしく見えるが、矢張り力無い姿ばかりが瞳に映る。


「……もう一つ、此方も噂ですが、不審死については何かご存知でしょうか?」

「そちらの件は、道托にも依頼を受けましたが、神殿が断りました。助ける事出来ないでしょう」


 いつのまにか、神子瑤姫の瞳からは儚さが消え、煌々たる輝きが戻っている。何気無くも、静瑛はこれ以上の問い掛けが無理のように思えた。

 立ち上がり礼儀として首を垂れ、そのまま立ち去ろうとした時だった。


「静瑛、風無壊むかいを知っているかしら」


 静瑛は、いいえと答えた。そんな人物がいたような、いなかったような。曖昧な記憶の中ではっきりと浮かんでこない名前に、静瑛は首を傾げた。

 

「風家、縁の方ですか?」

「一度、調べてみると良いでしょう」


 そう言って、昔馴染んだ、ふわりとした笑みを落としていた。


  

 ――



 静瑛が帰った後も、瑤姫は窓の外を眺めたままだった。次第に陽が落ちて、夕日が差し込んでも尚、そこを動かない。夕焼けに身を焦がして、白い衣の色から茜色が抜け落ちていく頃、瑤姫の背後にあった扉が開いた。

 外からの入り口と違い、神殿内部へと通じるその扉は、ゆっくりと開いた。

 小さな頭が顔を出し、ひょっこりと除いては瑤姫が一向に神殿の自室へと戻ってこない事を不審に思ってか、少々戸惑っている様子だ。


「巫、安香あんか、何様ですか?」


 まだ神殿に来たばかりで、簡単な礼儀作法しか身についていない巫は、辿々しくも頭を下げると、簡単なお使いで、指示通りの言葉を伝えた。 


「瑤姫様、西王母様がお見えです」

「こちらに通して頂戴」

「では、お茶を……」

「すぐにお帰りになるわ」


 辛辣な言葉で遮れた巫は戸惑うも、慌てて来た道を戻っていった。そうして暫くすると、瑤姫の耳に聞き慣れた足音が響いた。どうにも、巫は慌てるあまり扉を閉めるのを忘れた様で、その足音が部屋の前に来た瞬間には、その女の愉快そうな笑い声が瑤姫の背後にも迫っていた。


「どうした神子瑤姫」


 瑤姫は静かに振り返る。その目は、憎しみでも篭っていそうな程に強い眼差しを西王母に向けていた。


「おお、怖い」


 心の片隅にも思っていないのだろう。くすくすと嫌な笑いを見せては余裕だ。


「あまり、此処へ来ないで下さい」

「何だ、は正気を取り戻したのか?」

「いいえ、でも事は慎重に運びたいのです」

「そうか、ならば手を組む相手を間違えたな」


 西王母は円卓の椅子を一つ陣取ると、卓に肘を突く。その嗤う声こそ、淑女の如く妖しく美しいが、姿は不作法極まりない姿に、瑤姫はただ溜息を吐いた。

 西王母の言葉通り、相手を間違えたかもしないとすら思わせる姿だ。が、今更引き返せない。


「して、伝えたのか?」

「ええ、後は……あの子が気づくでしょう」


 またも、瑤姫は沈んでいた。陽は完全に落ち、暗がりの部屋の中で西王母だけが嗤い続けている。


「瑤姫、何を捨て、何を残すかは決めたのか?」


 俯いていた瑤姫の顔が僅かに上がると、しな垂れる髪の隙間から横目で嗤う西王母を睨んでいた。

  

「……最初から、決めています」


 その声に、か細さは残されず、強い意志が宿っていた。

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