七
右長史の執務室で、机の上に仕事とは関係のない資料を幾つか広げては、頭を抱えている人物が一人。
『神は、肉体を得る事ができる』
その真意は果たして。
静瑛は、真偽の判断もできぬ言葉に、考えたのはその言葉の先だった。言葉が真実だったとして、西王母の真なる思惑を考えなければならなくなる。
そもそも、何が目的で神子を手に入れたかったか、だ。
神子とは、文字通り神の子と言われているが、その実を知っているのは本人たちだけだ。
白銀の髪色だから?夢見の力を持っているから?しかし、今までが至極当然と言われてきた常識は一人の男で覆っているため、当てはまらなくなってしまった。
その枠を超えた存在が欲しかったのか、はたまた、神と通じ合える存在が欲しかったのか。只、夢見が欲しいならば、神殿に頼めば優秀な
神は肉体を得て、眷属として六仙を選び、その血を酌み交わした。
だが、疑問が湧く。
肉体を得たというのなら、人の身体に入っていたという事だろうか、それとも肉体に入ったまま生まれてきたという事だろうか。
だが、肉体に入ったまま産まれるというなら、神子との差異が無くなる。神子は神の顕在化として崇めるのでは無く、神子は神と同一体とされていた事だろう。
「(それとも、神子の肉体に入ったという事か?)」
人の肉体に入るには限度があるだろう。神威など、只人にも不死にとっても毒でしかない。だとしたら、それに耐え得る器が必要にはなるはずだ。
神子に人との差異が肉体にもあるならば……あくまで仮定だが、西王母が燼の存在を欲していたことには繋がる。
だが、仮定の域は出ない。というのも、神威ある存在が器を得たとして、その血は果たして神威ある血となり得るのか?
「(忌々しい、肝心な所で話が見えん)」
静瑛は苛つきと、ここ数日頭から離れない悍ましい女の言葉に悩まされ続けた。思わせぶりな言葉だけを残して消えた西王母は、静瑛が悩む事を初めからわかっていたとでも言うのか。これも、一種の西王母の憂さ晴らしの一つで、静瑛は弄ばれているだけにも思えてならなかったが、それでも西王母の言葉が忘れられなかった。
どれだけ経典を見直そうが、解釈で導きを解こうが、神の血に関しての出所などあるはずも無く、静瑛は文字通り頭を抱えて唸っていた。
が、永遠にそうしているわけにもいかない。
父親である右丞相がこれでもかと仕事を持って現れる。右長史としての仕事なのだから、放り出すことも出来ないし、任命されたからには逃げる事も出来ない。
その物量は、静瑛を外に出さない為にも思えたが、静瑛は黙って仕事を片付けるだけだった。
下手に、外に出るなどと言ったものなら、祝融に右丞相の視線が向く事になる。それだけは、出来る限り避けたかった。そうなると、祝融の実情が漏れる事もあるだろう。
「(どの道、現状答えは出ないな)」
静瑛は、憶測でしかない考えを頭の隅に追いやり、集めた神学類の資料を適当に避けると、溜まっていた書類に目を通し始めたのだった。
――
夕刻、片付かない仕事を前に、静瑛は区切りをつけ補佐達にも帰るように促すと部屋を出た。
静瑛は、考え事を抱えながらも悶々と歩いく。考えが纏まらない苛つきがまたも浮上するが、その浮上と共に一人の人物も浮かんでいた。
「(……叔母上は、何か語ってはくれないのだろうか)」
正直に言って、こう言った時に燼を頼るべきかとも考えた。考えたが神子燼は今、皇宮の最奥に引き篭もり姿を現さない。
正確には申請を出せば会えるのだが、燼の考えが読めぬ今、下手に出向くべきでないとも思えたのだ。
だとすれば、こちらはこちらで信用が傾いた人物であったが、西王母の残した言葉に答えを持っている人物でもあった。
しかも、静瑛は神子に対面出来る。
「叔母上に……会いに行ってみるか」
「誰に会いに行くって?」
独り言に返事があった。
聞き慣れた声に静瑛が振り向けば、同じく丞相府に勤める風鸚史だ。同じく、丞相の補佐ではあるが、右丞相と左丞相ともなると仕事上の関わりは少ない。
それでも、たまにこうして偶々出会う事ぐらいには関わりがあった。
「叔母上だ。少々、気になる事があってな」
「それって、不審死の話か?」
二人は肩を並べると、これと言って何処に向かうとも言葉を交わさずに歩き始めていた。
「不審死?」
「何だ、違うのか」
それはそれで、また気になる話が浮上した。不審死とは何だ、と静瑛がと怪訝に問いかけると鸚史は頭を掻きながらも、どう説明したものかと悩ましげだった。
「俺も噂で聞いただけだ。不審死が相次いでいるっていう話だ」
鸚史は、聞いた噂でできる限りを探ったが、今一つ噂を域を出ない程度しか判明しなかったそうなのだが、それでも今手元にある情報を静瑛に余す事無く、話した。
若々しい青年が、次の日には老人姿で死亡。酒の席で、それまで楽しげにしていた者が、急にふらりと立ち上がったかと思えば、偶々店に入ってきた武官の剣を奪い取り、自らの首を斬り落とす。更には、何日も何かに怯えて部屋にこもっていた者が、部屋の隅で恐怖の顔色で死に絶えていた。
怪異や怪談の類いの話でも集めた様な話ばかりに、静瑛は堪らず眉を顰めた。
「……それが、不審死……か?」
「何とも、な話だろ。お前は何を探っている」
やりきれない顔を残した鸚史は、薄暗い廊下で静瑛に問いかける。
「西王母に……いや、此処では拙いな」
静瑛は言いかけて口を継ぐんだ。経典にも載っていない話を安易にすべきではない。
「時間はあるか」
「あぁ、寧ろ今ぐらいだ」
静瑛は、踵を返すと執務室へ戻る道を辿っていた。鸚史もそれに続くと、まだ微かに人の気配が残る執務室を通り過ぎて、隣室の来客用に用意された部屋の扉を開けていた。
「こっちも似た様な造りだな」
「同じ建物の中だからな」
廊下の燭台から灯りを一つ拝借した鸚史は、それを用意されている行燈に灯すと、廊下へと戻す。
薄明かりに照らされたそこで、二人は前にもこんな事あったなと、何気ない事から会話を始めていた。
「あの時は、飛唱がいたが」
と、まだ一年も経っていないのに懐かしきを語る口ぶりだ。
「飛唱は今は後継として、朱彪豪氏の下にいる事が多くてな」
普段は、あまり従者を側に置かなくなったと、静瑛は語った。側近や補佐がいる為、飛唱は後継としての役目に取り組んだ方が時間の有効活用にもなるのだと。そうは言っても、静瑛どこか寂しげな眼差しで、行燈を見つめる。
「まあ、何時迄も同じとはいかないな……」
鸚史も、育てた軒轅が手元を離れた。こればかりは、元々軒轅を祝融の下として考えていたのだから、仕方のない事だった。それに、黄家の強い意向でもある。
鸚史としては、優秀な下がいなくなった事よりも、酒にも博打にも付き合える男がそばに居なくなったという事がどうにも不都合になったと悠長に語る。
まあ、そんな事は良いさ、と鸚史の視線が鋭くなった。
「それで、西王母に何を言われた?」
静瑛も、鸚史に目線を向けるが、顎に手を当てては未だ悩んでいる。
「『神は肉体を得る事が出来る』と、意味深なのか、事実なのか……」
「ちょっと待て、それは何の話からそれに繋がったんだ」
鸚史はあまりにも奇抜な言葉だっただけに、慌てふためく。しかも、それを静瑛の口から聞いたものだから、まず始まりは?と、静瑛に訊ねた。
「神血の話からだったんだ。何故、見えも触れもしない存在の血が存在するのか……と」
西王母の為人を知っている鸚史も、確かに彼の方なら言いそうだ、と納得はした。
静瑛は、西王母との会話の全てを話した。そして、纏まりの無い自身の思考の一端も含めて。
「西王母が手に入れたかったのは、矢張り燼だったんだ。手に入れて、どうしたかったかまでは知らんが……」
「なあ、その話……燼にその神とやらを宿したかった……ていう話じゃ無いよな?」
静瑛の肩が揺れる。
だから、神子が欲しかったのか?と考えるも、矢張り憶測だ。
「神をこの世に顕現させる意味を考える所から始めないとな」
「そりゃ、新しい国を作る話になるぞ」
神々が、焔皇国を造り、青海に四海竜王を置き、白仙山に白神を置いて封じた。
その神話は今でも古い歴史書には記されているが、認知は低い。
静瑛や鸚史は、皇宮で神学を学んだからその一端として知っているだけだ。
「それは、壮大な話だな」
「ああ、自分でも間抜けな事言っている気がしてならん」
だが、確かに神は実態として存在はしたのだ。それだけが今の事実で、それを証明できる存在は六仙のみだ。
「矢張り、結局憶測だな」
「あぁ、面白い話だが……神子瑤姫に話が聞けたら俺にも教えてくれ」
「不審死もな。良い話が出たら伝えよう」
二人は話を区切ると立ち上がり、鸚史は行燈の灯りをふっと息を吹いて消し去った。
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