「どうであった、私の血を持つ子は」


 婉麗を家まで届ける馬車に乗せた静瑛は、颯爽と執務室へと戻っていた。

 早速仕事……と思いきや、まさかの先約の姿に、静瑛は固まった。静瑛だけでは無い。静瑛の下で働く補佐たちも、困惑した表情を残したまま、手につかない仕事に向いている。

 恐らく気にするなとでも言われているのだろうが、静瑛の机を占領する姿に目を向ける事も憚れるが、どう対応していいものかと悩んでいた。


「……西王母様、お話でしたら隣室で伺います」

「私は此処で構わないが?」


 くつくつと女は美しく嗤い、見下している。

 静瑛は仕方なく、他の官吏達に下がる様に指示する。はっきり言って、仕事が滞る上に、西王母との関わりを不審を持たれるなどたまったものではない。

 折角、婚約の話を進んだ矢先とあって、勘弁してほしいところだったが、その婚約者が目の前の人物の昆孫となると下手な対応もできなかった。


 誰もいなくなった事を見計らってか、距離のあった静瑛を西王母は近づく様にと指で促す。

 妖艶なその仕草だが、言葉通り妖しい。六仙とあろう方に近づき過ぎるなど、言語道断だが、それも命令と取れば違った。

 静瑛は言われるままに、西王母の隣に立った。すると、西王母の指が静瑛のそれに触れ始める。


 なんの真似だ?


 そう尋ねる事が出来たならば、どれだけ良かった事か。艶かしく、美しい、その仕草は、先程まで話をしていた婉麗とは違った美しさだ。

 完成されたそれは、指を繊細に動かし、静瑛の腕を辿っている。更には西王母は立ち上がると、その指は肩、更には首、顔へと辿り着いていた。頬を撫ぜ、その顔を自らに引き寄せようとしている。

 静瑛は、それが好き勝手にされている様で気に食わなかった。

 今にも、西王母の唇が静瑛のそれに触れそうになった時、微動だにしなかった静瑛の口が動いた。


「緱婉麗嬢と婚約を決めました」


 静瑛の言葉で、西王母はピタリと止まった。


「そうか、それは良かった」


 何か動揺するかとも思ったが、西王母は余裕の笑みを浮かべている。

 

「西王母様の望み通りの筈です。人払いしたとは言え、誤解を生む行為は控えるべきでは?」


 今にも唇は触れそうで触れない。


「貴女様は私を弄ぶが為に、父からの依頼通りに婚約者を立てたのでしょうか。それとも、探し物が手から溢れ落ちた腹いせでしょうか」


 まあ、どちらでも大した差はありませんが。と、静瑛は恐れも無しに、辛辣な言葉を向ける。相手が誰かを忘れてはいない。

 ただ、どちらにしろ滑稽だった。

 静瑛の揺らがない瞳を前に、西王母は静瑛を突き放すと、何事も無く元いた椅子に荒々しく座る。

 余裕が消えたのは、西王母だった。いや、もうなりふり構っていられないのだろう。

 僅かでも取り乱した西王母を前にして、静瑛は強気だった。


「貴女様は、永く、獣人族を支援していましたね。正確には、獣人族を手厚く扱う者でしょうか……兄上や郭彩華もそれに該当したからこそ、貴女様は何かと後押しをして下さいました……そう思っていましたが……」


 静瑛は言葉を止めた。続けても良かったが、余裕のない女を、その目に留めておきたかった。

 女に好き勝手されるのは、性に合わない。余裕の無い女の姿こそが、静瑛の腹を満たした。


「貴女様が探しておられたのは、神子……神子燼。そして、それは残念ながら陛下の手中に収まってしまいましたが」


 それまで妖艶だったその顔に影が落ちる。俯き加減に、静瑛の顔を除いては、歪んだその瞳が静瑛を突き刺す。

 はっきりと見て取れる怒りが、余裕の無い証拠でもあった。

 静瑛は、折角目の前に現れたのだからと、更に口は回り続けた。


「以前から、白神が神子を遣わすと知っていた……予想していたのでしょうか。神子燼の様な、神の色を持たない神子が以前も居たのでしょうが……神子をその手に入れたかったのは、貴女様だったのでは?」


 その目的は何かまでは、分からないだろう。ただ手に入れて、夢見として扱うだけなど、単純な方では無いだろう。

 静瑛は、その場から依然として揺らがなかった。

 立場を得ただけでは無い。もう、なりふり構ってはいられない所まで来ているのだと、に腹は括っていた。


「お前は、姜家の中でも、あの男に似ていないかと思っていたが……」


 西王母がゆっくり動いた。顔を上げ、またもその美しさが戻ったその顔は、高らかに笑っている。見下したその嗤いが治ると、西王母は背凭れに肘を置いて行儀の悪い姿勢を晒しながら、静瑛を見上げた。

 睨んではいない。誘ってもいない。自信に満ち溢れた、堂々たる六仙の姿がそこにある。


「姜右長史。神血なる血が、何故存在すると思う?」

「……それは……」


 眷属神の末裔たる静瑛にとって、自らに神血が流れている事など、明白なる事実だった。その出所も、祖父だが、きっとその祖父がどうやって心血を手に入れたのかと問われているのだろう。


「我々が、誰の眷属か知っているか?」

「それは……今まで一度として明かされていません」

「ああ、何せ見えない相手、触れられない相手だったからな」


 その存在と如何にして眷属となり得たのか?


「神血を得るには、主神の同意と眷属になる者両者の同意が必要だ。そして、血を酌み交わす」

「血を……?」

「そうだ、神威を血として取り込むと、人の血が神威に染まるのだよ。それが神血さ」


 同意が無ければ、只の毒だが。と、西王母は淡々と語ったが、その話には矛盾が生じている。

 見えない、触れられない相手の血をどうやって飲むのだろうか。何より、神子となんら関係の無い話にも聞こえるのだ。


「そうか、これは経典に載せていない話だったな」


 飲み込めていない静瑛を前に、西王母は取り戻した余裕で静瑛を嘲笑っていた。


「……何が目的でしょうか」

「お前の予想通りだ。これは、私が腹いせでお前を玩具にでもしようと思ったのだが、存外にも神農を思い出した。お陰で気が削がれてしまったではないか」


 まっこと、あの男は生真面目すぎてつまらん。と、皇帝陛下その人を侮辱している。

 権限だけで言えば問題は無いのだろうが、それでもあからさまは敵対心を生むだけだ。

 これも、女の手の内か。

 

「面白い事を教えてやろう」


 西王母は、立ち上がると再び静瑛に近づき体に触れた。身体は密着したまま、西王母の顔は静瑛の耳元でゆっくりと囁く。


『神は、肉体を得る事ができる』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る