皇都は、退屈だ。特に暇を持て余した者にとっては。

 というのも、皇都は安全そのもので、妖魔や業魔なるものが出ない。更には、皇軍がいる皇都でそう大した犯罪もなく、平穏そのものだ。

 平和呆けとも言える程に、刺激のない日々。

 皇軍にでも所属しない限りは、陰の存在など夢幻ゆめまぼろしと大差無いのだろう。

 そんな、雅な都で興じる趣向といえば、噂話だ。他にも樗蒲かりうちなどの博奕ばくえきや平原で鳥狩とがり等があるのだが、噂話とは誰にも飽きられる事なく続くのだ。 

 女性なら、お茶会を開いては、それぞれに流行り物や自慢ついでに、噂話で花を咲かせるが、それは、意外にも男性も同じと言える。

 お茶会なる雅なものではないが、酒の席を催そうものなら、酒の回りと共に口が軽くなる。勿論、有る事無い事、真偽も定かでない話が飛び交うのだが、その噂の中心が大きければ大きい程に、人は話にのめり込むのだ。

 今で言えば、大きく話題になる人物といえば、『六人目の神子』だろう。

 その神子に関して、皇都の貴族の間で、妙な噂が出回っていた。


『新たな神子は、悪意に染まった存在である』

  

 その出どころは、髪色か、それとも神殿が神子と認めていないからか。それとも、業魔を一太刀で切り裂く程の恐々とした人物が、神聖なる人物である筈が無いという信仰心を元にでもしているからか。

 はっきりとしない根拠のない理由ばかりが浮かんでは、それまでの神子とは違う存在が、妙な噂を広め、人の関心を駆り立てた。


「風左長史は、新たな神子様を良くご存知で?」


 鸚史は滅多に参加しない、親族が催した酒の席で酔ったままの姿の貴族を相手に静かに酒を呑んでいた。

 妓楼からも女を呼んだのか、好みの酌婦を眺めては良い気分で酒を呑んでいたのだが、どうにも邪魔が入った。


「知っている。神子様が、成人した頃よりの付き合いだ」

「ほう、矢張り身分を隠されて従者などやられていた訳ですな」


 態となのか、酔っているだけか、男は大きく頷く。


「(その頃は本人も知らなかっただけだがな)」

 

 只の話題作りなのかも分からない酔っ払いの相手に、鸚史の目は眼福の先を見つめたままだ。

 が、耳だけはしっかりと、その男の話を聞きつつも、室内に広がる騒音の中の噂話に耳を澄ませていた。


 ―最近陛下は神子と何やら怪しい会合を繰り広げているとか……

 ―何を企んでいるやら

 ―本当に神子かどうかも怪しいものだ

 ―おい、口が過ぎる。神子様方の言葉迄否定してはならん

 ―だが、神殿は何故正式に神子を迎え入れない


 碌な話が無い。

 曖昧な立場ではあるが、神子という脅威に誰もが不審を抱いている。その癖に堂々と口にはしないが、お喋りは止まらないのか、酒が入ると途端に滑らかに舌が動く。

 嘘か本当かも判別付かない話に悪口あっこうを浴びせては、酒の肴にしている。何とも、醜悪なる姿だ。

 そう思うのは、鸚史が燼に近しい所にあるからというのは理解していた。だからこそ、鸚史は冷静にその場で耳を欹てるに止まっているのだ。


 ―そう言えば、あの噂はご存知か?

 ―突然死の話か?


 突如、鸚史の耳に不可思議な話が飛び込んだ。


 ―そうだ、何の前触れもなく自害や昏倒、更には一日で老衰に至るなど、不死が奇病に侵されているとか


 根も葉もない噂にも思えた。不死は病に罹らない。常識にも等しいそれだが、その声の主は話を続けていた。


 ―あの神子が現れてから……奇妙なものだ

 ―やめろ、斬首刑になりたいのか


 神子を貶める発言が知れれば、侮辱罪では終わらない。流石にそれ以上の悪口を繰り返す事は無く、会話は終わった。


「(不審死……か)」


 鸚史は、隣で話し続ける男の声を右から左に流しながら、杯をくるくると回して遊んでは、一気に喉へと流し込んでいた。


 ――

 ――

 ――   

  

 秋めく皇宮。古い離宮の中庭、石造りの腰掛けに上で、妻の膝枕にうつつを抜かす男の姿があった。落ちる紅葉を見上げては、妻と過ごす時を楽しんでいるだけの光景が、景色と同化しこれといった変化もない。

 ひらり、ひらりと落ちる葉を一枚一枚数えているかの様に、その瞳は空を眺めている。


 

 しゅ浪壽ろうじゅは、中庭の隅で護衛対象の男を呆然と眺めるだけだった。勿論、仕事として心得はあるが、皇帝の命令の下に主人となった男は、自堕落な姿ばかりを見せてくる。それが駄目かという訳でも無いのだが、それまで軍属だった浪壽にとって、張り合いの無い生活が今ひとつ性に合わなかった。

 護衛と言っても、主人は神子である以前に、皇孫の従者を勤めていた男で、その技量は業魔を軽々跳ね除ける程だとか。護衛は、神子という立場上で必要なだけで、彼を害せる者がいるとすれば、元主人であった皇孫殿下ぐらいではなかろうか。

 しかも、外に出る機会が今の所、一度も無い為、浪壽の仕事と言えば皇宮という安全な場所で主人とその妻君を眺める事だけなのだ。 


「(あれが神子の姿……か)」


 浪壽は、男がまだ人を名乗っていた時、僅かに行動を共に過ごした事があった。偶々、命令で目的が同じだっただけだが、その時の姿が虚像だったのではないのかと思える程に、締まりの無い姿ばかりが目に映る。あの時は、謙虚と誠実な姿から紛れもなく皇孫の従者としての姿があったと言うのに。

 皇宮から出られないのもあるのだろうが、これでは、威厳も神子としての体面もあったものではない。

 それまで仕えていた男を時々思い出しては、彼は、威厳と尊厳が保たれた方だった、と比べてしまう。

 だからと言って、故人を懐かしんでも、仕方が無い。と同時に、姜家の威光が強い軍部にも戻れず行き場は無いに等しい。他に行き場も無い浪壽にとって、此処で神子を眺めるしか手段は無かった。

 正確には、もう一つの道があったのだが、そちらを決断するよりも早く皇帝陛下から命が下ってしまったというのもある。

 浪壽は、張り合いはなくとも、これも皇帝陛下の御命令で、神子の護衛とは名誉な事だと自分を納得させるしか無いのだ。


「(せめて、もう少し、前の真っ当な姿を見せて欲しいものだが)」


 夫婦仲睦まじいのは良い事なのだが、その様を見たいか見たくないかと言えば、見たくは無いのだ。


 ――


「また、浪壽様が難しい顔してるね」


 絮皐は、自身の膝の上にある頭を撫でながら、ちらりと見えた浪壽の顔にクスリと笑う。


「しょうが無いよ、浪壽は元々、軍部に所属していたから、退屈なんだと思う」


 絮皐のしな垂れた髪に手を伸ばし弄りながら、燼は浪壽の存在など気にせずにご機嫌だ。ここ最近は思う様に動けず、しかも生活も皇宮の中と鬱々としている。だから、妻である絮皐と過ごす時間だけが、燼にとって至高の時間とも言えるのだろう。ゆっくりと過ぎ去る時間は優雅とも言えるが、特にする事が無い上に、絮皐と時間を過ごしていなければ無駄とすら考えた程だ。

 それまで、燼と絮皐は住まいこそ貴族街だったが暮らしは平民同様だった。それが、一夜にして全てが変わってしまった上に、望んでもいない生活が億劫とくれば、不満も溜まる。

 高位貴族どころか、皇帝と肩を並べる暮らしを強いられ、更には使いこなせそうにない権威まで与えられたものだから、手に余るどころか、今にも絮皐だけを連れて山深い地にでも逃走をしようかと考える程に燼にとっては鬱々とした環境でしかない。

 が、妻である絮皐が龍である事を鑑みれば、やろうと思えば実行できる。かと言って、本気で逃走を企てた事は一度も無かった。


「燼、今日は陛下の所に行かないの?」

「行くけど、待たせれば良いよ。今は絮皐が良い」


 燼が、神農の元へ日課として通う。只の話し相手だそうだが、本来ならどんな命令も燼は従う必要は無い。だからと言って、粗相を犯して良い相手でも無く、節度と礼儀は必要だ。


「もう、そんな事ばっかり言って」

「こんな軟禁生活を文句も言わずに堪えてるんだ。少しぐらい、此方に合わせても良いはずだ」


 そう言って、燼は仰向けから表情を隠す様に絮皐の側へと身体を向けていた。少々、不貞腐れている。

 ある人から見れば、羨望の眼差しで見詰める暮らしも、燼にとっては自身を縛り付ける煩わしい生活だった。それが、永くなればなる程に。不満を絮皐に溢す姿に、皇帝と対話の時にある余裕は無く、絮皐の前だけは、燼は人へと戻っていた。


  

 そよそよと、風が流れる。秋めく中でも、照らす日差しが暖かく、今にも寝入ってしまいそうな陽気の中、中庭に足音が近づいていた。

 パタパタと急足が、複数人。恐らく先頭は、宮の中にいた、しゅれいだろう。そして、その背後は聞きなれない者達の足音だった。若々しく、力強さが武官を思わせた。


「……厄介ごとかな」

「え?」


 足音に備えてか、燼がむくりと起き上がった。

 その顔つきは、永く従者を務めた男の姿へと戻っていた。 

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