番外編 黎明の空 弍

 前に訪れたのは、何十年前だったか。流石に細かい装飾が変化したが、変化には気付けても、前がどんな様子だったかまでは記憶にも映らない。

 はて、あそこに飾られていた置物はどんな色だったか。そんな、案内された一室で祝融は面々の顔を見ながらも、ぼんやりとした思考に逃げていた。

 と、言うのも、その面々が急遽集められたにしては、あまりにも仰々しいとしか言えない者達ばかりで、矢張り昨日は飲み過ぎて頭が働いていないのだろうか、と。すっきりとした明快な思考は実は夢なのだとすら思える程だ。その中、上座に座らされた祝融は、顔ぶれを一望しながらも、その面々が集まった理由が、昨日の出来事の大きさを物語っている事だけが事実なのだと確信していた。

 祝融の右には、黄家当主、黄蒙伸もうしん

 朱家当主、朱彪豪ひょうごう。蒼家当主、蒼耀頼ようらい

 そして、左側には左丞相風鷹賢おうけんと……


「そちらは?」


 祝融は覚えのない人物が、左丞相の隣に座っていた。黒髪に、焦茶色の瞳のは人である証明だが、祝融には見覚えの無い人物で、記憶を探ろうにもこれといって特徴も無い。


かい洛浪らくろうと申します」


 姓には祝融も聞き覚えがあった。と言うよりも、既に没落したと噂されていた家名でもあったのだ。


「東王父の……か」


 洛浪は深々と頭を下げた。

 

「当主様より御協力する様にと仰せつかっております」


 既に、東王父の子は逝去され、洛浪はその三代後だと言った。


「我々、解一族は表から姿を消しましたが、この度、東王父と西王母共に意向は変じます」

「待て、西王母もか?」


 洛浪は、小さく頷く。


こう一族も、表舞台へと戻るでしょう」


 男は、端正な顔つきでゆっくりと微笑んだ。その顔は、確かに東王父の面影がある。

 だが、その男が目の前に居る理由は分かっても、その他の面々の心情が一切知れない事だった。それぞれが、そう関わりのある人物とは言えない。

 左丞相は、祝融を支えると表立って宣言しているのではなく、息子を惜しげもなく祝融の下に遣わし、邪魔立てした息子を排斥したからこそ、祝融の背後の大きな存在となっていただけだ。

 黄家もそうだ。中立の立場を守り、祝融の壁にならないというだけだろう。

 朱家に関しては、当主は出来る限りに祝融の立場を確立しようと分家だった雲景を当主筆頭候補に押し上げた。

 そして、蒼家に至っては、殆どの関わりが無い。      


「それで、これだけの面々が前もって集まっている理由を聞きたいな。俺が反旗を翻すとでも考えていたか?」


 その方が、余程納得が出来るというものだと、祝融は冗談混じりに言ってみるも、誰一人として眉一つ動かさなかった。

 堅苦しいというよりは、誰一人として祝融を侮っていない。その立場を、危ぶませようとはしていないのだ。  

  

「……殿下、我々は時を待ちました。ある方の命で、いつか来る日を待ち続けてていたのです」


 最初に、答えたのは左丞相だった。 

  

「それは、いつから、誰からとは答えられんのか?それとも、俺は言い当てるべきか?」


 祝融は、答えは自身で導き出すべきとは、考えていた。ただ、その人物は既に一人しか当て嵌まらず、信じたくないという思いが、祝融の口を動かしていたのだ。


「殿下、お気づきでしょう。今回、殿下の危機を誰が救ったか」


 そう、玉座の間で、ただ一人祝融に救いの手を差し伸べ、祝融が唯一持っていた手段を行使する様仕向けた人物。

 あの場で、燼が一人神子だと名乗りを上げた所で、証明する者が誰もいなければ神子の名を語らせた愚者と、祝融は断罪されていた事だろう。もしかしたら、その場にいた者全てが……

 何事もなく終わったのは、祝融に味方が居た証拠なのだ。


「……あれは、いつから仕組まれていた」

「念の為、というものですよ。太尉が動いた為、もしもの場合に備えて陛下自ら画策した次第です」


 祝融は、正直言って、現状でも神農の行動が理解できなかった。


「陛下は……違うのか?」


 他の一族と、同類では無いのか。祝融は、神農が何も言わない事、父が神農を信頼仕切っていなかった事を繋げて考えていた。


「分かりかねます。我々に直接命令を下したのは、姜家が変じたその日です。その時は、確かに陛下は祝融様の身を案じておられたのですよ」


 そして今は、どこまで心が残っているかが、はっきりとしないのだと言った。

 ただ、今回の事は陛下の意思なのだと、それだけが事実なのだと語ると、左丞相は目を伏せた。


「殿下、これからは、皇宮が二分します」


 今度は、黄家当主が祝融へと向けて言葉を漏らした。軒轅と違い、風格ある老齢の男の金糸はその厳しい目つきと共に強く光る。


「軒轅を、殿下の下につけましょう。風左長史の下で厳しく躾けられた様で、お役に立てるとあらば、更に厳しくしてやって構いません」

「後継だろう」

「えぇ、優秀な曾孫です。そちらで扱いて頂いたからこそ、後継に指名出来た」


 そう言って、老人は笑っている。軒轅には、元々期待していたが、その期待が実ったのも極最近だった。それを、曾孫の実力というほど親馬鹿でも無いのだと更に笑っている。

 厳格かと思われた人物は、意外にも陽気な様子だ。その陽気な人物は、そのまま視線を隣に座る、顔を顰めた赤髪の男へと移していた。 


「しかし、朱家は優秀な人材を逃したとか」


 嫌味だ。と誰もが思った事だろう。朱家の分家だが、本家筋の血も持つ男が、結局は分家の末端となった上、色違いろたがいの恋に身を落としたのは有名な話だ。


「それに関しては、私は関与していない。代わりに孫が当主筆頭候補だ。文句は無い」


 ぶつぶつと、姉上が勝手すぎるのだと、此処にいない人物を小声で詰っている。

 それも一頻り落ち着くと、祝融に目を向け、はあと溜息まで吐いてみせる。


「殿下が、もう少しばかり雲景に強く言ってくだされば、私も苦労せずに殿下直下の人材を作れたのですが」

「ありがたい話だが、雲景はあのままで十分だ。本人も満足している様だしな」

「はぁ、まあ、孫も優秀ですので問題無いでしょう」


 あからさまに、思った通りに事が運ばなかった事を残念がっている姿が暗雲めいて見える。


「大変ですな、こちらとしては出来る事が少ないのが実情です」


 蒼家当主が、にこにこと笑みを絶やさぬ顔のまま話を始めた。


「ですが、変わらず何もしないという立場を貫かせて頂きますので。あ、左丞相の御子息の下にでしたら、一人送れますよ」


 何もしない事も味方と、はっきり言った男は、商売っけの様な話し方で自らの一族の誰かを送り出す。どこかの問屋とさして変わらない様にすら見えている。 

  

「助かる。黄家の者が中々に優秀で、今回の件で抜けるのが痛手だった」


 そして、それを何の躊躇もなく受け取る男に、呆れる者。 

  

「全く、抜け目が無いですな」


 と愉快に笑う。狸だろうか。祝融の目の前には、狸ばかりが並んでいる様だった。その光景を見つめていると、一人狸とは違った男が祝融に赤心を込めた目を向けていた。


「殿下、私も下に着く様命じられています。どうか、この信義を信じて頂ければ」


 若く青いが、実直だ。東王父が何を思って送り出したかははっきりしないところがむず痒。

 何もかもが唐突で、敵でも味方でも無かった人物達が、唐突に自分は味方と言っている。しかも、企みは無い。ただ、命じられていたのだと。その命令を今も実行しているだけなのだと。


 そして、その命を下した人物は、何も語らない。


「祝融殿下、今日、右丞相の下へと行かれましたね」

「あぁ」


 目線を逸らした祝融、左丞相はもとより厳しい顔つきがより険しくなる。


「……では、お分かりですね」

「あぁ、父上は兄上達と同じだ」

「では、静瑛様は?」


 祝融は思ってもみない、蒼耀頼の言葉に、自然と腹立たしさからか目は蒼耀頼を貫く程に睨め付ける。

 

「あいつは何も変わらん。これからもな」


 蒼耀頼も、その視線の本意を感じながらも表情は崩さない。

 

「信頼がある様で。ですが、右丞相の想いは貴方から引き離したいがばかりです」

「……後継にでもするか?」

「その通りに御座います。既に、彼方も動いている事でしょう。禹姫皇妃の忘形見として、手放しはしないでしょう」


 蒼耀頼も引き下がりはしない、兄弟だからと、信頼に足るかどうかは、よく知っているだろう?

 そう、問いかけているよう。


「それは、これからは弟も敵と言いたいのか?」

「可能性の話に御座います」


 祝融は、周りが懸念を示しても尚、それだけは譲れないと自らに本音を語るだけだった。

 

「……静瑛が、どんな選択をしようと俺は信じるだけだ」

「それは、静瑛殿下が異能を持っているから……でしょうか?」


 蒼耀頼が言葉を返すも、祝融は意味深に笑うだけだった。

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