番外編 その心の行方 参

 皇都 外宮


 夕焼けが静かに落ちていく頃、一向は痩せ細った女を一人連れて、祝融の宮へと辿り着いた。

 夕餉の時刻とあって、燼と彩華も絮皐の事もあり相伴に預かる事になったのだが、そこでは、既に当たり前の様に勝手知ったると言った様子の鸚史が寛いでいた。

 まずい、と祝融が気づいた時には手遅れだった。

 段々と、鸚史の顔色が曇っていく。

 

「何でそいつがいる」


 連れ帰ってきた女の顔を見た瞬間に、怪訝な顔つきの男が、これまでにない程の不機嫌を晒している。絮皐は何が何やらを理解していない様で、自身よりも少しばかり小さい彩華の背に隠れてしまった。


「それが、用事とやらか?」

「あぁ」

「どうするつもりだ」   

「まだ決めていないが……俺が出来るのは、ある程度の生活基盤を作ってやるぐらいだ」


 手に職をつけ、ある程度の生活を援助する。魯粛が残した金銭がそこそこある為、絮皐が好きな様にさせるつもりではあったのだが、人でありながらも龍を宿す特殊性を思えば、多少なりとも保護が出来る体制も必要であるとは、考えていた。

 朱家の主要人物には知られている為、下手に婚姻関係を結べないという事が少々厄介ではあった。


「それが手を貸した所為で、どうなったか、わかってるんだよな?」

「勿論だ。が、絮皐は兄に従っていただけだ」


 そこで、絮皐は漸く『リン』を思い出していた。絮皐は、リンを柑省まで運んだだけで、直接的には何もしていない。していないが、どうなるかは、何となくも予想は付いていた。


「(あたしが、リンに手を貸さなかったら……)」


 リンは今も、生きていたのかもしれない。それが、男が怒っている原因だと理解すると、絮皐の顔は青ざめていった。


「鸚史様、今は、この子の体調が芳しくありません。どうか今は……」    

「抑えろってか、無理だね」


 怒りを抑えきれないからか祝融に喰って掛かる勢いだ。そこへ、燼がふらりと鸚史に近づいていた。


「申し訳ありません」

「あ?そりゃどういう事……」


 目の前に立つ燼に対して睨みを効かせるも、鸚史は言葉の途中で突然にふらついた。ぐらりと身体が傾いたかと思えば、燼に向かって倒れてしまったのだ。

 あまりに突然で、誰もが呆然としているが、何となく犯人は分かっていた。 


「……燼、何した」

「いえ、ちょっと眠ってもらいました」


 だから、最初に謝ったのだと。鸚史を、適当な長椅子に横にすると、本当に眠っているだけなのか、ぴくりとも動かない。それどころか、寝息すら聞こえてくる。


「これは、いつ目が覚める」

「起こせますし、ほっといてもその内起きますよ」


 今は、冷静になれないでしょうしと語る。口調は穏やかだが、その実、その能力の恐ろしい事。鸚史程の手練れであったとしても、抵抗出来ずに眠りについてしまうのだ。


「食事をしながらでも、と思ったが、静かな内に話をするか」


 すやすやと眠る男の横で、着実に食事の準備がされる中、祝融は絮皐を座らせると話を始めた。出来るだけ姿勢を正し、向き合おうとする。


「お前を保護するにあたって、幾つか守って貰わねばならん事がある」

「はい」

「一つは、手に職をつける事。二つ、悪意ある者達と関わらない事。三つ、龍人族達と以前かわした約束事を守る事。そして、最後、自ら姿を消した場合、二度と助ける事は無い。以上だ」

「それだけ?」


 もっと厳しい事を言われるとでも思っていたのか、絮皐は肩透かしでも食らった様に、唖然とした顔をしていた。

  

「あぁ、それだけだ。後は、梁という名を使わない様にした方が良いな。調べると、出自が漏れる恐れがあるからな」

「それって、戸籍を変えた方が良いって事ですか?」

「まあ、手っ取り早いな」


 手っ取り早いが、戸籍を偽造するとなると面倒な為、誰かの養子になるか婚姻が楽な手段だが、絮皐の特質を思うと、どちらも気が進まない。悩ましい中、ふと、燼が声を上げていた。 

  

「戸籍で隠せるなら、俺と縁組すれば良いのでは?」


 あまりにも、唐突だった。どちらかと言えば、絮皐に無関心にも思えた男は、あっさりと絮皐に手を貸すと言っている。企みも、下心も抱く男ではないし、だからと言って、何も考えていないのでは無いかと思う程に、突飛な発言だった。


「お前は……安易に口にする事ではない!」


 呆れた顔で、祝融は燼を叱りつけた。従者だからと、そこまで協力させる気が無いと言うのも大きいのだろう。その上、彩華まで祝融に乗っかっていた。 

  

「本当よ、何考えてるの!」


 心配する二人を他所に、燼はこれと言って反応も見せない。

  

「今後、俺が誰かを好いて、結婚する事は無いし、特に問題でも無いかと。そちらが気にしなければ……ですが」


 それに、手取り早いのは事実でしょ?と、燼はにへらと笑っている。

 祝融としては、燼に多少なりとも親心があったからこそ、叱っているわけだが、本人が何も気に留めていない。そう、何も。ヘラヘラと笑っている男を見ていると、叱っている事も無意味なのだと思えてくる程に。

 祝融が呆れている事に気付いても尚、燼が改めないとなれば、後は絮皐に決めさせるしかなかった。

 燼の言う通り、手っ取り早いのは事実なのだから。


「……だそうだ、どうする」

「あ、えっと……」

 

 話の流れで、結婚を強いられていると言う程でも無いが、唐突過ぎて絮皐み頭が回らなかった。数日前に出会ったばかりの男に、結婚を提案されたが、本当に良いかがどうかも解らない。手っ取り早いのは事実だろうが、絶対に必要とは誰一人として言っていないのだ。

 

「俺は、どうせ仕事で殆ど家に居ない。それに、一緒に住むからって、手を出したりしないから安心して良い」


 好きにならないやら、手を出さないやら、女として見られていないのかとすら、絮皐には思えていた。まあ、自分の顔の火傷を思えば仕方が無いだろうとは納得できたが、それは誤解とでも言う様に彩華が口を挟んだ。

 

「そこは、保証するわ。この子、その手の事に興味が無いって言うのよ」


 それはもう、心配になるぐらいに。恋も、それに連なる行為も一切無関心なのだとか。

 何とも、無害な顔をした男が、どうする?と何気なしに聞いている。駄目だからと言って問題は無いのだが、絮皐は何となく、燼が信頼できる人物の様な気がしていた。


「えっと、じゃあ、お願いします。あと、私も女の子が良いので、手は出しません」


 すっぱりと言い切る絮皐の姿は、実に清々しいものだった。


「あぁ、そうなのか。俺の事は気にしなくて良いからな」


 節度を保って生活するなら、好きにしたら良い。

 見た目は若いが、あっけらかんとした雰囲気が、絮皐は嫌いでは無かった。不思議と男という嫌悪感は無く、燼という人物に好感が湧くほどに。

 不安だった先行きが、あっという間に決まってしまい、奇妙な二人の奇妙な夫婦生活が始まったのだった。


 ――


 それから、姓も決まり、棲む家もある程度決まった頃、燼は皇都を離れる事になった。

 燼は出かける準備をしながらも、使用人のランがいるものの、絮皐を慣れない皇都に一人置いていく不安はあった。


「春だから、しばらく帰らないと思う」


 期間は曖昧で、恐らく一月は不在にすると言った。


「大変そうね、気を付けてね」


 同居人として、まあそれくらいは程度の言葉だったのだろうが、何故だか燼がキョトンとしたまま呆けている。


「どうかした?」

「……何でもない」


 あぁ、そうか。と燼は小さく呟く。いつもならば、彩華と共に出るから見送られると言えば、使用人ぐらいだったのだ。

 案外、悪くない。そう思うと同時に、燼はふっと気付いていた。


「(そうか……俺も、家族が欲しかったのか……)」


 はっきりと自覚したのが、皇都が経つ直前と、なんとも間抜けな話だったのだが、既に約束は結んでしまったし、絮皐の言い分も知っている。それなら、それで、燼はできる限りの事をするだけだった。


「じゃあ、行ってくる。本気でどうにもならない事があったら、外宮の兵士を頼って槐様に貰った木札を使えば良いからな」

「大丈夫だよ、仕事探すだけだし」

「真面目に探せよ、祝融様は怒ると怖いからな」

「……知ってる」


 いつ知ったのかは分からなかったが、絮皐はいつの日かを思い出して遠い目をしていた。

 準備を整え、玄関口で履き物を整えると、燼は玄関口まで見送ると出て来た絮皐へと向いた。


「じゃあ、行ってくる」

「うん、いってらっしゃい」


 きっと、絮皐は何も知らずに言っている。

 その言葉で、燼がどれだけ喜んだかなど考えもしなかっただろう。表情を表面に出さない様にと、にやけ顔になる前に燼は玄関を開けると颯爽と出ていった。


 ――

 ――

 ――

 

 ひと月経った頃、燼は皇都へ戻ると一目散に家へと向かっていた。夕闇と行燈の灯に包まれた皇都の中、いつもならば寄り道する店も、鸚史の誘いも蹴って、真っ直ぐに家へと向かう。

 ああ、くそ。と、彩華や雲景の様に真っ直ぐに飛んで帰れない事が忌々しいとすら感じる程に家が待ち遠しかった。

 そして、息を切らしながらも漸くたどり着いた家の前はしっかりと門が閉まっている。当たり前だが、閂もしっかり嵌められて門が開き事は無い。

 燼は、じっと上を見ると、閂やらを足場に使い、簡単に門の上へまでひょいひょいと跳んでいた。

 今になって、彩華が当たり前の様に飛び越えていた気持ちがよく理解できる。と悪意も無しに、門を越え、二階を見上げれば自身の部屋の明かりが灯っている。何故だろうかと気にしつつも、大して距離も無い玄関まで辿り着けば、燼は戸口を開けた。

 そして、早々に明かりが灯っていたであろう部屋を目指す。薄暗い寝静まった頃合いで灯りは消し忘れただけやも、と思いつつも、燼は静かに静かに部屋へと近づいた。

 そして、自身の部屋の扉に手を掛けたと同時に、扉の向こうの声が聞こえ始めた。

 ぐすん、ぐすんと、啜り泣く声に燼は、そっと扉を開けた。

 絮皐は、燼の寝台の上で、膝を抱えて蹲っていた。その手には、あの手紙が握られている。

 ひと月前の平然とした姿からも、燼は少しづつ絮皐が回復しているものと思っていた。


「(そうか……そんな簡単じゃ無いよな……)」


 心の病は容易に解決する問題では無いという事ぐらい、少し考えれば分かった事だ。心を埋め尽くす程の人物を喪ったとなれば、尚更に。


「絮皐」

 

 燼がそっと声を掛けると、絮皐は慌てて顔を上げた。それもそうだろう、燼が帰って来ているなどと気付いてもいなかったのだ。


「えっ、あ、ごめん……勝手に部屋に入って……」


 慌てて、寝台から降りようとする絮皐をそのままでいる様にと止め、燼も寝台淵に座り込んだ。絮皐に背を向ける形のまま、燼はゆっくりと口を開いた。


「謝る必要は無いよ。悲しんだら駄目だなんて、誰も言わなかっただろ?」


 絮皐を憂う燼の声色は、悲しみで埋もれていた絮皐を落ち着かせていた。


「俺は、彩華がいたから、こうやって真っ当に生きてる。絮皐には、それが兄貴だったんだろ?」


 絮皐は、薄らとした境遇の影に小さく「うん」と頷く。


「少しづつで良いよ。辛くなったら、素直に言えば良い」


 絮皐は、そっと燼の背に寄り添った。顔こそ無害な青年の様相だが、広く、男らしい体躯に身を預けると、再び絮皐の啜り泣く声が背中越しに燼に伝わる。

 広い背の暖かさを身に感じながら、絮皐は一言だけ背中越しに呟いた。


「……燼、おかえり」

「うん、ただいま」


 奇妙な夫婦の始まりまりは、少しづつ家族の形になっていく――。

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