番外編 英雄の始まり 参

 地に降り立った祝融の姿に、黄家将軍の背後で控えていた兵士達言葉を失っていた。

 身の丈から大人びている姿だが、若い。武官とは思えぬ装いと、唐紅の房飾りが、それが誰か……何者かを証明している。

 その房飾りの色、唐紅は姜家にだけ許された色だ。そして、唐紅を身に付けることを許された中で、その若さは一人だけだった。


「祝融殿下、何故この様な場所に」


 祝融の顔を知っていた、黄家将軍の補佐官である校尉の一人が前に出ていた。背後にいる侍従が龍の姿から人に戻ると、背格好の違いがあれど祝融と同じ年頃なのは一目瞭然だっただろう。高みの見物か、子供のお遊びか。

 祝融の身分であれば、将来は高官の座が用意されたも同然だ。武官への道を熱望している事も軍では有名な話の為、業魔なるものを確かめに来たのだろうとたかを括っていた。


「勅命が降った。業魔討伐の任を、私が陛下より命じられた為、黄家の将軍と話がしたいのだが……」


 祝融は、封印術をかけ続ける金色の男を見た。汗だくで、今にも封印は途切れそうだが、その集中は凄まじく、祝融の姿すら気付いていないだろう。


「封印を解くと?一度でも外せば、二度目は黄将軍には無理でしょう」


 いくら勅命とは言え、いくら相手が皇族であったとしても、校尉は引き下がれはしない。自身が背後を任され、時折業魔の微かな気配で集まる妖魔を否し続ける。

 校尉も疲れはあるが、窮地に判断を間違える程の甘い訓練を受けていない。


「(確かに、姜家の方が来るとの通達がはあったが……!)」


 単純に命令通りならば、校尉は道を開け黄将軍に事の次第を伝えねばならない。皇帝からの命だ。だが、その命令によって、今この場にいる全員と、付近の村の民の命は掻き消えることすらもあるのだ。

 だからといって、黄将軍が後どれだけ保つかも解らない状況でもあった。

 

 あぁ、なんて重いのだろうか。


 それは、人の命の重みか、責という名の重圧か。

 校尉は頭を抱えたくもなったが、皇族相手に無礼も出来ない。何という人材を寄越してくれた事か。

 ただ、その人材は、校尉が悩んでいる間も、大人しく待っているどころか、その目に業魔を捉えていた。深い暗闇色の巨体が目を閉じ、その場で大人しく沈黙する姿は、今にも動き出しそうだ。

 若くも、鋭い目が自らの敵を視認でもしているかの様に、祝融は動かない。


「……黄将軍は、どれだけ保つ?」


 その目は、業魔を見上げたまま、祝融はポツリと溢す。


「正直言ってあまり時間は無いでしょう。だからこそ、此方は至急援軍をと申請したのです」

「……残念だが、陛下の思惑は別にある様だ。時間が無いなら、始めよう」


 何を、などという間抜けな言葉が校尉の口から飛び出しそうになった。将軍の中でも、道托の次に実力があるとされていた男が殺されたのだ。こんな子供に、出来る訳がない。


「殿下……」

「躊躇っていても、陛下は援軍は送ってはくれない。どうする、このままでは、黄将軍が力尽きると同時に皆死ぬぞ」


 校尉は否定出来なかった。まだ、自分には業魔と戦える度量も実力もないのだ。何よりも恐れたのは、今は封じられている異形がいつもとは違うのだ。

 三体の業魔が一つになり、より大きくなったそれに姜将軍は後一歩の所で、無惨にも喰い殺されたのだ。

 だがどちらにしろ、時間は無い。


「……殿下、姜将軍は血肉の全てを業魔に喰われ殺されました。例え、どんな恐怖が殿下を襲ったとしてもお助けする術も有りません。それを御理解されていますか?」


 覚悟はあるか。

 校尉の言葉はずしりと重々しい責の上に更に祝融に降りかかった。武官としての覚悟を未だ持たずにいる、祝融に逃げろと言っているのだろう。

 死ぬ覚悟が無いなら止めておけ。という、ある意味で校尉の優しさでもあった。

 祝融は、業魔から目を逸らすと校尉を見た。覚悟なら既に決めたのだと、その目を真っ直ぐ捉え、迷い無い様を見せつけたのだ。


「……私は、逃げない」


 祝融の言葉で、校尉も覚悟を決めた。

 黄将軍の側に寄り、その耳元で声をかける。


「黄将軍、援軍として祝融殿下がお見えになりました。どうか、封の解除を」


 言葉が終わっても、封は解けてはいなかった。代わりに、ゆっくりと黄将軍の首が動いて祝融の姿を確認する。疲れていると言う言葉では表せない程だった。既に、限界を迎え、金の目が鋭く龍へと変貌しようとすらしている。ぜえぜえと荒い息を吐いては、何とか言葉を繰り出していた。


「殿下……挨拶は省略させて頂く……時が来たのですな」


 その真意は、恐らく天命の事だろう。

 祝融も、同じ事を感じていた。時が来た。持って生まれた力を行使する時が来たのだと。

 ゆっくりと頷く祝融を目にした黄将軍は、地に突き刺した剣を杖に立ち上がると、今にも倒れそうな程にふらついていた。それでも、校尉が支えれば、まだ何とか立って入られる様だった。


「皆、下がれ!殿下の邪魔にならぬ様に!」


 声は、周辺で見守っていた兵士達にも伝わった。祝融も雲景に空へと逃げる様に伝えるも、雲景は此処で待つと首を振った。


「私も、覚悟決めましたので」


 カタカタと震える身体に精一杯の覚悟を詰め込んで、雲景は其処に立っていた。


「祝融殿下を信じます」


 雲景の言葉に頷くと、祝融は腰に携えていた剣を抜いた。兄から預かった柳葉刀がずしりと祝融の手にのし掛かる。


「殿下、外します」


 黄将軍が地に突き刺していた剣を抜いた、その瞬間。黄将軍とそれを支える校尉、そして雲景は遠ざかると同時に中核の消えた封印は、まるで薄氷が砕け散るかの様に音を立て消え去った。


 黒い巨体が、目を覚ました。


 紅い瞳が怒りと共に妖しく輝く。憤怒の色に染まり切ると、は、空に向かって吼えた。


 ―ヴォオオオオォォ


 遠吠えとも、雄叫びとも取れるその声は、人にも似て獣にも似ている。その姿もそうだ。頭から角が生えて禍々しい黒色の肉体、獣とも人とも似ている。

 祝融にとっては、初めて見る異形だった。

 なのに、祝融には寸分の恐怖も湧かない。

 業魔を目の前にして、祝融の精神は一切動じなかった。頭は冴え渡り、それまで襲っていた不安すら消えている。


「(静かだ……)」


 自分の鼓動の音すら何処かへと遥かなたへと消えてしまったのかと思える程の静寂の中、祝融は一歩、へと近づいた。

 足は段々と速くなる。徐々に、徐々に加速してその勢いのまま、祝融は業魔の足下へと辿り着いた。

 業魔も、ただ立っているだけでは無かった。巨体に似合わず、素早く振り翳した右腕は掌を大きく開いたまま祝融目掛けて振り払った。あまりの勢いに、風が舞起こる。その風圧が直撃する直前に、祝融は飛び上がった。どっしりとした腕を踏み台にそのまま登ろうとするも、足場がぐにゃりとへこみ、思わず大勢が崩れる。一瞬足を取られそうになると、そこを目がけて今度は左手が飛んでくる。

 小蝿でも叩くかの様に、躊躇なく振り下ろされるそれを、祝融はわざとすれすれまで待った。間一髪の所で転がり避けると、自分で自分の腕を抑える状態となったそれを、祝融は余裕の表情で左腕を登って行く。

 鹿が山を登るが如く、足場になる場所を的確に見つけて跳んで行く。そうこうしている間に、再び祝融に向かって右腕が振りかざされた。

 祝融は、再び大きく跳んだ。それから逃げる為ではない。目標に、それの腕を捉えた瞬間に、剣に炎が宿った。それが、自分の意志だろうか。祝融に迷っている時間は無かった。

 夥しい熱量を宿した剣が一気に振り下ろされる。迷い無い太刀筋は、炎を宿したまま、業魔の腕を斬り落としていた。明らかに、剣の長さの許容を超えていた。

 炎が、剣となって業魔を斬ったのだ。ずどんと音を立て、腕が落ちる。

 これならば、首を斬れる。そう、確信した瞬間に、祝融は振り返り業魔を見上げた。


 其処には、更なる怒りを宿した異形が、祝融に殺意を抱いている。

 業魔が再び吼えた。奇声とも言える、目の前耳障りな絶叫が先よりも、近く、耳に劈く。今度は、業魔の怒りに呼応して、黒い沼が動き始めたのだ。

 それまで、黒い沼と言っても、ただの地面に過ぎなかった足場が、どろりと本物の沼地へと変貌する。どくどくと脈打ち、その沼がぼこぼこと音を立てては、新たな形を生み出していた。


「……何だっ!?」


 それも、祝融が初めて見るものだった。獣同然の姿の黒い異形が、次々と生み出されているのだ。その殆どが、祝融へと向かっていく。

 祝融は、向かってきたそれを次々と、斬る。はっきり言ってしまえば、弱い。弱いが、数が多い上に、油断をすると、業魔の攻撃が飛んでくる。

 鬱陶しい事この上無い。が、手も抜けない。  


「殿下!妖魔は、我々にお任せ下さい!」

     

 黄将軍の声が響いた。

 声の方へと向く余裕は無かったが、祝融が相手していた妖魔と呼ばれた獣の異形を炎の剣で斬り裂くと、そのまま業魔の足下に紛れた。祝融が狙うは、右足。剣を思い切り力を込めて二回振る。軸足が、ずるっとずれると、業魔は体勢を崩して、大きく横に倒れ込んでいた。

 あまりの巨体に、土埃が舞い起こるが、止まっている暇は無い。祝融は直ぐ様に業魔の首へと向かった。今正に、再生しつつある右腕で立ちあがろうとする業魔に駆ける勢いのまま、首へと剣を下ろしていた。


 ごろん、ごろんと、首が転がった。大きな巨体の、大きな頭が、祝融の視界一杯に転がる姿が映っていた。


 ――

 ――

 ――


 祝融は、雲景と共に皇宮へと戻った。達成感と、兄達と肩を並べられると、嬉々とした想いを胸に宿しながら。

 だが、辿り着いた皇宮は、祝融の予想に反して重々しい空気に包まれていた。

 同じ空気を数日前に一度味わった筈だが、その時よりも、殺伐とした空気が祝融を突き刺した。玉座の前まで歩く間も、目線が突き刺さる。褒め称えるものではない。が祝融に殺意を抱くものだ。そのは、一人では無かった。それよりも、祝融にとって問題だったのは、それが全て自分と同じ一族の目線だったと言う事だった。


 ―何故?


 そう問いかけた所で、誰一人として言葉を返さない。

 兄達は、違う筈だ。何の根拠もない、期待に、祝融は玉座の間を出ると兄達が出てくるのを待った。そして――


「兄上!」


 どれだけ、三人の兄達に呼びかけようとも、向けられるのは鋭い視線だけだった。殺意が籠り、まるで、異形でも見るかの様なその目は、暗闇の底同然に濁っていた。


「何故ですか!?何故、何も言ってはくれないのですか!?俺が何かしたなら謝ります。ですからっ……」 


 祝融の声は、届かなかった。取り乱す祝融を前にしても、三人は何も言わずに、ただ、去ってしまった。


「……何で……何でだ……」


 皆、祝融が見えていないかの様に、何も言わずに去っていく。伯父、従兄姉達、その他にも同じ血を持つもの達全てが、祝融を敵としたのだ。


「祝融様、お疲れでしょう、宮に戻りましょう」


 業魔に果敢に立ち向かった少年が、兄達の様子に打ち拉がれる姿があまりにも痛々しかった。雲景に出来る事は少ない。せめて、今は傍を離れない事ぐらいだった。


 ――

 ――

 ――


 そして、次の日。昨日、祝融が皇宮へと戻った知らせは、学友達にも届いている筈だった。何事もなく、いつも通りに学びの時間……その筈だった。


「殿下!舐められてるんですよっ!」


 いつもの部屋で、いつも通りに机に座る祝融に怒りを露わにしたのは、風鸚史だった。幼いながらに、彼程、祝融を前に堂々とした人物もいない。その少年が、怒りを見せたのは、雲景と鸚史意外に誰一人として、祝融の前に現れなかった、と言う事だった。


「仕方が無い。昨日の事が広まったんだ……誰も、姜家を的に回したくは無いんだろう」


 学友の目的は、皇族と親交を深めた後にある、繋がりだったのだ。姜家が見放した存在のそばに居て、どう転がるか分からない賽子に博打を打てなかったのだろう。


「殿下!そんな事言ってると、余計に見下されるのです!」

「鸚史は、はっきり言うな」


 祝融は、思わずにへらと笑った。鸚史が怒っている姿が、何となく嬉しかったのだ。


「鸚史、お前は何故来た」

「俺は、姜家は怖くは無いですから」

               

 そう、風家は姜家と同格の家紋だ。しかも、鸚史は左丞相の子息。姜家を恐れてなどいられない。


「皆が皆、姜家と同格では無い。家を守らねばならんのだ」

「あー、もう!雲景も何か言え!」

「鸚史様。私は、覚悟を持ったから此処にいます。祝融様にお仕えすると決めた。皆に、同じ覚悟を求めるのは、間違っています」


 それは、雲景の理論出会って、鸚史が求める答えでは無かった。


「何だよそれっ!じゃあ、殿下が蔑ろにされても何もしないのかよっ」

「……鸚史、落ち着け」


 幼くとも、今の祝融の状況が異常と判断できるが、どうにもならない事がただただ腹立たしい。そして、どうにも出来ない、力にもなれない自分が余計に状況を苛つかせていた。


「鸚史、俺は、お前が今日来てくれただけで十分だ。そうやって怒ってくれるのもな」


 無感情に、去っていくもの達を追うのは、疲れる。

 だから、鸚史が怒っている様が、雲景が何も言わずそばに居ることが何よりも嬉しかったのだ。


「鸚史、どうする?このまま、俺の為に父が講師を手配はしてくれるだろうが、利点は無いぞ?」

「俺まで、裏切り者にするつもりですか」

「そうじゃないが」

「俺が今日此処に来れたのは、父が何もしなかったからです。だから、父もきっと祝融様の力になる事を望んでる。俺は、祝融様の味方です」


 左丞相は、敵では無い。鸚史の言葉は、心強いものがあった。


「そうか、皆が皆、変わってしまったわけでは無いのだな……」


 内心、祝融は安堵していた。誰しもが、敵となれば、この皇宮では生き辛い。しかも、皇孫という立場の手前、逃げ道もないのだ。

 父、母、雲景、宮の家令に家従や女官達、今の所、祝融と変わらず接してくれる人物は、限られた人物だけだと思っていたが、まだ居るのだと知れると、少しばかりの余裕もできる。

  

「父は何も言いません。でも、八つだった俺を無理やり祝融様の学友にした事に意味はあるんです。父が良く言うのです。人に判断を委ねるな、自分で考えろって」

「……その意味は、俺自身が考えろって事だな」


 鸚史には、異能の才がある。まだ微弱で、ほんの少しだけ植物を操れるだけだ。


「なぁ、鸚史。力になってくれって言ったら、嫌か?」


 祝融の言葉に鸚史は堂々と答えた。


「俺は、裏切りません。友人として、殿下をお支えします」

「……じゃあ、あれだ。殿下はよしてくれ、あまり好きじゃ無いんだ。敬称も無しで良いぞ」 

「祝融様、それは……」


 雲景が止めるも、友人ならいらないだろう、と笑っている。 


「じゃあ、誰もいない時は、祝融と呼びます」

「鸚史様!」

「良いな、悪くない」


 昨日の事が嘘の様に、祝融は高らかに笑った。

 暗雲は、晴れてはいない。それでも、光は差し込んだ。 

 楽しげで、あの悪夢を払拭した光景が、今も、祝融の記憶には残っている。

 決意は、幼き頃より心の中に。

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