三十四
祝融と燼が同時に皇都へと戻ってきた。その報告を聞いた鸚史は、同時に祝融と共に居た者全てが軍に連行されたと聞くと居ても立ってもいられなかった。
兎に角、動かなければ。そう思い執務室を出ようとするも、目の前を塞ぐ男の姿に、そうもいかなくなっていた。
「鸚史、玉座の間だ。行くぞ」
左丞相の背後には皇帝の遣いと思しき姿の男が一人。官吏の殆どを、招集する様に皇帝から指示が降ったと言う。
「何もするな」
左丞相は、背後を歩く鸚史に警告を続けていた。
何があっても、何もするな。まるで事が起こると明示しているが、何も語らない。
「左丞相、貴方は何を知っているのですか」
鸚史は腹の中で積もる苦悶を吐き出した。父親の考えが読めない。その読めない相手は、安易に言葉を口にはせず、答えてはくれないのだろうと考えていたのだが、鸚史の考えとは裏腹に、左丞相の口は開いていた。
「今のお前が知る必要はない。時が来れば、お前は自分の役目を理解するだろう」
何かが始まる。始まろうとしている。それも、祝融が関わっている事と共にだ。
不安が、込み上げる。
それでも、行かねば何も知り得ぬままだ。はやる鼓動と共に、多くの官吏達が集う、玉座の間へ――
――
官吏達で埋まる、玉座の間。皇帝への道だけが、そこにある。静寂に呑まれたそこで、足音だけがよく響いた。自らの足音を聞きながら辿り着いた皇帝の御前で、祝融を筆頭に跪く。
皇帝の後ろに控える、左丞相に表情はないが、右丞相にその余裕は無い。苦悶に満ちた顔、何かに敵意を向ける顔を見せていた。その先には、祝融の姿。
「……祝融、阿孫の死に関して弁明があるなら、述べてみよ」
静寂を遮ったのは、右丞相だった。重くのし掛かる声に、祝融は温厚な父の声とは思えず違和感を感じるも、首を垂れたまま言葉を返していた。
「我が、兄、姜阿孫は、高麗山にて陰の影響により異形へと変じ、これを討伐致しました」
祝融は、ありのままを答えた。異母兄を殺した事実だけは浮き彫りとなるも、高麗山で陰の影響を受け異形となった事もまた事実。
「それを証明出来る者は?」
あらぬ嫌疑が、祝融にかかっていた。弾みで殺したのではないか。そうとも取れる言葉に、祝融の手に力が篭る。まるで、父の言葉は他の同一族達と似通っているのだ。
「……その場には、神子華林がおりました。私に高麗山へと馳せ参じるよう命じたのも、神子瑤姫です」
「神子華林は、聖域外で待機していた為、その目で見てはいないと言った。瑤姫もまた、同様。命じたからと言って、結果までは知り得ぬ」
嫌疑ではない。既に、判決は決まっている。
頼みの綱であった筈の神子達が素知らぬ振りをし、祝融の道を閉ざしていた。
回避する方法は。祝融は考えるも、阿孫が異形になったと証明する手立ては一つしか残されていない。
だがそれは、現状最悪の手段だ。
「朱浪壽、お前は阿孫の姿が変じるのを、その目で見たか」
浪壽は、祝融の言葉を嘘とは思っていなかった。阿孫に殴られた事は事実で、異変も感じていた。が、問題は、事象が起こっていた間、自身は気を失っていたという事だ。
「私めは、阿孫殿下の殴打により……気を失っておりました」
見てはいない。事の間、浪壽も結界の外にいたのだ。助けられた。怪我の手当ても全て祝融の命の下に行われている。
しかし、恩義を返そうにも、偽りを述べる事は出来はしない。
それ以上の言葉が出て来ない朱浪壽から、右丞相は、祝融へ目線を戻していた。
「祝融、お前以外で視認したのは、お前の息が掛かった者達だ。幾らでも、お前の為に虚偽の発言をするだろう」
「私の麾下に、その様な愚者はおりませぬ」
何を言っても祝融は無駄に思えていた。信じる気が無く、こじ付けにも近い形で全てを終わらせようとしている。
祝融に恐怖が込み上げていた。今迄、一度として感じた事のなかった恐怖。自分が犠牲になる事はどうとも思わない。だが、そうなった時、雲景はどうなる。彩華は、燼は?
共に罰せられるのか?
それとも、命を乞えば、三名の名誉は傷付かずに済むのか?
祝融は既に自らを捨てる考えに至っていた。阿孫を殺した事は、事実なのだ。
「祝融、何故夢見に命じない」
その時、それまで何も語らなかった皇帝の声が祝融の頭上に降り注いだ。
「影響が計りかねます」
祝融は、ちらりと横目に燼を見た。渦巻く憎悪に飲み込まれ、その瞳は薄らと紅色の光を放つ。もし、条件が揃ってしまったらその時は、この場は凄惨なる光景が広がる事だろう。
「して、その影響とは」
「姜阿孫は、夢にて封じられた異形の一端を目にした。その影響が、
祝融の言葉が、一斉に騒音に飲み込まれた。
―戯言だ!
―姜阿孫を貶める気か!
怒声が飛び交う。誰とも知れない程に玉座の間が声で埋め尽くされ、感情と共に憎悪が増していた。それに比例して、燼の状態は悪化の一途を辿っている。
これだけの数の負の感情を一身に受け、燼の心身の負荷を容易に越えようとしていた。
「(どうすれば……!)」
だが、意外にも声は鎮まった。いや、神農が鎮めたと言った方が正しいだろう。大多数の声を退けた、その威圧、存在感。表情の変わらぬ皇帝の、その尊顔は僅かに歪んでいる。
「祝融よ、一つ手段があるだろう。何故使わない」
祝融は、皇帝が何を言っているのか、最初は理解出来なかった。
残された手段は、燼だけだ。だが、その手段は燼を晒す上に、今この場にいる者達にどう影響するかも把握しきれない。
それ以外に証明する手段は無いのだ。
「祝融、羅燼が何者かを述べてみよ」
祝融は思わず、顔を上げてしまった。それまで、そんな失態を犯したことは無い。何の許可もなく、皇帝の顔を上げるなど、失礼極まりないのだ。
それでも、そんな事は祝融の頭になかった。
何故、知っている。
全てが此の瞬間の布石に思えた。その思考に至った瞬間に、燼の正体を神農に晒した人物は簡単に浮上する。その為に、彼女は祝融を高麗山へと導いたのでは無いか、と。
「羅燼……
これ以上、反論の余地は無かった。
辺りは騒めきが始まる。誰もが動揺している事だろう。神子とは、経典を読んでも、現状健在する者達を考慮しても、燼には当て嵌まらないのだ。
神子とは、白銀の髪色がその存在を明示すると謂れている。燼のその姿は、只の不死の成人男性にしか見えない。
「陛下、あれの何処が神子であると……」
動揺からか、右丞相の目から憎悪が揺らぐ。右丞相だけではない。玉座の間を埋め尽くしていた負の感情が薄れ始めていた。
「神子瑤姫が私に伝えた言葉だ。虚偽では無い。他の神子達も、同様に羅燼は神子であると認めている」
皇帝の言葉の一つ一つが、祝融の嫌疑を払拭する為のものだったが、同時に燼を雁字搦めに動けなくもしていた。
「羅燼、立って頂けないだろうか。もう、隠匿する意味も無いだろう」
祝融は、燼に立てと言うつもりだった。が、それよりも早く、誰かが背後で立ち上がる気配があった。
ゆらりと、立ち上がる姿が、いつかの影に呑み込まれた姿を思い出す。しかし、それに反して燼の瞳は、澄んだ色へと戻っていた。
「……私は、祝融殿下の無実を此処に証言致します」
それ迄にない、燼の堂々たる姿と発言が、玉座の間を三度目の静寂へと飲み込んでいた。
「姜阿孫殿下は、私に封じられた存在を見たいと仰られ、私もこれに同意致しました。その時、黄軒轅様も御一緒でしたが、影響を受けたには阿孫様のみ。元より陰の影響を受けておられたのでしょう」
燼は続けた。高麗山に行くより前から、兆候があった事、阿孫自身が無自覚出であった事。
下手に刺激できない状況に、対処が無かったも。
「此処では、お見せ出来ません。祝融殿下が仰った通り、どう影響するかが判断出来ない状況なのです」
燼が全てを伝え終わっても尚、静寂は続いた。全ての目が燼に向くが、神子に対して誰も発言出来ない。懐疑的な存在だと声を上げれば、今度は白銀の神子達の言葉を、神農が虚偽を述べていると言っている事になる。だれも、何も言えない状況が出来上がっていた。
それを見届けた皇帝は、何事も無かったかの如く、ゆっくりと口を開いた。
「どうやら、異論は無い様だ。祝融、此度も御苦労だった、下がりなさい」
素気ない言い草に、呆気無く全てが終わったのだと告げていた。
祝融が言葉通りに立ち上がると、浪壽を含む四人は祝融に続く。静寂の中、出口へと向かう。
何事も無く、この場を去りゆくその姿を許せないのか、誰の目線が再び憎しみが浮上していた。
早く、この場を去った方が良いだろう。
祝融は僅かながらに歩速を早めた。そして、もう出口へと辿り着こうとした時、背後から再び声が降り注いでいた。
「神子燼、貴方には話がある。後で皇帝宮へと招待しよう」
燼は、足を止めた。
「……もてなしに感謝致します。ですが、私は……」
「貴方の妻君についてでもか?」
燼の顔が、歪む。鎮まった筈の瞳に再び妖しい紅色が戻ろうとしている。
祝融は思わず燼を制止した。食ってかかる訳には行かない。この場で、動揺すれば、それこそお終いだ。
「(燼、抑えろ)」
祝融の声が届いたのか、燼は瞼を強く閉じると、ひしひしと登りゆく感情をその身に押し込める。
「お伺い……いたします」
祝融は再び歩み始める。燼は、苦しみながらもそれに続く。漸く、漸く辿り着いた出口の光は、更なる悪夢の始まりの様。
その光の中へと身を預けると、玉座の間の扉が静かに閉められていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます