二十

 墨省 南西の村

 

 春も終わった深緑の鬱蒼と茂る木々の中、紅い炎が舞う。

 熱源の中心に立つのは、六尺を越える大柄の男だ。だが、業魔の大きさはその何倍とある。どれだけ大柄な人物だろうと業魔の前では小さいと揶揄される事だろう。人の身に住む陰が神威の影響で現世に顕れ、大きく膨らむのだ。更には業魔の足下に黒い陰の沼が出来上がって、業魔の成長をより助長させている。この醜く悍ましい姿こそ、人の心の形とでも言うかの様に、今も、業魔の背は瘤が出来ては膨れ上がり、大きくなり続けていた。

 どす黒く染まった一体の業魔を前に、男は一直線に進んだ。業魔が動くよりも早く、足元にへと転がり込むと、炎が線を引くと同時に業魔の足が焼き斬れた。業魔は片膝を突き、痛みを怒りに変え炎を纏う男に咆える。

 業魔の足は、既に再生が始まっている。離れた肉塊は陰へと還るが、陰の沼は業魔の下で纏わりついて新しい脚を作っている。ぼこぼこと音を立て、業魔を形作るそれは再生が速く、脚を切った意味は一瞬で消え去ろうとしていた。が、男が見逃すはずもない。

 男の剣は、業魔が立ち上がるより速く動いた。

 業魔もまた、男の動きを捉えている。憤怒のままに暴れる業魔のその身に纏わりついた陰が、男を鋭い牙となって襲った。襲ったが、男が纏う炎は盾となり、脆弱な陰は燃えていく。男は業魔の攻撃を防ぐどころか、物ともせずに近寄り業魔の頭の上へと辿り着いていた。

 炎を纏った剣を一振りすると、業魔の首が落ちると共に業魔の肉塊全てが燃えていた。

  

 ――

 

 北の空を見上げていた。

 長い黒髪を靡かせ、金色の見つめる先は、これと言ってどんよりとした曇り空が広がっている。此処数日は晴天に恵まれず、薄暗い日々が続いていた。そして、今日は今にも降りそうな雨に、表情までもが天気に引っ張られそうにもなっている。

 ただ、黒髪の主、彩華の表情が曇天になっているのは、何も天気の所為という訳でも無かった。

 木々に囲まれ、小さな村の端。彩華は周りに広がる妖魔の死骸も忘れて、その内の一体死骸の上に座り込んで空を見たままに微動だにしない。凄惨なまでに、そこらかしこに黒い血がこびり付き、その黒い血は彩華の頬にも少しばかり付着している。

 たかだか妖魔。疲れたと言う訳でもなかったが、なんとなく北の空が気にかかった。

 正確には、北の何処かにいる、友人だ。気がかりが絶えなかった人物が、信用はしているが、頼りない人物と共に勅命を下されてしまったのだ。頼りないと言うのは、何も見た目の事を言っているわけではなく、単純に経験年数だ。無謀では無いが、若さ故に爪が甘い。そして、逃げ惑っていた経験から少々信用が薄いと言うのが彩華にとって心配の種を増やす要因だった。逃げ惑っていただけに、黄家という恵まれた家柄を盾に使えるかも本人次第なのだ。

 神子華林に、皇孫殿下姜阿孫、侍従や従者すらの家柄も軒轅と遜色が無い。物々しい人物達に囲まれ、肩身の狭い思いはしていないだろうか。そんな不安ばかりが彩華に募り、集中力に欠けていた。 

 だから、今背後に迫る者にも気づけず、空を眺め続けている。


「彩華」 


 肩に何かが触れた。その何かは、赤髪の男……彩華の夫でもある男の手だ。肩を軽く叩かれ、全くと言って良い程、背後を疎かにしていた事を、只々、反省していた。


「……すいません」

「いや、良いんだ」


 夫、雲景は少々不機嫌だ。正確には、その表情はいつも通りの真面目で感情の現れは微塵としてないのだが、僅かな口調の変化や強さが、それを物語っている。そもそも、不機嫌の原因は、彩華自身というのもある。あくまで恐らくという話なのだが、彩華が燼の心配ばかりして仕事を疎かにしている事が原因でもあると、彩華は推測していた。

 彩華と燼は姉と弟も同然の関係で、最近は燼の幼い頃の様に友人とも思える関係が築けている。お互い距離が開き、それが良い方向へと働いた……のかは分からないが、お互い執着も何も、ふっと消えてしまったのだ。

 そうすると、残ったのは信頼だ。燼が幼い頃、彩華は後見人という曖昧な立場を口にするのが面倒で、友人と度々答えていたのだが、今は本当に、友人の間柄に成れたのだ。だからだろうか、彩華は今回離れて仕事をしている燼を心配するあまり、時々北の空を眺めては、雲景に睨まれていたのだ。

 今も、声だけ掛けて、そのまま来た方へと戻って行った。彩華は慌てて追いかけ、横に並ぶとその顔を覗き込んだ。 


「……怒ってます?」


 何気無く訊いてみると、相変わらずの真面目顔だが、ピクリと眉が動いた。

  

「そこまで狭小に見えるのか?」

「そういう訳じゃ無いですけど」


 二人は村の中心へと歩いていた。恐らく、その辺りで主人が待って居るはずだ。本当に小さな村だった。業魔が現れるより前に辿り着いたからこそ、被害なく終わったが、そうでなければ妖魔の死骸が散らばるよりも凄惨な情景が残っていた事だろう。

 業魔が現れると、妖魔が寄ってくる。特に人の匂いと気配に釣られて。村人は中心一箇所に集められ、ある意味では餌だ。他に分散されると、守り辛い上に守れなくなってしまう。

 多少は腕の立つ者がいて協力もしてくれると、彩華と雲景は村の外を担当していた。

 いつもなら、もう一つ手がある。豪快で、最近は熊の姿は見ていないが、それでも力強さは健在だ。その手が偃月刀を振るうと、斬るというよりは、肉を断ち、骨を砕くのだ。

 彩華が矛を振るってもそうはならない。一応師としての自覚もあるのだが、そろそろ、武器を使ってでの手合わせも、勝てなくなってきていた。

 そんな頼りになる存在が不在で、太刀打ちできない事態になった訳でもないのに、なんとなく心細い。そんな事を考えながら夫の隣を歩いていたが、今度は雲景が彩華の顔を覗き込む形になっていた。


「……また、考え事だな」


 今度は、はっきりと眉が動いて眉間に皺が寄っている。 

  

「やっぱり怒ってるじゃないですか」

「彩華が燼の事ばかりで仕事に集中しないからな」


 多分、それは半分は嘘で、「燼の事ばかり考えているから」が正解なのだろう。

 雲景は、少々独占欲が強い。仕事と割り切れば、それは消えるが、彩華の燼への心配性が戻ったのが、より増長させていた。

 彩華からすれば結婚したのだし、嫉妬している相手は種族が違う上に弟同然。そして、なんとなく結婚した相手と上手くいっている男だ。そう言った感情を一切抱く必要はないはずだが、そう簡単に割り切れるものでもないらしく、今も眉間に皺は寄ったままだ。

 厄介だが、悪い気はしない。仕事中でなければ、弄り倒して遊ぶところだ。

 それも、進む先に村の住人と話をしている主人が視界に入ると、彩華はそれまで心配性になっていた思考に蓋をして、切り替えていた。

 村長に対して事が終わったと話しているだけだったのだろうが、未だその村の長は不安な顔のままだ。それまで妖魔で溢れかえり、恐怖の色に染まっていたのだ。直様解消されるのであれば、それこそ異常な精神と言えるだろう。

 主人は、朗らかな顔で、何度となく村長を宥めていた。お人好しで、とても貴族を思わせない。

 ようやく村人も落ち着くと、一行は村を離れていた。

 村に着くまでは、雲景が移動を担当していた為、今度は彩華だ。黒い龍が空を舞う中、その口が開いた。     


「それで、次は何処ですか?」


 まだ、陽が落ちるには早い。空の散歩も悪くはないが、せめて目的は欲しい所……そんな程度で呟いただけだったのだが、思いの外、祝融の口は重い。

 雲景が前を向き、背を向ける形で背後を見る男は、暫く思い悩んだ様に天を見上げると、漸くその思い悩んだ言葉を溢した。


「……あぁ、次は……雲だったか」


 珍しく、はっきりとしない返事。雲景は不審に思うも、背を向けている為表情が見えない。


「祝融様?」

「……別に耄碌した訳じゃないぞ」


 静かに答えた男は、それ以上何も語らない。前に集中する彩華には、気を紛らわすために吐いた冗談混じりの言葉は、しっかりと聴こえてこそいなかったが、何となく寂しげではあった。


「……雲ですか?」


 雲景は首を傾げた。主人の様子も気になるが、その主人が告げた行き先が、それよりも気に掛かっていた。雲と言えば燼が最終的に行き着く地でもある。現在地を知らせる連絡だけが、一日に一度白い鳥となって送られて来るが、その連絡からして辿り着くのは同時期となる事だろう。


「神子瑤姫の報せ……ですよね?」

「そうだ。偶然…では無いのだろうとは思っているが……」


 ただ迎えと命じられているのだと、祝融は溢した。


「ただ同じ地という事もある。向かってみるしかあるまい」


 嫌な予感がする。誰も口にはしないが、その予感だけが、その場にいた三人全員がひしひしと肌に感じていた。

 偶然という言葉程、都合の良いものは無い……と。

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