十八
丹省 キアン
西の空に日が沈む。皇都ならば春も終わりを告げる季節だが、白仙山に程近い桜、丹、雲の三省は、未だ春が続いている。夕方近くもなると肌寒い。特に空を飛んでいると、白仙山の息吹を身近で感じるのだと、身を縮め肌を摩る。
夕焼け色に染まった山々の中に、血の如く染まった紅い紅砒城が見えてくる。漸く暖が取れるのだと、燼はひっそりと安堵した。
「明日、不周山へと向かおう」
そう提案したのは、阿孫だった。いくら聖域とはいえ、夜というのは影響が判らないという判断からだろう。
「そうですね……」
神子華林が静かに返事をする。その目は、不周山を捉えたままだ。燼もまた、そちらを見た。他と変わらず、陰鬱とした空気が、そこを取り巻いている。
「羅燼、今日は休むぞ。良いな」
神子に釣られていると見られたのか、阿孫の口調が強くなる。
「承知しました」
三頭の龍が紅砒城へとたどり着いた。姜家や朱家の出迎えの中に、降り立つと皆が神子に首を垂れる。その中の、諸侯姜
「神子様、並びに阿孫殿下、黄軒轅様、羅燼様、此度は陛下より勅命を賜り、此処までの旅路お疲れ様で御座いました。どうか、今日はゆるりとお休み下さい」
皇帝とも遠縁にあたる穏和な老齢の男は、腰の低いままに、それぞれの客間へと客人を案内していた。
春というのに、ひんやりとした回廊は冬よりも、まだましという程度に冷気が籠っている。その中を、脚が痛むのか賢俊は杖を突き、足を引きずりながらも進んで行った。黙々と華林と護衛官、阿孫と従卒と案内し、最後に軒轅と燼の二人になると、それまで大人しくしていた賢俊の口が開き始めた。
「祝融様はいかがお過ごしでしょうか」
先程までは、阿孫がいたから口を閉ざしていたのだろう。
「お元気ですよ。ただ……」
燼は口を濁した。言って良いものだろうかと、横目で軒轅を見るが、軒轅が答えるより先に、戸惑いを見抜いた賢俊が言葉を返していた。
「禹姫様の事でしたら、此方にも噂が舞い込んでおります。不死の宿命……でしょうなぁ」
賢俊は、不死では無い。姜一族だろうと、血が薄まれば只人が生まれる。時々、分家に中からも不死生まれるが、稀だった。
「不死が心を病むと、老いは止められないと聞きます。そして、思い入れが強ければ強いほど、その心に引っ張られると言われております」
よくある話だった。例えば、妻を追って、夫が死ぬ。老いだったり、自害だったりと、その事例は様々だが、それまで何の異常も無かった者が、ある日突然死に至る。不死では珍しいことでも無い。心の病程、不死にとって厄介なものもない。永く生きるからこそ、思い入れを持って接する存在がいなくなった途端に、心が壊れるのだと言う。そうなると、不死は只人よりも、弱い存在に成り果ててしまうのだ。
「……祝融様は問題無いかと」
「えぇ、殿下は大丈夫でしょう」
賢俊は口にはしないが、右丞相の事を言っていた。それぐらいは燼も察したが、流石に右丞相の事を軽口に出来るほど愚かでもない。意地が悪いのか、親族として祝融や右丞相を心配しているのか、賢俊の顔は僅かに憂いている様にも見える。
「此処と隣が軒轅様と羅燼様の部屋となります」
案内が終わって、賢俊は去って行った。その背中は寂しく重い。
「さっきのって、右丞相がもしもの事があると……って話だろうか」
「多分な……」
祝融の立場を支える人物として挙げられるのが、左丞相と右丞相だ。左丞相の思惑は見えないが、右丞相は純粋に息子を想っての行動だろう。
もしも、その立場が揺らいだならば。その先は、姜家の誰が後を継いでも祝融の敵が増える未来しか見えて来ないのだ。
「左丞相だけでは、足りない。静瑛様が後継として選ばれる確率もかなり低い」
「文官として何の経験も無いから?」
「そういう事……だから、此処に来て禹姫様の衰弱は、皇都以外でも噂が広がるぐらいの大事なんだよ」
軒轅は扉に手を掛けるも、唸り考える燼を前にすると、燼の肩を掴んだ。
「よし、外に飯を食いに行こう。たまには気楽に食事もしたいしな」
「えっ、でももう用意がされてるんじゃ……」
「気にすんな、ああいうのは大目に用意されてるもんだよ」
貴族の考え方だった。燼は今も質素な暮らしを続け、祝融の共等をする時だけ、それに合わせている。勿論、祝融も贅沢ばかりでは無いが、質素では無い。
燼がどうしたものかと迷っている間も、軒轅は燼から荷物を取り上げ、案内された自室へと放り込んでいる。逃げ場を無くしてしまえば、燼は軒轅にされるがままに背中を押されていた。
「俺、キアンは初めてなんだよ。どっか美味くて安い店知ってるか?」
「あー……前に祝融様に連れて行って貰った所なら」
じゃあ、そこに行こう。と、軒轅の強引さに流されるままに燼は歩き始めていた。
――
日が沈み、騒がしく賑わう。皇都と同じく洗朱色で染まった街並みに、省都もまた似た雰囲気を醸し出している。日が沈むと、途端に冬が迫ってきたかと思うほどに、寒さが増す。しかし、慣れきった人々は気にしないのか、頬が赤くなるまで飲んだくれている。
丹は、酒が旨い。そして、酒飲みも多い。往来が、飲んだくれた者達で埋まっていた。今にも喧嘩でも始まりそうな者達に、酒を抱えたまま地べたで眠る者。酒楼は忙しく、客引き達も他に客を取られまいと必死だ。
そんな街中を、人集りを掻き分け目的の店を目指史漸くたどり着いた先は、何処にでもあるような大衆食堂だった。酒楼と同じく混雑している店内で、二人は隅の席に座っていた。注文を済ませ、出てきた料理や酒を摘む間、やたらと視線を感じる。龍人族自体は珍しくないのだろうが、金色の髪色が目立つのか、軒轅は終始視線が向けられていた。
「頭を隠してくるんだったな」
「確かに、その髪色は目立ちますね」
他愛も無い事でカラカラと笑う燼に、軒轅も一緒になって笑っていた。なんて事は無い会話だが、そんな些細な事から、話題は広がっていく。
ほんの一時、使命も重圧も忘れ楽しげな会話は続いていた。
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