十一

 曇り空が続く陰鬱とした空は、燼の心象を移したかの如く灰色がかってどんよりとしていた。深緑の上空を飛ぶ三頭の龍。其々が馴染みというわけでもなく、赤龍を先頭に距離を取り目的の地へと向かっていた。燼は、前と後ろを交互にそれぞれ見るも、どんよりとした空と同じで、どちらも陰鬱として見える。

 何気なく前を行く赤龍と、その背に乗る男の姿まじまじと見るも、何故だかいつもと変わらないのでは無いかと錯覚を起こしそうだった。龍人族が一度龍の姿になると、遠目だとほとんど違いがわからない。乗っている男も、主人に似た体格の所為か後ろ姿だけだとうっかり主人と見間違えそうになる。だがそれも、自身が乗る金色の龍が目に入り込むまでだ。

 金色の龍、黄軒轅は正式には風鸚史の補佐だ。黄家後継として風鸚史の下で学ぶ為に業魔討伐及び文官としての仕事の補佐をしている。所謂、修行らしい。その修行中の身の男はこの度、燼と共に勅命が下った身でもある。燼にとっては身に余る……というよりは重すぎる重圧と、共に行動する者達の顔ぶれで今にも帰りた気分でしか無いが、この黄龍の男はどう思っているのだろうか。

 燼としては、親しみ慣れた黒龍と二人での旅路を想像していた。それならば、説教があっても重圧には耐えられる。まだ黄軒轅と二人でも、歳も近いし、そう考えていた事だろう。

 悶々と考え込んでいると、その黄龍から声が燼の耳に届いた。


「しかし、こうやって見てると祝融様に良く似てるよなぁ」


 燼が考えた事が、そのまま黄龍の声で現れた。恐らく距離を考えても、前を行く者達には聞こえていないだろう。

 

「それ、御本人達の前で言ったら、とんでもない顔されそうですね」

「いや、流石に目の前では言う勇気は無いな。……顔は似てなかったしな」


 そう言った軒轅からは、からからとした笑いが聞こえていた。意外にも、一番巻き込まれた筈の、その人は悠々としている。元々、家督を継ぐ気もなくふらふらと家から逃げ回っていたとだけあって、何かと緩い人物ではあった。


「軒轅様は、今回どう思われていますか?」

「書類仕事が消えて幸運だと考えてる」


 その表情は燼からは見えなかったが、きっと得意げなのだろう。燼としては、真面目に聞いたつもりだった。が、当の軒轅はと言うと楽観的だ。鸚史を見習ってそう振る舞っている様にも見えるが、実の所は判らない。

 ただ、文官の仕事と業魔討伐を両立させてはいるが、会う度に疲れたとうんざりした顔を見せる風鸚史の顔を思い出すと、燼も自然と笑いが口から漏れていた。


「帰ったら、仕事を押し付けられるんじゃないですか?」

「そうなんだよ。多分嫌になる程押し付けてくる。しかも、『これもお前の為だ』とか適当な事言うんだ」


 さも、未来が決定しているとでも言う様に、軒轅は茶化して話す。しかしその言葉から鸚史の姿が想像出来そうで、燼はつい楽しくなって笑ってしまった。


「鸚史様なら言いそうですね」

「……だから、さっさと終わらせて帰ろう。嫌なんだろ、この仕事」


 言い当てられた。燼の口からは、思わず渇いた笑いが溢れていた。

 

「あはは……顔に出てましたか?」

「まぁ、分かり易いよ。それでも、神子様の言葉にも阿孫様の言葉にも反応したいから祝融様に態とらしく頭下げたんだろ?」

「……だって、の場合、それを示しておけば、俺が仕えている方は祝融様だって、はっきり言える」

「(それって……)」


 神子は、神の子。その神子が人に頭を垂れる。

 しかもそれは、皇帝でも、ましてや神でも無い。


 軒轅は思わず深く考え込んでしまった。燼が神子である事は伏せられたままだから、燼は何気無く言っているだけだろう。それでも、事は想像以上に複雑だ。

 神子は皇帝に頭を垂れる必要は無い。皇帝と同等の権威ある存在であり、神の子が人に頭を垂れるなどあってはならないのだ。今は、羅燼と言う個人に過ぎず、その行動は礼儀作法でしかないだろう。

 だがもし、周りに神子であると露呈した場合、燼の一挙一動は注目される事になる。

 新たな形の神子。

 その神子が、たかだか皇孫の一人に――


「軒轅様、そろそろです」


 燼の声に、軒轅は我に返った。燼のそろそろは目的の地も近いと言うのもあるのだろうが、何かを感じるのだろう。燼に習い軒轅は感覚を研ぎ澄ますも、何も感じない。


「(やはり、燼だけか?)」


 軒轅は然りげ無く、背後へと目をやった。

 蒼龍の背に乗る、もう一人の神子、華林。

 だがどうにも、神子というのは顔が判りづらいらしい。


「(よく考えたら、神子の顔をまじまじ見てしまった)」


 普段、神子とは思えない神子と接する機会がある為、白銀の神子という存在が疎かになっていた。意識をすると、その顔を見た事が悪行にも思える程。信仰を試されているのだとしても、今回ばかりは顔を見なければ仕事にもならないのだから、仕方がないのだが。

 そうこうしているうちに、背後から蒼龍が近付いていた。軒轅の隣に並び、華林が燼と顔を見合わせる。


「羅燼、感じますか」

「えぇ、崑崙山と同じです」


 二人の目に映る世界は、正に暗雲立ち込める――そんな言葉が似合うほどに、禍々しいものだった。中心は豊邑山山頂。燼の目は鋭く、その中心を捉えている。至って、燼と神子以外には、そこらの山々と変哲の無い景色だろう。深緑に染まる山の中には、所々に桜やその他の花々が咲き乱れ、春を告げている。曇り空でもなければ、深緑と薄紅の色合いに誰もが酔いしれる事だろう。

 そうして、三頭の龍が山頂へと辿り着くと、其々が山中へと降り立っていた。燼はひたすらに目配せするも、矢張り、足下の気配に気取られそれどころではなくなっていた。それは神子華林も同じなのか、渾々と下を見下ろしている。

 一体何がいるのだろうか。阿孫と従卒の朱浪壽ろうじゅも矢張り何も感じられないのか、軒轅遠く同じ様に二人を眺めるしかやる事が無い。

 その中で、二人だけの顔が険しい。神子華林は外套を深く被っているので、恐らくそんな顔だろうと予測にも近いが、燼に至っては真剣そのものだった。

 深緑の静かな森。そう言えば聞こえは良いが、陰の気配を寸分も感じない聖域という場所は、静寂が物悲しく、鬱蒼とした翳りのある薄暗い森の所為で不気味だ。そんな場所で、神子二人が真剣な表情で話をすれば、漠然とした緊張だけが、軒轅の中で募っていた。


「羅燼、以前見たものと比べて如何ですか?」

「同じに見えます」

「私も同感です。これは刺激しない方が良いでしょう」


 燼は、慌てた。刺激をしてはいけない。要は、何もしないと神子華林は言っているのだ。

 

「いつ目醒めるかは……」

「既に、準備は整っている。待っているのですよ」


 その言葉で、傍で待機していた阿孫が前に出ていた。

 

「神子華林、それは聞き捨てならない。それはいつだ」

「……相手次第で、いつでも。と言った所でしょう」

 

 神子華林は、まるで誰かが故意に目覚めさせようとしていると言う。


「それは、誰だ」

「……残念ながら、お答え出来かねます」


 淡々と述べる華林に、阿孫は落ち着いてはいたものの、その口調は強く棘があった。


「知らないのではなく、答えられないというのはどういう事だ」


 皇族とて、神子に対して無礼を働いてはならない。神子華林の護衛官兼侍従として、そう楓杏ふうあんが立ち塞がっていた。

 

「阿孫殿下、特例の事態とは言え些か無礼が過ぎます」


 ぎろりと楓杏の目が阿孫を鋭く睨む。

 無礼なのは阿孫も承知の上だった。それでも、引くわけにはいかず、自信を押さえつける様に腕を組むと、少々口調を弱めてはいた。それでも、顔を見れば怒り冷めやらぬのは一目瞭然だ。

 

「では、お答えいただく事は可能だろうか」


 怒り治まらぬ顔を見せる阿孫に対して、神子華林の顔は涼しいままだった。


「答えは同じです。答えられないのです。恐らく、貴方の叔母である神子瑤姫も同じ事を言ったでしょう」

「では、羅燼、お前はどうなのだ」


 突如燼に話を振られるも、燼もまた冷静だった。

  

「残念ながら、俺にはそこまでの力はありません。分かっている事は、封印は安定しているという事。この封印が揺らいだ時が、刻限と思った方が良いやもしれません」


 だが、揺らぐときはいつなのか、揺らいだとしてどれだけ封印が保つのか、そしてどれだけの被害が出てしまうのか。

 阿孫が知りたいのは、そういう詳細だったのだろう。軍に所属し、彼も又、業魔と闘い命を賭ける身でもある。曖昧な事しか口にしない神子への阿孫の怒りは、最もだった。


「私が此処に来た理由は、四方封印全てに、同じ事案が発生しているかをこの目で見る為です。止める手段を探りに来たわけでは、ありません」

「止めるのは、我々の仕事か?目覚めてからか?」

「そうは言っておりません」


 先ほど、楓杏に勧告を受けたばかりだというのに、阿孫の口は止まらなかった。強気でもあり、彼は彼なりの正義心で此処にいる。それを思うと、燼の目には、その姿が主人と重なっていた。

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