二
皇宮 清白の間
六つの椅子がある。
その椅子は、清白の間の中心に置かれている円卓を囲っていた。玉座程では無いにしろ、黒漆の光沢極まるそれは、細やかに彫られた細工と金飾りが円卓と椅子どちらにもあしらわれている。それは、その間に集う者達の為だけに用意されたものだ。
その品格、その位が、この国の最高位であると共に、神の眷属としてその血に神血を賜り取り込んだ者達でもある。その血は人血と交わり脈々と受け継がれながらも、自らがその受け継いだ血の頂点であると示し続けていく。
そして今、その椅子に六人の神にも近い者達が腰掛けていた。顔を見合わせ世間話をするのなら愉快だろうが、その顔は皆、神妙だ。
集まった六人は、六仙と呼ばれ、その仙と言う言葉こそが神に程近いと示している。
六仙の前では、皇族としての血は意味をなさない。神の代理人として君臨する六名に頭を垂れる必要が無い者は、神か神子だけだ。
「神農、
面々の顔を眺めている事に飽きたのか、西王母が口を開いた。眩く輝き一つに纏めた黒髪を揺らし、麗しい顔に肘を当て、いかにもつまらないと言う顔を見せる。そんな顔とは裏腹に、話す言葉は慎重だ。
西王母の言葉を皮切りに、白髪白髭の好々爺然とした老人姿の一人、道徳天尊が口を開いた。
「此処に来てか……影響は避けられんな」
そう言って、道徳天尊は神農を見た。玉座と変わらず、峻厳たる表情を見せる男は、ゆっくりと重たい口を開く。
「
神農の表情に機微は無い。
長子であり、太尉を務める老齢の
人は、老いる。例え、不死だろうと、寿命が無いだけで死が無い訳ではない。取り分け、右丞相の妻、
祝融と静瑛どちらもが、手傷を負って皇都に戻る事は無いが、それでも、二人が無事に戻り顔を見せる度に安堵していた。安堵はしても、安らぎはほんの一瞬で、息子達は再び死地へと赴く。それを止める事は出来ないし、権限も無い。無力感ばかりが募り、心労は絶えない。
「息子二人に使命が降るとは栄誉な事だ。それが受け入れられんなら、初めから弱い者を妻としてしまったと諦めるしかあるまい」
そう言ったのは、初老姿の男、霊宝天尊だった。道を説く男ではあるが、それ故に、人の命は流れだという節がある。少々、心の欠けた言葉に西王母は口元を扇子で隠しながらも、睨みを利かせていた。
「男に母の想いも痛みもは理解出来ぬ」
「その想い一つで、不死は死ぬのだ」
特に不死は、その精神が死へと直結する。
物々しい雰囲気が更なる暗転へと転がりかけた頃、中年だがその美麗を残したままの顔立ちを僅かに上げ、東王父がボソリと呟いた。
「
二人の形相を無視した言葉に、神農は頷いた。
「事実だ。神子王扈が夢を見た」
「始末は誰が?」
「風家次期当主だ」
「……次は風家……では無かろうな。そうなれば手に負えん」
神農と東王父の会話にそれまで黙っていた、もう一人の初老の男、元始天尊が口を挟んだ。目つきは鋭く、神農を向いている。
「風家の長男はどうした。可能性があろう。いつまで幽閉を続ける気だ?」
謀反を起こした風家長子は永く、風家により幽閉となっていた。その場所を知るのは、父親である左丞相ただ一人。
「既に左丞相自らの手で始末した。遺恨は残さん」
「まさか左丞相まで澱む可能性はあるまいな」
「あれは、冷酷だ。目的の為に自ら後継を死地へと追いやる精神を持つ」
「……では、残るは……」
全ての目が神農を見た。
「時は近い」
清白という言葉とは程遠い、重々しい空気が淀めく。迫り来る時は、直ぐそこだ。
――
――
――
皇宮 第二皇子宮
外宮よりも規模が大きなそこは、厳重に兵士が並ぶ。居宮迄を洗朱色の柱と石畳が道を作り目的の場所へと案内するが、それが外宮とは違った雰囲気を醸し出していた。重苦しい空気を感じながら、槐は共を連れ、皇子桂枝の居宮へと向かっていた。皇孫の妻だからと安易に入れる場所でもなく、事前に許可がいる。特に、今は禹姫の容態が芳しく無い為、より皇宮側が慎重になっている。面会が限られる中で、槐は祝融の妻として面会が許可された一人でもあった。
居宮内へと通され、宮の奥深くの寝所へと案内されると、そこには老婆姿の禹姫がやつれた顔を見せていた。不死は心身ともに衰え、その自らの姿を死に際に隠そうとする。老いる事を恥と考え、自らが美しかった頃を思い出すのだ。
心の病は、薬学に長けた姜一族と言えど、治せない。不死にとっては、精神の衰弱は不治の病も同然だった。
禹姫は寝台に腰掛け、鏡を眺めていた。燻んだ鏡には、何も写ってなどいない。力の無い虚な目に映るは、虚構か幻覚か。
槐は只管に禹姫が反応するのを待っていた。寝所に通されはしたものの、部屋の主は槐に何の許可も与えない。許可がなければ、近づく事も備え付けられた椅子に座る事も出来ない。心の病は相手に合わせるしかない。今ある禹姫の世界が、禹姫自身を守る盾でもある。そこへ勝手に入ったとなれば、禹姫の心はより揺らぐだろう。
槐は、入口近くで待つしかなかった。
どれくらい待った頃か、禹姫の口がボソボソと動いた。
「……槐、来たのね」
鏡からは目を離さず、暗い顔のままだ。息子嫁が会いにきて喜ぶ様子もないままに、口は動き続けた。
「あの子達は、いつ会いにきてくれるのかしら……」
呆然と放った言葉に槐は静かに返した。
「今は春ですので、暫くは皇都へは帰れないと伺っております」
「……そうなのね」
口では納得していたが、不満があるのか、ボソボソと呟き続けている。
何故、母を想って会いに来ないのか。何故、私だけがこんなにも苦しまねばならないのか。何故、自分の息子だけが遠くに追いやられるのか。何故、
段々と、目が鏡からは逸れると共に、顔色は沈んでいく。心は乱れ、部屋の中で待機していた侍女の一人が槐に近づいた。
「今日はもう無理でしょう、お引き取りください」
「では、見舞いの品だけ……祝融様からと」
槐の背後で同じく待っていた、侍女桂玉が小さな桐箱を手渡した。
「……また来ます」
開け放たれた扉と共に、槐は歩き出した。同じ道を辿り、歩いて行くと、向かいから一人の官吏が此方に向かって歩いていた。遠目では分からぬも、それが近づくに連れ。槐は足を止め、道を開けると頭を下げた。共をしていた者達も、慌てて槐に続く。
その官吏は槐の前で歩みを止めた。顔を上げる様に許可を出せば、槐は顔を上げ、その官吏を見た。
槐の義父に当たる、皇子桂枝。
桂枝もまた、やつれた顔を見せ、その顔は日に日に老いているという噂が出回る程だった。ほんの少しまで、二人共に若い姿を保ち、鴛鴦夫婦と誰しもが憧れた夫婦の形があったはずだが、今の二人にその面影は無い。
「
「左様にございます」
「様子はどうだった」
そう語る姿は、僅かな変化を求めている様。右丞相としての立場もあるため、何時も共にいるのは無理だ。何かをきっかけに、快方へ向かえば、そう期待している様にも見えた。
「時間は僅かでした。祝融様や静瑛様にお会いしたいと」
「そうか……」
それも、右丞相の悩みの種だろう。息子達も母を心配していないわけでは無い。ただ、優先させるのは使命だという事だ。だが、今の禹姫には、それが理解出来ない。
「どちらかでも、皇宮に居てくれたら良いのだが……」
それは、禹姫の夫としての言葉だったが、祝融を支える右丞相の立場としては失言だった。
「すまん、今のは忘れてくれ。引き留めて悪かったな」
「いえ、禹姫様の一日も早い回復を心より祈っております」
その言葉に、桂枝が「あぁ」と呟くと、自身の宮へと向かって桂枝は歩き出した。槐は暫くそれを見届けると、自身も、家へと向かって行く。
空気は重々しい。皇宮の本城に近づけば近づく程に、その重みが現実となって降り注ぐ。ドロドロと澱んだ空気が目に見えるようで、薄気味悪い。
そんな胸騒ぎにも近い感覚が、槐の中に生まれ始めている。
嫌な予感がする。
槐は、歩きながらも目線を空へと上げた。遠い、何処かの空にいる夫の安全を祈って。
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