藍省 山中


 穏やかな気候、空を飛ぶには最適で、山々は春爛漫と桜が咲き乱れている為絶景だ。それもこれも仕事柄国中を飛び回っているからこその特権でもある。だが、観るだけだ。見るに留めて、その景色を目に焼き付ける。

 仕事はひと段落し、一度皇都へ戻る次第となっていた。というのも、祝融の母である、禹姫の状態が芳しくないとの事だった。様子を見に行った槐の話からも、容体は悪化している。祝融の顔には、これと言った変化は無いが、矢張り心配だろう。

 燼には、母がいない。だからと言って、彩華が似たような状況になれば心底心配する。違うかもしれないが、似た感情なのだろうと、勝手に納得していた。 

 そんな事を考えていた最中、燼は桜から目を逸らし、黒龍の背で立ち上がった。無意味な行動にも見えるが、燼がに気を取られた時の癖でもある。誰よりも、過敏に気配を読み取る燼が一点を見つめ、を捉えたのだ。その姿を赤龍の背に乗っていた祝融は横目で見ていた。

 

「燼、どうした」

「気配が……」


 山々しかないそこで燼は一点を見つめる。その目線の先は遥か遠く、深緑の木々があるだけだ。


「気になるものか?」

「ですが、祝融様の母君が……」


 嫌な時期に気取られてしまったと燼は焦った。折角帰る算段だったというのにと、燼が何か口にしようとするも、祝融は遮った。

 

「燼、放っておいて問題ないのか?」

「分かりません……ただ、嫌な感じがします」

「雲景、彩華、行き先を変える」   


 祝融の声で、二頭の龍の頭は燼の目線の先へと変わった。雲景と彩華には、まだそれらしい気配は感じられていないが、燼の指し示す方向へと向かっていく。


「最悪、俺と彩華だけでも……」

「何、母も理解してくれるだろう」  


 そう呟く姿は、どこか寂しい。


「それよりも、お前も気をつけろよ。怪我でもしてみろ、また絮皐が泣くぞ」


 そう言って、寂しさを紛らわすかの様に、からからと祝融は笑った。  

 実際、燼が怪我をすると、大泣きする者がいる。の様に振る舞う彼女は、普段楽天的に生きているのに、何故か燼の事となると大騒ぎする。特に、怪我をした時などは……。

 燼は、驚いた。正直、絮皐と妻になった経緯に、そう言った感情が無かったからだ。適当に、怪我をしてしまったと笑って言ったら、絮皐は気が気でない顔とでもいう様に、顔面蒼白になったかと思えば、怪我の状態を知りたがり、その度合いを見て漸く安堵したのだった。 

 妻となった女を想えば無茶はするべきでは無いが、残念ながら性分が許さない。自分程、夫として甲斐性無しもいないだろう。燼にとって自らの命程、軽いものは無いのだ。勿論、怪我をしないに越した事は無いが、死は常に隣にいる。


「(嫌な気配だ)」


 業魔とは、人から成る。心が澱み、その澱みが陰に影響されると呑み込まれ、人は人で無くなってしまう。そうなると、助ける手段は無い。

 だが、燼が感じる気配は、何かが違うと感じていた。業魔とは違う何か――


「(陰の気配が濃すぎる。これは……)」

「燼」


 祝融の低い声に、燼は正気に戻った様に腕を組み構える男を見る。


「何が見える」

「……強い陰の存在です」

    

 ドロドロとした、黒い沼の気配だ。あのねっとりとした感触が燼は嫌いだった。身体に絡みつき、何もかも絶望へと呑み込んでいく。近づくにつれ、気配は濃くなり、形となる。


 ――


 藍省 崑崙山


 その昔、宵闇の夜より生まれた異形がいた。

 それは、常夜の闇から生まれ、様々な陰から這い出ては現世に一つの形となって現れた。人の形とも、獣とも言える形になったそれは、大きな異形となって、厄災として人々を襲った。無差別に、人が多い街へと繰り出しては人を喰う。

 不死も、龍人族も、獣人族も誰も敵わず、夜の異形に腹へと収まってく。最早、絶望だった。

 よもや、誰にも止められず、この世の終わりと誰もが絶望した時だった。

 一人の男が、夜の異形へと立ち向かった。

 その男、その身に死を持たず、幾度と無く死を迎えるも、十度目の死をもって異形の首を落としたのだった。

 異形は殺されたが、その肉塊は残ってしまった。悪意を溜め込み、その影響は計り知れない。夜から生まれた異形とは何か。それらは謎に包まれたまま、肉塊は六仙によって封印され管理されたと云われている。

 そして、その死肉を封じたとされる聖域のひとつが、この崑崙山だった。安易に踏み込む事は禁じられ、管理は六仙の一人である元始天尊が担っている場所だ。

 

 確かに、此処だ。山深い木々が全てを遮断し、燼の目にすら何も映らない。それは、目の前に来ても尚、祝融に気配すら伺えない程、ひっそりとしたものだった。


「燼、本当に此処か?」

「えぇ……気配はします。何も、見えませんが……」


 祝融は上空で待機の状態で、下を眺めた。安易に踏み込んで良いものか。皇宮が管理してる地となれば、適当な理由をつければ良いが、六仙となると、大事だ。


「此処って何ですか?」

「古い聖域だ。他に四か所あるが、大昔、異形の死肉を聖域に封じ二度と目覚めぬ様にしたとか。経典にも載ってる」

「夜の?」

「そうだ」


 燼には、覚えがあった。白神の話では、それを殺したのは、無死の力を持つ者だった。


「ま、とにかく行ってみないとな。が、許可が降りるのを待つのも馬鹿らしいし……」

「祝融様、何を考えているつもりですか?」


 嫌な予感がした雲景が、慌てて口を挟む。止め様にも上空で、姿も龍のままだ。もどかしくも、現状物理的に止める事が出来るのは燼だが、恐らく止められないだろう。そうこうしている間に祝融は白玉を取り出し、志鳥が飛び出していた。


「崑崙山にて異変を感知した。許可を待つと手遅れの可能性もあり、調査を強行する」

「祝融様!?」


 志鳥が飛び立つと同時に、祝融も立ち上がった。


「さて、行くか」


 準備は出来たと、言うが早いか、祝融は雲景が待てと言う言葉を発するよりも早く龍の背から飛び降りていた。それに続き、燼も飛び降りて行く。

 一瞬思考の止まった残された赤と黒の二頭の龍は顔を見合わせる。


「行きましょう。祝融様を止められはしないのですし」

「だな、六仙の管理地など説教では済まないと言うのに……」  


 雲景がぶつぶつと呟き続けるも、仕方ないと、その姿を人へと戻し地上へと降りていった。

  

 その山は、木々が鬱蒼と茂っている為か、薄暗く、陰の影響を受けやすい筈だ。本来なら妖魔で溢れかえっていてもおかしくは無いというのに、一切の気配が感じられない。神域の様な濃い精気に満たされている訳では無いが、澄んだ空気と静寂が、妙に気味悪いと感じていた。

 祝融も、聖域に踏み込んだ事は無い様で、辺りを見回すが、ただただ深い森が広がっているだけだ。


「燼、何も感じないけど……」


 それは、雲景と彩華も同様に感じていたらしく、皆、燼を見た。

 だが、燼に声は届いていなかった。何かに集中し、下を向いている。その顔は、何かに怯え背筋を凍らせているとでも言うのか、燼の目には、映っていると言っていた。


「燼?」


 彩華が燼に近づき、その肩に手を触れると、燼の肩が跳ねる。  


「……此処、本当に聖域なのか?」


 燼の目は、地面を見つめたまま動かない。

  

「何も、感じないけど……」


 彩華も辺りを見回した。これと言って、澄んだ森だ。

 聖域は、眷属神達が封を施した場所とされている。その身の神血を使い強固な封印を施すことで、聖なる場所が作り出された。その影響か、これだけ山深い、人の手など寸分も入っていない土地だと言うのに、妖魔の一匹もいない。

 なのに、何故燼の顔色が優れないのか。


「燼、どうした」

「……祝融様も、何も感じないのですか?」

「あぁ。燼、


 燼の顔は青ざめていた。それは、神子の警告にも見える。


「……が……生まれようとしてる」


 大きな黒い影が、燼の足下で、どくんと脈打つ。胎動にも似たそれは、暗闇の胎の中で何かを待っている。

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