番外編 欲望のその先で 弍
外宮に、見知らぬ貴族から手紙が届いた。紙も上質、それらしい印象も押してあるが、見覚えが無い。
祝融を名指しし、女官も不審に思ったが、祝融は外に出る事が多い。郭家当主とも、そう言った経緯で交流がある事から、自分が知らない相手と言う可能性もある。
居間で妻と共に寛ぐ主人に、それとなく確認を取ってみるが、矢張り覚えは無いと言う。だが、祝融は一応目を通すと言って、手紙を受け取った。
読み始めるも、今一つ思い当たる節が無い様子だったが、それも途中までだった。何か思い出したかの様に、その眼差しは真剣なものへと変わっていた。
口元に手を当て、人差し指で上唇を叩く。
何か、考え込んでいるのか、悩んでいるのか。
「お知り合いでしたか?」
隣で、祝融に身を寄せていた妻の槐だったが、祝融の表情を不審に感じていた。見知らぬ者からの手紙に何を迷う事があるのだろうか。
「……知り合い、では無いな」
真剣と言うよりは、悩ましく濁った表情を見せる。どうにも、厄介事がきた様だ。
――
――
――
時は遡る。
柑省 廃村
深い夜。薙琳と燼から感じる異様な気配が消え、事が治り、妖魔も静まり返った頃。雲景の左手は魯粛の胸ぐらを掴み敵意を向けていた。楠から降りて早々に雲景に詰め寄られ、楠に押し当てられる。雲景の背後では同様に敵意を宿したままの軒轅の手は、剣に触れ警戒を見せていた。
「貴様は何者だ。答えろ」
敵意を前に、魯粛は平然と振る舞っていた。龍人族相手に物ともせず、その目は澱んでいる。
薙琳に手を貸した者がいるのは分かっていた。鈍色の龍の事もあり、どう考えても近くにいた、この男が関わっているのだろうが、目的が知れない。
「はっ、お貴族様ってのは荒っぽいんだな。俺は何もしちゃいねぇよ。リンって女に手を貸しただけだ」
その目は雲景を見たが、小馬鹿にした様に卑しく笑っている。
「俺は楽しめりゃ何でも良いのさ。例え、手を貸した相手がどうなろうともな」
「連れが巻き込まれてもか?」
雲景は怒りが湧き続けていた。魯粛は絮皐がいる方角を横目で見るも、そこからは木々が死角となり姿は見えない。暴れている様子は無いが、流石に目を覚ましたかどうかは分からない。
「気になるのか?」
「一応な、あいつがいねぇと家に帰るのに苦労するからな」
魯粛の口から出る言葉に、親しみは見えない。知り合いを思わせる言葉だが、龍との関係が不明瞭なままだった。
「それで、俺を殺すか?」
敵意はあっても、殺意は無い。それを見越した余裕か、魯粛は、笑っていた。
「別に、気に留める必要はないぜ?さっき、金龍のお方が首を落としたじゃねぇか」
「それとは話が違う」
「同じさ、ちょっと前まで、
雲景の手に、力が入った。目はより鋭く、魯粛を睨みつけている。
人と、そうで無いものの境界を、雲景は……いや、業魔を斬る者達は、線引きをする。自ら手に掛けたのは、人では無くなった者だと。
それを、魯粛は悠々と踏み躙った。
雲景は思わず右手の拳を高く上げ、その頬にのめり込ませていた。
「雲景氏!!」
二発目を振りかざそうとした瞬間に、軒轅がその手を抑えていた。
敵意は、殺意に変わる。だが、剣を抜く程に理性は飛ばなかった事は救いだろう。
「離せ、軒轅。あと、二、三発殴らねば気が済まん」
「落ち着け!」
背後から、雲景を抑えるも、普段冷静な男だけに、その怒りは凄まじい。永く、永く、業魔と向き合ってきた男の、そう言った者達の覚悟を踏み躙られたのが余程、腹に据えかねたのだろう。一向に静まる気配が無い。
しかも、相手も相手で、ニヤニヤとその光景を見て笑っている。雲景の怒りが治らないのも、当然だった。
軒轅が抑えきれずに、そのまま殴りかかりそうになった、その時。
「雲景!何をしている!!」
恫喝にも近い怒号が鳴り響いた。その声に、雲景の動きがぴたりと止まる。魯粛のにやけ面は消え、その目は声の主へと向いていた。
「(あれは……炎の……)」
祝融の目には怒りが宿っていた。
「雲景、手を離せ」
怒り冷めやらぬ拳を、雲景はゆっくりと下ろしていた。荒く、魯粛を離すも、俯き表情は見えない。
「……その男の連れの様子を見てきます」
そう言うや否や、絮皐がいる方へと向かっていった。
「あー……いってえなぁ」
殴られた左頬を摩りながら、魯粛は祝融を見た。雲景が立ち去った今も、その目に怒りは残ったままだ。
「なんで止めたよ、放っておきゃ良かったじゃねぇか」
「従者の非礼は詫びる。
口では詫びを入れているが、その目の怒りは本物だった。今にも剣を抜き、首と胴が斬り離されるのかとすら思える殺意に、魯粛は思わず身震いを起こしていた。
祝融は雲景の行動を咎めたのは怒りに任せる行動など高位身分を賜ったものとして、あってはならないといのもあるが、言葉に乗せられ是非の改もせずに行動を起こしたからだ。
だから、その目が言っていた。言わねば、容赦はしないと。自ら手を汚すのも辞さない。
雲景の様に、近寄りはせず、一定の距離を保つ。適当な木に背を預け、余裕を見せる。その手は剣に触れていないが、今も鋒は魯粛の喉元に当てられている気分が続いていた。
「それで、何者だ?」
先ほどの様な、怒気は無いが、冷淡な物言いだった。
「只の情報屋さ」
流石に、魯粛も祝融の殺意を前に口を開いた。
「龍を連れた……か?」
「あれは妹でな。別に無理矢理、
その瞬間に、祝融だけでなく、魯粛の側で警戒していた、軒轅も反応し眉が動いていた。
「妹だと?」
「腹違いのな。で、そんな事が聞きたいのか?」
明らかに、魯粛は話を逸らした。が、確かに、龍が何者かなど、今は大きな問題では無かった。
「どうやって此処に辿り着いた」
「あんたも、似たような手を使ったんだろ?
魯粛は、全てを
「お前も、夢見か?」
「遠からずだな、確かに、まだ
面倒な言い回しだった。どうにも、魯粛の態度は余裕のままだ。殺されないと分かっているのか、それとも、殺される事を何とも思っていないのか。
祝融は腕を組み、右手の指で左腕を叩いている。
「俺は異能を持ってねぇ、そもそも只人だしな。良く聞こえる耳を常夜の連中に貰っただけさ。詳しく知りたきゃ巫か、お連れに聞きな。俺より詳しいだろうよ」
平たく言えば、魯粛も常夜に詳しくは無い。夢の延長線の先にある何か。その程度だ。
そして、魯粛は力を手に入れる時も深くは考えなかった。貪欲な迄に知識を、情報を、多くの話をその身に集めたい。何かを知る事が、何よりの愉悦だった。
欲望に生きる男は、自らの欲望の為に、あっさりと肉親の魂を鬼に渡し力を手に入れた。その力は悍ましく、常夜の声を
その力は今、魯粛の手から離れつつあるのだが。
「リンに関しては残念だったな、悪い奴じゃ無かった」
そう言った目に、感情は篭っておらず、後悔は無い。実に腹立たしい。この男さえ協力していなければ……そんな思考が祝融に浮かんでいた。
「そう思うなら、何故連れてきた」
「この目で
魯粛の目に浮かんだのは愉悦だった。悪びれる様子も無く、ただただ、愉しげだ。ニヤリと笑い、満足だったと話す。
その様子が、祝融を苛立たせた。腕を鳴らしていた指が速くなる。その苛つきは、傍にいた軒轅にも伝わっていた。
「……
魯粛の口に端は吊り上がり、更なる愉楽を見せていた。
「あぁ、人が業魔になる様を、この目で見てみたかった」
その瞬間、辺りに熱気が広がった。草木が萎れ、祝融が居る側から枯れていく。その顔は翳り、殺意で満たされている。手出しをしない為か、腕は組んだまま微動だにしない。
魯粛の身体は血が沸騰するかと思える程に熱く、身体中から汗が噴き出していた。目の前の男の仕業とは分かるが、拷問にも近いそれに、根を上げそうだった。
「(聖人かと思ってたが……)」
憤怒を見せるのも当然だろう。魯粛も、
憤怒故もあるだろうが、その痛みには警告も含まれている。
次第に魯粛の身体はふらつき、視界が輪郭を得なくなってきた。意識を失う既の所で、突如、その熱は止まった。
「魯粛!」
霞んだ目に飛び込んだのは、絮皐の髪だった。魯粛の目の前で、祝融から庇う様に手を広げ立ちはだかる。
「殺さないで」
年相応の話し方では無いが、祝融の憤怒を前にしても怯えはしない。
「……絮皐、邪魔だ。下がってろ」
「リンの事に怒ってるんでしょ?魯粛は何もしてない。リンが望むままにしただけ」
よく見れば、辺りは囲まれていた。主人たる男を中心に、赤龍、黒龍、金龍と贅沢な面々が揃い踏みと言ったところか。熱は消え、身体の調子も戻りつつあるが、あっという間に回復とはいかない。
それは絮皐も同じだった。未だ、痛みが残っているのか、額から冷や汗が滲んでいる。その目は、魯粛と違って濁りも無く、澄んだものだった。
「殺しはしない」
絮皐の目を見たからなのか、既に祝融の目からは殺意も怒気も消えている。懐を探り、小さな巾着を出したかと思うと、一包の薬を取り出した。紙に包まれ、中身は何とも分からない。
「絮皐と言ったか、怪我を負っているな。これは痛み止めだ。後で飲むと良い」
そう言って薬を手渡すと、三人の龍を引き連れ祝融は去って行った。
――
――
――
あの時の印象は最悪な男だった。が、その最悪の印象の男とは同一人物とは思えない手紙を前に、祝融は唸っていた。
『皇孫姜祝融殿下であらせられるとは、存じておりました。此度、手紙を認めたのは、折り入ってお願い申し上げたい事があるからに御座います。
我が妹は、人と人から生まれた子に御座いますが、生まれた時より龍の姿をしておりました。生まれて一日も経てば、人に戻り、人として生きておりましたが、七つになったその日、右目だけが金色に変化したのです。
異形を恐れた父により殺されかけましたが、都合良く火傷の影響で金の瞳は隠れ、白色化しておりますが、紛れもなく龍の姿を持つ子に御座います。
さて、此度、この様な文を認めたるは、妹を匿って頂きたく御手紙をお送りした次第に御座います。此方の都合ばかりで、殿下に関わりのない事とは承知しております。ですが、龍の子をこれ以上私の手許に置いておく事が極めて困難な状況になり申したために御座います。
これまで私に有益だった力が、私に、囁くのです。龍を、妹を殺せと。真っ当な意識のある内に、龍を人として扱って頂ける方を探すのは無理でしょう。教育は行き届いておらず、読み書き程度の教養しか御座いません。
もし、その御心に僅かばかりの余裕が有れば、妹に向けて頂きたく存じます。
場所は――……
そして、この手紙を最後に私は、命を絶つ所存でございます。もし、妹へ関心を向けていただける次第となったならば、二通目の手紙を渡して頂きたくお願い申し上げ候』
長く、荒くれ者とは思えぬ手紙に、祝融は頭を悩ませるだけだった。手紙の最後を見れば、男は既に存命していない事になっている。貴族を騙り、態々皇宮まで手紙を届けた男に賞賛を送りたいところだが、それとこれとでは、話は別だった。
「祝融様?」
深刻とまではいかないが、全くの赤の他人とは言え、良心を疼かせる内容だ。
祝融は、隣で心配気な顔を向ける槐を見た。
「……俺はどうするべきかな。赤の他人にも近い男に、妹を助けてほしいと頼まれた。しかも、その妹は大きな問題を抱えている」
槐は考える素振りも見せず、淡々と返した。
「助けるには値しない者ですか?」
「妹は分からないな。兄の方は違ったが」
「ですが、妹への愛情はあったのでしょう?」
事件の後、雲景や軒轅に聞いた話では、妹に対して何の感情も持っていない様にしか見えなかったと言う。男の人物像がはっきりとわからないが、手紙の中の男は、妹の将来を心底心配する兄だ。
「……そうなるな」
「祝融様、手紙を読んだが最後です。何もしなければ、後悔だけが残ります。会ってみるだけでも良いのでは?」
後悔。その言葉が、祝融にも響いた。神子王扈から、燼が最初に受けた言葉だ。
「……確かにな……槐、数日出かけてくる」
もう時期、妖魔が蠢き出す。その前に、面倒ごとは片付けなければ……。
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