番外編 欲望のその先で 壱

 只管に本を読む事が好きだった。

 騒がしい事がなによりも嫌いだった。

 一人で真っ暗な蔵の中、蝋燭に灯りだけを頼りに本を読む。その子供の年頃では、暗闇とは怖がるものだが、その子供は違った。

 静かで物音もしないその蔵が、一等好きな場所だった。

 文字を読み理解できる。本を読める。好きなだけ蝋燭を使える。それが贅沢だと知ったのは、もう少しばかり歳が上がってからだった。

 自分の立場も考えず、当たり前の様に好き勝手に生きる。それが、その子供の父親であるりょう羅芯らしんの頭を悩ませる事になっていた。

 

 子供の名は、梁魯粛ろしゅくと言った。商家である梁家の跡取りとして生まれ、読み書きを習い始めるとあっという間に覚えてしまい、その秀才ぶりに周りの期待は高まった。簡単な算術まで容易にこなすものだから、商家の跡取りよりも、皇都か省都の太学たいがく(高等教育機関)に行かせるべきでは。そんな声も親族から上がる程だった。

 太学は、庶民から優秀な人材を見つける場としても知られる。優秀な成績さえ収めれば授業料と寮費は免除され、更には官僚への道も開かれると言う。そこらの壮塾そうじゅく(手習塾の様な庶民の為の学校)とは比にもならない教育が受けられる場として、貴族に加われぬ庶民からすれば、夢の様な話だ。その代わりに入学試験の難易度は高く、壮塾からの推薦状は必須で、算術、儒学、神学と、ある程度の礼儀作法が必要である為、そこらの平民では入学すらままならないと聞く。

 子が官吏として働く様になれば、家としては箔がつく。梁家を取りまとめる魯粛の父は、周りの親族に乗せられるままに、息子の将来に思いを馳せた。取らぬ狸の皮算用とはこの事だが、子供の優秀さを思えば、そんな夢を見るのも仕方のない事だったのかもしれない。

 だが、物事は思いもよらぬ方向へと転がった。

 魯粛は、本を読む事を好んだ。それ自体は問題は無かったのだが、朝も昼も夜も、ただただ読み耽る。その本は、神学から儒学、薬学、経典に経典解説。神話、物語、更には娯楽文学にまで手を出す始末。

 父親は、魯粛が望むままに欲しがるものを与えたが、それが異常と考える様になったのは、暫くしてからの事だった。

 

 魯粛が十にもなると、本格的に跡取りとしての素質も見なければならなくなった。将来、官吏になるかどうかは、素質を見極めてからでも遅くは無いと考えての事だった。

 梁家は、高級茶館や酒楼を二代に渡って営んでいた。菫省きんしょうに居を構え、貴族相手に商売を行う、商家としては類稀なる成功を収めた家だ。だからだろうか、羅芯は魯粛に期待しか抱かなかった。家に更なる繁栄をもたらす子。そう期待して、跡取り教育を始めたのだった……が。

 それまで、本を読み耽る事に熱心だった子供は、矢張り、本を読む事にしか興味を抱かなかったのだ。何を教えようにも興味を抱かず、それどころか覚える素振りも見せない。

 読み書きや知識を蓄える事には熱心でも、商売となると、寸分の興味も持たなかった。

 思い通りにならない子供に、周りの期待の目は次第に薄れ、羅芯だけが焦っていた。何せ、一人息子だ。本当に皇都にでも送って、太学に通わせた方が実りがあるとすら考える様になっていた。妻は、産後に些細な病に罹り帰らぬ人となっており、他に子供もいない。思い悩むも、魯粛には何を期待するのも無駄に思えていた。蔵に閉じこもるまでになってしまったのもあり、羅芯は後妻を娶る事に決めたのだった。


 そうして、見つけた女は異邦人の血を継いでいるのではと噂された者だった。外界から来た者は、色素が薄い者が多く、その血を継いでいると黒い髪色では無く、赤茶や金と言った龍人族の様な特徴になると噂があった。瞳の色も、青や緑、時には金に近い色すらあるのだと言う。

 その噂通りか、その女の髪色は、赤みを帯びた茶色、金にも近い瞳の色と、器量の良さで、龍人の子とまで噂されるほどだった。

 女は親を知らず孤児院で育った事以外は至って普通の女だった。異国の言葉を知っている訳でも無く、ただただ、髪色を揶揄われて生きてきたのだと言う。

 偶々、梁家の下働きとして働いているところが目に止まっただけだったが、その器量に羅芯は妻として迎える事を決めたのだった。

 祝言を上げ、女が懐妊すると、魯粛は益々蔵に籠るようになった。本を読み耽り、新たな本と蝋燭を強請るぐらいで特に目立つような事もしない。いっそ、そうやって暗がりで生きてくれた方が、悪い噂が立たずに済む。そう考えると羅芯は新たな家族に愛情を注ぎ、魯粛を視界にすら入れなくなっていた。

 

 そして、また月日が経った。

 女が産気づいた。産婆が呼ばれ、家は緊張と祝福との二重で大忙しだった。男であれば跡取り、女であっても、羅芯は新たな家族を喜ぶだけだ。

 無事生まれてきてくれたなら……そう願い続け、そして……


「キャアアァァ!!!」

 

 悲鳴が家中に響き渡った。妻の声とは違う女の声。それを皮切りに、祈る羅芯の下に下女が駆け込んできた。


「旦那様!奥様が!!」


 この世のもので無いものでも見たかの様に、下女の顔は青ざめていた。息を切らし、カタカタと歯を鳴らしている。何があったか聞こうとしても、取り敢えず見て欲しいというだけだった。

 羅芯は焦った。妻に何かあったのか、それとも生まれた子供に何かあったのか。慌てて、目的の部屋へと駆け込んだ。

 そして、羅芯の目に映った光景は、惨劇そのものだった。

 産婆は気絶し、妻の腹は裂かれ絶命していた。血飛沫で、部屋は赤色に染まる中に立ち竦んでいる魯粛。その腕に抱えられていたのは、小さな龍だった。


「ろ……魯粛……お前が抱えているものは……何だ?」


 血濡れて産声も上げないそれが、腹から出てきたものと主張するかの如く、魯粛はあやす様にそっと腕に抱く。


「……父さん、女の子だ……抱いてやらないのか?」


 息子が話す姿は、久しぶりだった。その口から出る言葉の意味が理解出来ないまま、羅芯はその場で腰を抜かし、惨劇を目に焼き付けたまま呆然とするしか無かった。


 ――

 ――

 ――


 緑省 省都ワノエ


 ザアザアと、雨音が激しく響いた。

 殺風景な部屋の狭い寝台の上、魯粛は煩い雨音にむくりと身を起こす。欠伸をしながら、寝台を出ようとすると、背後から伸びた手が魯粛を引き留めていた。


「帰るの?」


 その声で魯粛が振り返ると、裸の女が薄い布に包まったまま、艶のある表情を向けている。冬は終わりにも近いが、薄布一枚では寒いのだろう、消えた体温を追った手が魯粛を寝台へと戻そうとしていた。

 良い女、珍しく当たりを引いたと思える娼婦だった。女の方は、追加で金が欲しいのか、寒さを紛らわせたいだけかは、よく分からない。


「雨がうるせぇからな、帰って酒でも飲む」


 魯粛は女の手を解くと、服を身につけていく。そんな中でも、女の目は魯粛を捉えたままだった。


「酷い雨よ?雨が気になるなら、もう一回する?」


 色気のある声と転がる肢体に心惹たが、今ひとつ興が乗らない。魯粛は一瞥もする事もなく、女の部屋を後にした。

  

 雨が降る中、魯粛は暗闇を歩いた。薄暗い路地裏も、流石に静寂に包まれる時間帯だが、その全てが雨音に呑まれている。雨音は次第に強くなり、魯粛の視界を遮るまでになっていた。それでも、魯粛は真っ直ぐに自分の家へと歩いていた。

 雨が降っている日は、本を読むに限る。に邪魔されずに済む。

 そうして、しばらく歩くと、裏通りの端の店に辿り着く。店と言っても、営業はしていない。そもそも、店主が外をうろつき回って不在ばかりだ。今も、灯りも無い店の中に足を踏み入れると、がらんとした店の中は静まり返っている。だが、店の最奥、いつもは魯粛が占領している椅子に膝を抱え縮こまる影があった。

 その姿は、魯粛の目にはっきりと映っていた。影は、店の戸が開くと同時に顔を上げ、何も言わず、魯粛をじっと見つめる。だが魯粛は、その影を無視して、影の直ぐ横にある階段を登ろうとしたが、影から手が伸び魯粛の衣の裾を掴んで引き留めていた。


「……何で、無視するの」


 か細く声を発したのは、絮皐じょこうだった。袖を指先で摘み、甘えている仕草にも見えるが、その顔は憔悴しきっている。そんな顔を見ても尚、魯粛は舌打ちをすると、絮皐に向けて冷然たる言葉を向けていた。

 

「出て行けって言っただろ、いつまで居座るつもりだ?」

「行かない!魯粛がいないと、どうすれば良いのか……わかんない……」

「適当に女の所にでも居座りゃ良いだろ、帰ってくんじゃねえよ。良いかげん、目障りだ」

 

 その目は、冷酷そのものだった。

 、薙琳と別れを済ませ、家に帰ってからというもの、魯粛は絮皐を何度も追い出そうとした。理由は一つ。「不要になった」と言っただけだった。

 追い出すと言っても、絮皐が自らの足で出ていくぐらいの手段しか無いわけだが、魯粛はそれを待っている。ただ、絮皐は、魯粛と離れる気が無かった。別に不要と言われても構わない。


「あたし、何かした?前回へまして怪我したけど……龍人族に見られたのが駄目だった?」


 絮皐に余裕は無かった。今にも泣きそうな顔に、声も引き攣っている。いつも、減らず口を叩き、節操無しと言われるほどに自堕落に生きているにも関わらず、魯粛が自らを不要と言った瞬間に、その目は光を失った。魯粛に、捨てないでと嘆き縋り付く。

 また、昔に戻る。魯粛が、自分に無関心になってしまう。それが、何よりも怖かった。

 

「あぁ、お陰でお偉い方に目を付けられた上に、龍になるなとまで命じられちまった。いっその事、お前を貴族にでも売るかな。手っ取り早そうだ」


 心無い言葉を向けられるも、「あぁ、それが魯粛の望みなら、仕方がない」と、納得した様に、絮皐は頷く。

 

「それで、魯粛の気が治るなら、良いよ」


 嘘も、嫌味も通じない。魯粛は溜息しか出なかった。


「馬鹿か、で売れるかよ。手間賃の無駄だ」


 絮皐の右目を指差す。晒したままになっている顔の右半分は、火傷の跡が広がっている。右目は白色化し、痛々しい。


「……ごめん」


 火傷を負った経緯は、絮皐もよく覚えている。何一つとして、絮皐に負い目がないのにも関わらず、只管に冷淡な魯粛の姿に謝る事しか出来なかった。

 子供の頃、絮皐が父親に向けられた目と魯粛の姿でも重なっているのか、怯えて縮こまる。その姿に、魯粛は再び溜息を吐いた。

  

「めんどくせぇ」


 そう言うと、魯粛は乱暴に手を振り払い、二階へと向かった。

 階下から、扉が開く音はしない。いや、もしかしたら雨で聞こえないだけかもしれない。


「(とっとと出てけ、じゃねぇと――)」


 胸が、騒ついた。嫌な過去の記憶が蘇り、絮皐の顔を見たからか、また疼き始めてしまった。

 日々、絮皐を痛めつける父親の姿。そして、時折それを見て見ぬふりして横を通り過ぎる、自分自身の姿。

 何度も、何度も、「ごめんなさい」と、父親に謝る絮皐は幼く、七つになったばかりだった。父親が何をしようが、絮皐がどうなろうが、魯粛は興味が無かった。本を読む事を邪魔されないのであれば、他は全てどうでも良かったのだ。


「(喉が……渇く……)」


 喉を抑え、慌てる様に寝台横に置いてある酒に手を伸ばし、栓を外すとそのまま口へと流し込む。


「(帰ってくるんじゃ無かった)」


 が紛れる日を狙って、寝台横に置いてある読もうと買っておいた本に目をやるも、気が乗らない上に、雨が弱まってきた。今更、女の所に戻っても、部屋へ入れてはくれないだろう。

 魯粛は、濡れた服を適当に脱ぎ捨て、乾いた衣に着替えると、寝台へと倒れ込んだ。

 既に、ざわざわと少しづつがざわつき始めていた。


「早く、龍を喰っちまえ」

「父親の続きをすれば良い。右の次は、左だろ?」

「それとも一思いに殺してやるか?龍は死後に姿は残さない。誰にも知られる事は無いから安心すれば良い」


 声は、陰からの囁きではなくなった。そばにいるかの様に鳴り響く声は、耳を塞いでも耳元で語り続ける。妹を、龍を殺せと。

 あの日、考えてしまった。絮皐が死んだら、自分は何を思うかを。

 今も、答えは出ていない。

 だがもう、時間はあまりない。

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