番外編 続・交わる赤と黒 弍
彩華は、皇都でも一際赤く染まった楼閣を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。
八大貴族には該当しない家の筈だが、その家家に勝るとも劣らない敷地が目の前に広がっていた。
朱色の門を抜け、冬色に染まった庭園が広がり、門から見えた楼閣は遥か彼方だ。小領主の家など、ものともしない物々しい明媚な庭園は、皇宮の一角すら思わせる。
古くより、姜家に仕える道を選んだと言うのに、決して謙って生きていない。姜家の『馬』とすら揶揄される彼らは、その血に仕える事を誇りとしていた。
「(殆ど、玄家の本邸と変わらない敷地ですね……)」
朱家が持つ領地は、丹省の一角に過ぎないという。小領地の領主として分家が治め、殆どは皇宮か丹の紅砒城で、武官や文官として務めている。皇帝の身辺警護を司る
奥に進めば進むほどに、赤髪の者達ばかりになる。そうなると、黒龍族の彩華に目線が集まった。人に注目される機会が少なく得意でもない為、ひたすら目線を合わせない様にと、前だけを見る。嫌な目線ではないが、口元を隠し、ひそひそと小声で話を様を見ると、歓迎されていない空気だけが、どんよりと漂っていた。
「彩華、あまり気にするな。放蕩者が帰ってきたと言っているだけやもしれん」
彩華の目線で気づいたのか、雲景は汗ばむ彩華の手を握ると、そのまま手を引いた。
普段ならば、彩華は動きやすい男装にも近い軽装を好んだが、今日ばかりは流石に朱家の邸宅を訪れるとあって、裾の長い
女性らしい姿を雲景と燼が褒めてくれたものだから、少しばかり浮足だったが、手を引かれる今は、少しばかり照れ臭い。
「終わったら、茶館にでも行こう。そう言った格好は暫くしてくれないだろうし」
緊張を解しての発言か、はたまた惜しんでいるだけか。
「……これからは、休みの時ぐらいは着ますよ」
照れながらも、彩華が返した言葉に、雲景は静かに微笑んでいた。
それから、漸くたどり着いた本邸の入り口で待ち構えていたのは、見覚えのある男だった。
「飛唱様?」
雲景のまた従兄弟にあたる、その男は不機嫌な様子で溜息を吐いた。しっかりと目に映った二人の姿に加え、しっかりと雲景が彩華の手を引いている姿は、はっきりと二人の関係を表している。
「……何でいる」
余計な事を口走ってくれた恨みか、その口調は太々しい。
「自分の家に居て何が悪い」
そう、飛唱は朱家直系の子息だ。年頃が近いという理由で、静瑛に付いているが、本来ならば雲景よりも後継としての順位は上の筈だ。
「雲景、良いのか?」
「後悔しないからこそ、ここに居る」
迷いの無い眼差しに、飛唱は再び息を吐く。
「彩華は良いのか?前にあった玄家の方がよっぽど良い話だぞ」
その話に、雲景の顔が曇る。今更の話だったが、どうにも先方も未だ未婚らしい。が、矢張り彩華にも迷いは無かった。
「私も、後悔したくは無いですから」
清々しい顔で、答える彩華。化粧も相まってか、妙に女らしい。普段も、そこまで男らしいわけでもないが、武器を構え勇ましい姿ばかり見ていただけに、全くの別人だった。
「……そっか、なら良いんだ。まあ、頑張れよ」
そう言って、飛唱はひらひらと手を振ると、庭園の方角へと歩いて行ってしまった。
「お節介め」
飛唱の後ろ姿を見届け、雲景は顔を曇らせたまま毒付いた言葉を吐く。
「心配してくれたんですよ」
嗜める彩華に、雲景は再び歩み始めた。本邸の扉を開け、久しぶりの家に、雲景にも僅かな緊張が生まれていた。
――
重苦しい雰囲気。通された応接間で二人の目の前に座る朱家当主
「それで、雲景。姉上の言葉通り連れてきたのが……それか」
当主の顔は呆れていた。連れてきたのは、まさかの黒龍族。時期当主候補筆頭になる筈だった男は、真面目に皇孫殿下にお仕えしているかと思えば、その同僚と恋仲になり道を踏み外していた。
人一倍真面目で、忙しさにかまけて家に帰って来ないだけなら、どれだけ良かったか。誑かされたとして、女の髪色が赤であったなら、どれだけ良かった事か。
「お前の事は殿下より、良く尽くしてくれていると聞いている。仕事ぶりも実に優秀だと。幼い頃から、殿下に遅れを取らなかったのもお前だけだ。だから、指名したと言うのに……」
期待を裏切られた言わんばかりに、彪豪は、はあ、と態とらしい溜息を吐く。既に優秀な後継を失ったと言わんばかりに、顔色は暗い。
「それで、どうするつもりだ?」
「連れて来いと言われたから、堂々と此処に来たまでです。私は、こちらの郭彩華と夫婦になるつもりです」
その言葉に、彪豪は目頭を押さえて頭を悩ませていた。恋人らしき人物と聞いていたのにも関わらず、話が進み、夫婦と宣う。しかも決意は固く、その目は真っ直ぐ彪豪に向いている。
適当に縁談を逃れる為だけに連れてきた相手でもない事がより一層、悩みの種となった。
「同意しろと?」
「して頂かなくとも、祝言は上げます」
「道義に反する。しかもよりにもよって、
吐き捨てる言い草と共に、彪豪は鋭い目付きで彩華を見た。怯える事なく、場慣れした姿。既に永く皇孫殿下に仕えているのもあり、その姿は実直だ。
これで
「ああ、我々が
彪豪の眉がピクリと動く。
赤い馬と、黒い剣。赤い馬は朱家を指し、黒い剣は玄家を指す。誰が揶揄したか、古くから残る朱家を馬鹿にした言葉だった。表立って朱家に向ける者は居ないが、今も尚、その言葉は朱家に根深く残っている。
それ以外にも、皇帝に謙る事しか知らない痴れ者、龍人族でありながら気位の低い一族、新たな皇族が生まれると真っ先に子供を差し出す恥知らず、そんな卑下した言葉が向けられる。
影で一族に向けられる心無い言葉は幾つもある。それを雲景も知っていたが、皇宮で他人を陥れる言葉など、朱家でなくとも幾らでも投げられている。
一々気にすれば、気が滅入るだけだ。
「朱家が築き上げた地位を羨んで、入り込む余地のない者達が宣っている言葉に耳を傾ける時間など無駄です」
「それで、その築き上げた地位を地に落とす行為をすると……呆れて物も言えんな」
彪豪は再び大きな溜息を吐いた。
「お前を祝融殿下の従者から外し別の者を付けたいが、殿下がそれを許さない。外した所で、個人的にお前を雇うだろうしな。全く悩ましいものだ。お前を罰する手段が無い」
彪豪は不意に近くに座る姉を見たがxこれと言って黙って座っているだけ。
彪豪と霍雨は仲の良い
彪豪も霍雨を含む何名かと当主の座を競ったが、霍雨がその争いから離脱した事で彪豪に決まったのだった。ある日突然、神子への使命に目覚めたと適当な事を言ってのけ、今も皇軍禁軍校尉の職を辞職し神子瑤姫の護衛官を務め続けている。
「姉上は、どうお考えで?」
「私は、何も言うつもりは無い。雲景は言いつけを守って、しっかりと相手を連れてきたのだ。口出しはしない」
口を開いても、庇う事も無いが、自信を持って連れて来られる相手を前に異論もしない。彪豪は、霍雨に口で勝てた試しが無く、真っ先に口が出る女がじっとしているのは不気味だった。
「確かに、賭けは姉上の勝ちですが、手を下さないとは言っていませんよ」
「どうする?殿下にご迷惑を掛けない方法があるなら教えてくれ」
「……」
彪豪は言い返せなかった。幾ら、雲景が勝手に行動したからと言って、祝融にまで害は及んではならない。恐らく、祝融もそれをわかっているから、手も口も出して来ないのだ。そういった線引きができている人物となると、彪豪も下手に手出し出来ないからもどかしい。
余計に頭が痛い。そう思い、三度目に溜息が出た時だった。霍雨が、あっけらかんと、口を開いた。
「では、こうしてはどうだ。雲景は縁切りの対象だが、表向きは外に出したという事にしよう」
それでは、新たな分家を派生させただけになる。罰でも何でも無く、体裁が悪いから外に出したと言っているも同然だった。
「……罰では無い」
「そもそも、私は罰する気は無い」
「え……?」
驚いたのは、雲景だった。
「自信を持て連れて来られる相手なのだろう。実際、郭彩華の事は調べた。中々優れた御令嬢の様だな。実力で言えば、雲景よりも上だ。流石、黒と言ったところか」
本来、色だけで相手を指し示すには無礼だ。幾ら、格下の相手とはいえ、さも当たり前に言う姿に、今度は雲景が呆れていた。
「お祖母様、その言い方は……」
注意しようとする雲景を無視して、霍雨は更に続けた。こうなると、霍雨の口は止まらないし、静止できる者もいない。
「実際、朱家の血で武官として優れていた者など一握りだ。お前は元々侍従の予定だったしな」
「姉上、何が言いたい」
「好きにさせてやれと言っている。正式に祝ってはやれないが、彼女はその身を賭け殿下に尽くしているんだ。後継からは外れ、家からも出る覚悟もある。好きになさい」
最早、決定事項である。
霍雨は、顔を歪ませ睨む彪豪を物ともせず、淡々と言葉を続けていた。
「……姉上、最初からそのつもりで呼び寄せたのですか?」
「あぁ、連れて来れないなら、手段は選ばなかったがな」
さもありなんと、悪びれも無く言ってのける。
「例えば?」
「郭家に圧を掛け、玄家に話を通し、郭彩華に無理矢理縁談を組ませる。無論、殿下の従者は続けると言う条件付きだ」
彩華はぞっとした。目の前の人物……と言うよりも、朱家の財力を持ってすれば、郭家など容易に潰されるだろう。彩華も幾ら実家と折り合いが悪くても、そうなれば身を売る思いで嫁ぐぐらいの良心はある。そもそも、最低条件は満たされるわけだから。
「(だから、飛唱様は
遠い目で飛唱の表情を思い出す。不機嫌だったのでは無く、本当に心配をしていたのではないのだろうかと。
「朱家ではないが色違いの話は聞く。残念ながら、子を儲けないという条件付きという例もあるが」
「それが、罰ですか?」
「譲歩だ。血が混ざるのは古来より良しとしない。それを我々五大龍家が許容すれば、同じ考えで溢れる」
雲景は、彩華を見た。覚悟はある。だがそれを、彩華に強要する事を考えると、雲景は微かに迷いのある瞳を見せた。対して、変わらず彩華の目に濁りは無い。
「雲景様、私は雲景様と共に生きると決めました」
どの道、どこで潰えるとも知れない命なのだと、彩華は言った。今日は、貴族の令嬢らしく畏まった様相を見せていた彩華だったが、その衣の中は、いつもと変わらぬ武人の志そのものの姿のままだった。
――
――
――
貴族街にある高級茶館。川の傍に建てられた茶館は、春は花見も出来ると有名な店だが、今は桜の代わりに枝には雪が被っている。華やかな者達で埋め尽くされた店内は、賑やかしくも落ち着いている。
話が纏まり、二人は休憩がてらに茶屋で一服していた。温かい茶の所為か、彩華の顔はすっかり緩みきっている。更に甘味の砂糖菓子が口に入るとより一層、ふやけた顔になっていくものだから、見ていて飽きが来ない。先程までの緊張が嘘かと思える程に穏やかな時間に、雲景も彩華の顔を眺めながら漸く一息吐いていた。
花を形どった砂糖菓子は、口に含むとぼろぼろと崩れ、口いっぱいに砂糖の甘さが広がる。贅沢な嗜好品を久しぶりに口にした雲景は、その甘さに思わず茶で流し込む。
「甘いもの苦手でした?」
「いや、昔はよく食べていたんだが……」
思った以上に甘く感じ、茶を飲み切っても口の中に砂糖が残っている。雲景はもう一杯を注文すると、冷めるのも待たずに喉へと流し込んでいた。
「幼い頃と、味覚が変わったのかも知れませんね」
「良く平気で食べられるな」
「私は甘い物に目が無いのです」
自慢気に言ったかと思えば、ふふっと柔らかく笑う。その姿を見ると、雲景は、胸を打つものがあった。
「(そうか、これが幸福か……)」
欲しかったものが手に入り、今目の前で笑っている。高位貴族に一員で無くなり、身分は最下位にまで落ちた。
後悔は、寸分も無い。
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