番外編 続・交わる赤と黒 壱
皇都 雲景宅
冬が来た。雪が皇都にも積もり、洗朱色に染まっていた都は、屋根に積もった白色が相まって、違う顔を見せていた。曇り空が、より寒さを際立たせるが、街中の子供達は降り積もった雪の中、丸めた雪を投げ合っては、はしゃいでいる。そこには、年齢は関係ない様で、小さいのも大きいのも混ざって、雪まみれになる度、一層楽しさが増すのか賑やかだ。子供だからこそ、寒さを忘れ、悴む手を我慢しては楽しめるのだろう。
だが、良い大人程、火鉢の前を陣取り酒で身体を温める。現に、部屋の主人も火鉢を出してはあたっていた。勿論それは、黒髪の客人の為に用意したものだったが、当人は窓の桟に座り、お気に入りの景色に目を向けたまま、部屋の主を見ようともしていない。
気まずい雰囲気。いつもならば、雲景は窓から目を向けたままの彩華を眺めて酒を煽る事も気にも留めないが、今の状況は、少しばかり違う。彩華が景色を見ている理由は、雲景から目を逸らす為だからだ。
話を聞くまいと決め込んでいるのか、返事もしない。子供の様な素振りだが、その実、そういった行動は自分にも非があるから雲景はひたすら打開策を考え続けるしか無かった。
原因は、柑省での雲景の祖母、朱霍雨が最後に残したの言葉だ。
『自信を持って連れてこれないのなら、こちらもそれなりの手段を考える』
既に朱家に二人の関係が漏れているとも取れる発言の上、自信を持って紹介出来ない相手と関係があると言っている様なものだった。
怒って当然の事だろうが、彩華の様子は、怒っているというよりは、白けていた。怒ってくれた方が幾分か良かっただろう。まだ、会話にはなるし、彩華の言い分も聞ける。
そして、幾度となく彩華に話をしようとするも、都合悪く仕事が神子より舞い込む。漸く手が空くも、用事があるだの、気が乗らないだの適当な理由を付けては避けられ続け、今日になってやっと、無理矢理部屋へと連れ込んだのだった。
その無理矢理の結果が、今の状況でもあるのだが。
雲景が恐れる事があるとすれば、彩華が今の関係に一切の興味を失くしてしまう事だ。元より、彩華は恋愛感情なるものが希薄で、体の関係はあっても、心情的には雲景の一方通行。関係が終わっても、同僚としての関係は変わらないだろうが、それ以上の興味を抱く事は無くなるだろう。
だからこそ、雲景は必死だった。釈明を述べてどうにかなるとは思っていないが、自らの心情だけは伝えておかなければ、取り返しが付かなくなる。そう、感じていた。
「彩華、あれは祖母が勝手に言った事で意味は無い。だから何も気にする必要など無いんだ」
そっぽを向く彩華に向かって雲景は話し掛けた。返事が無くとも、せめて此方を向くまで。と思っていたが、彩華は意外にも、するりと口を開いた。
「飛唱様に、お話を伺いました。雲景様が当主候補筆頭になる話があるとか。私などと関わっている暇など無いのでは?」
顔は外に向けたまま、言葉も冷たい。しかも彩華の口から思わぬ名前が出たものだから、雲景は、また従兄弟である飛唱を腹の中で罵倒していた。口止めはしていなかったが、「余計な事を喋ってくれやがって」、何て普段口にしない様な粗雑な言葉が飛び出しそうな程。
「あくまで候補で、私は辞退するつもりだ。その話も、祖母にはもうしたし、当主にもする予定だ」
「何故ですか?勿体ない話では無いですか」
彩華からすれば、期待されている対象であるにもかかわらず可能性を棒に振っているとしか思えないのだろうが、淡々と語る声に、感情は篭ってはいない。
流石に堪える。雲景は、血が滲む程に拳を握り締めた。誰も彼も、何故その道が当然の様に最善と言うのだろうか。
だから、その全てを否定するか如く、口から出た言葉は、心の底から望むものだった。
「私は、そんな物よりも自由が欲しい」
その言葉に、彩華の肩が揺れた。僅かに振り返った顔に、横目で雲景を捉えている。
「雲景様は、自由では無いのですか?」
「現状は満足している。祝融様以外にお仕えしたい方も居ないしな。だが、その後の選択は、自分で決める」
雲景の目は、欲しいものが何かを訴える様に、彩華を捉え続ける。それが分からぬ程、彩華は鈍くはない。
「(飛唱様の妹君との縁談も可能性があるみたいだし、どう考えても……ね)」
釣り合いを鑑みれば、明瞭な答えが出る。朱家当主か、老君達が考えた事かまでは分からないが、直系でも無いのに名が上がるということは、それだけ雲景への期待があるという事なのだろう。
知らなかったとは言え、彩華は、受け入れるべき相手では無かったと、後悔すら募っていた。
「私は黒。お互い逸れ者扱いされるだけ」
彩華は態とらしく冷ややかに話した。突き放し、諦める様に仕向けるには、自分が悪役になるのが一番だと考えていた。
「だから、彩華が関係を隠したいと言った時に同意した。朱家がどういう手段に出るか分からなかったし、彩華にどう影響するかも読めなかったからな」
正論を返す雲景に、彩華は更に言葉を返した。
「用意された道の方が余程真っ当ですよ。近くにいた手頃な女が、偶々私だっただけ。今からでも遅くはありません。もう、終わりにしましょう」
顔を景色に向け、冷たく言い放った終わりの言葉。
これで諦めるだろう。
出て行けとでも言うだろう。
彩華は雲景の顔が見れず、次の言葉を待ったが、一向に静寂は続いたままだ。そして、暫く無言が続いたかと思えば、雲景立ち上がる気配だけが、彩華にも伝わっていた。
「……これ以上続ける意味は無いな」
そう言うと、彩華が座る窓へと近付いた。
「(怒ってる)」
怒らせる事を言っている自覚はあった。それが狙いだったのもあるが、予想とは違い、彩華に詰め寄りながらも睨んでいる。
息遣いすら、頬に感じる距離。それまで、無表情を貫いていた彩華だったが、雲景の真剣な表情を前に、内心は焦りで一杯だった。
何か、何か言わなければ。
そもそも、彩華が今日諦めて部屋へ来たのは、中途半端な関係を終わらせるためだった。終わりにして、雲景に将来を見据えてもらわねば。雲景が朱家当主候補に名が上がれば、いつかは立場から足を洗わねばならなくなるが、その後も祝融の力になるだろう。
朱家当主が祝融に着いたと堂々と言えるのだ。
だから、自分は邪魔だ。朱家当主という立場なら、色違いの関係などあってはならない。
彩華は、正論を述べて帰るはずだった。なのに、雲景を前にして感情はぐるぐる廻り、正論など消えていた。
彩華を逃さぬ様に詰め寄り、向けられる熱い眼差しは、用意していた覚悟を悉く打ち砕く。堪らず顔を逸らすも、それすら雲景によって阻まれる。彩華の頬に手が伸び、無理矢理そちらを向かせられていた。
「私は、お前しか選ばない。他など要らん」
その目から、逃げる事など出来なかった。
流れには逆らえない。それが、大きな河なら尚更だろう。彩華の覚悟など、小石程度でしか無く、自らの意志とその先を見据えた答えを持つ本筋の流れを前に、まんまと呑まれていくだけ。
抱きしめられ、唇を重ねれば、なし崩しに受け入れる癖が付いているのか、それとも本心からか、拒む事を忘れている。口付けを繰り返し貪れば、彩華の手は自然と雲景を求めて、腰に回していた。
抵抗もしないとなれば、雲景の行動は早く、彩華を抱きかかえると、窓を閉め閨へと連れ込んだ。
そうなれば、もう、流れが変わる事は無い。情欲に満ちた瞳を前に、彩華に抵抗する術など持ち合わせてはいなかった。
熱量を帯びた手は優しく、肌に触れるたびに愛おしさを伝えている。指先一つ一つの仕草に、情愛を込めているのかと思うほどに、彩華を追い詰めていく。
口から漏れる吐息に言葉を乗せようとしても、与えられる快楽を前に、溺れる感覚すら覚え、真っ当な思考など霞の彼方へと消えていった。
――
――
――
彩華は、背後から感じる体温に身を預け、諦めの眼差しを、仄かに蝋燭の灯りに照らされた天井へと向けていた。既に熱は冷めているというのに、背後に座る赤髪の男は寝台の上で壁に背を預け、その逞しい腕は彩華の腰を絡めとり、身体に引き寄せている。色事の後とは言え、寝衣一枚羽織っただけの肌が密着する程にべったりとくっついたまま離れない。
日は沈み、寒々とした部屋の中で肌の温もりは丁度良く心地良いが、明瞭とした思考が、先程の話を思い出し、その場から離れようと試みるも、その腕が緩む気配はない。
ゴツゴツとした男の鎖骨に頭を転がし、飽きるのを待つしか無かった。
「……雲景様」
「何だ」
返事はするも、その声はやや不機嫌と言った様子だ。
「本気で興味無いのですか?」
「無い。というより、祖母には既に勘当でも何でも好きにすれば良いと言ってある」
きっぱりと言い切る声は、何の迷いも無い。だとしたら、彩華もそれ以上口出しする事は出来なかった。
「お前は以前、祝融様に跪いたのは自らの意思でなかったかもしれないと憂いていたが、私はあの瞬間が衝撃だった」
それは、既に十年以上も前、墨省での出来事だった。眩いばかりの日差しが差し込む郭家邸で、彩華は前触れもなく祝融に跪いた。雲景は、突然の出来事に言葉も出なかったが、祝融と彩華だけが、全てを受け入れていた。
「恐怖を覚えながらも、敢えてその道を選び、忠義を誓う。神に導かれたという理由だけで、それだけの事が出来るだろうか?」
雲景は当時を思い出しているのか、彩華を見つめながらも、過去を重ねている。
「お陰で、お前以上に印象に残る女もいない。只の貴族の姫君を選ぶなど、到底無理だ」
そう言った雲景は、彩華の肩に顔を埋めた。唇を這わせ、再び行為に及ぶのかとも思わせる。
「雲景様!」
彩華の静止の声に、雲景は顔を上げた。それまで冷めた表情ばかりだった彩華には珍しく、頬どころか、耳まで紅潮している。
「彩華」
情愛の籠った声で、呼びかけると、更に紅色は増していく。
そうなると、背後にいる事が口惜しくなる。雲景は、一度腕を離すと、半ば強引に彩華を組み敷いていた。
紅く染まった頬に、揺れる金の瞳。羞恥心を隠そうとする手は口元を覆うが、より扇状的に見えるだけ。更には、肌蹴る衣から見える様々な傷が艶かしく、彩華の魅力を際立たせていた。
「雲景様、あまり見ないで下さい」
「何故だ」
何故も何も、只々恥ずかしいのだ。しかも良い様にされ、過去をほじくり返され、その姿を褒められ、平常心は遥か彼方だ。
「……その、私……」
言葉が詰まり、羞恥心に苛まれる彩華に満足したのか、雲景は寝台に転がると、再び彩華を腕に閉じ込めた。
「彩華、本当に私に何の感情も湧かないのか?」
雲景の瞳に映る彩華の姿は、とても情愛が湧かないなどと宣う者には見えなかった。今この瞬間も、本当に何も感じていないのか。雲景の腕を枕に、憂いから目を伏せるているが、自らに好意を寄せているとすら勘違いしそうな程の姿に、雲景はただ答えを待った。
「……これが、そういった想いなのかは、今も分かりません」
はっきりと言い切った瞳は、しっかりと雲景の瞳を見つめ、真実を告げている。胸の奥底で痛みが走るも、彩華は、「ただ」と付け足すと、雲景の頬に触れていた。
「貴方を失いたくは無い」
それを聞いた瞬間に、雲景は寝台を抜け出したかと思うと、近くにある机の引き出しをゴソゴソと漁り始めた。何が始まるのかも分からないまま、彩華は寝台に座って待っていると、雲景が目的の品を見つけたのか漆の箱を手に寝台に戻ると、隣へと座っていた。
「本当は、こういったものをあまり好まないのは知っている。邪魔になる……と」
そう言って、雲景はゆっくりと蓋を開けた。
中に入っていたのは、銀細工の簪。小さな花が三つあしらわれ、その中心には真珠がはまっていた。
「お違い、いつ、死ぬやも分からない仕事だ。出来る限りの時間を、彩華と共に過ごしたい。どうか、私と
彩華は、驚きはしたが、答えに迷う事は無かった。
「私で良ければ、生涯の伴侶として、共に」
出来る限りの時間を共に――、彩華も共に過ごすならば、雲景以外を想像など出来はしなかった。
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